日々の疑問の積み重ねが、行動・変容につながり、「自分の使命は何か」という問いにつながる。
今後私がヒーリングセッションなりを重ねるにあたって
「受けてくれる誰か」にお伝えしたいこと。
日常生活の何か些細なことでも、
両親の言うことでも会社の言うことでも、
今現在自分が置かれている立場でも、
何か一つでも疑問に思って欲しいということ。
その積み重ねが自身の行動、変容につながります。
「こんなはずではなかった」新卒時代。
私は元々ゲームクリエイターになりたかったので、IT業界を志望しました。
そのために大学時代からプログラミングとか、
ゲーム制作に繋がるスキルばかりをやってきました。
いざ社会人になって配属されてみると、、、希望とは全くちがう部署でした。
そこでは全くプログラミングも手をつけることがなく、
周囲の人間関係でも全然うまくいかないことの連鎖で
常にモヤモヤ、葛藤の渦中にいました。
私は「思い描いた仕事と違う」というギャップを、
なんとか考えず吹っ切れるようにと、がんばりました。
「吹っ切れた」、というよりは
「『自分にとって理想の仕事、あるいは生き方』とは何かを考えるのをやめた」
が正しいのかもしれない。
「やりたい仕事」と「向いてる仕事」というのは違うんだと。
モヤモヤ葛藤を力でねじ伏せるのに、およそ2年くらいの月日は要しました。
長い人生で見た、今の仕事のキャリアプランを描けなかった
押さえつけた結果の私はITエンジニアをやってるけど、
将来を鑑みて、ずっと続けられる仕事でない、
と気づいたことがありました。
現在地から5年10年というスパン、もっと深ぼってみると
定年までずっと今の仕事をできない、とわかってしまった。
なぜならそれは「食ってくため」と割り切った、
いわゆる「ライスワーク」だから。
果たしてどこまで続けられるのか?
長い人生のスパンで見て、
自分がどういうステージ、どういうイメージで働くか、
そこを明確に描けませんでした。
枠に囚われない生き方。
そんな中、「自分の好きなことで食ってく」、
そういう思想を掲げ、生きている人が私の前に現れました。
当時、モヤモヤしていた私が、そうした割り切った思想に
感化されるのは時間がかかりませんでした。
そして、そんな自由な生き方に憧れるようになりました。
私もそういう生き方をしたいと思っていました。
コーチ、ブロガー、起業家、セミナー講師、健康学の先生、
高額な自己投資をしてまで、
今のITの仕事以外の、可能性を模索していました。
私が思考停止で今の仕事を気合と根性でモヤモヤしようが、
そんな気持ちなんか伏せて生きていられれば、何の問題もなかった。
無難に出世して、毎月無難に給料もらって、
平日にストレス溜まったら週末にお酒飲んで休日遊んで発散して、
そうして定年まで生きていれば、何の波風も立たない人生が遅れたであろう。
しかし私はそこまで殊勝な性格じゃないので、
何も考えず会社でのキャリアアップだけ考え、一つの仕事を定年までやる、
仕事しながらモヤモヤした気持ちを放っておくことはできませんでした。
「今の仕事はするが、次の人生の道をスムーズにつくっておきたい」
そういう発想があって、次の人生を考えるというのを常やってきました。
終わりに
今売れっ子の著名人でも、売れない時代は
納得できないことの連鎖だったかもしれないし
今売れっ子だったとしても5年10年同じように続くか?とか
その先どうなるかわからない、
という理由のない不安などつきまとうかもしれない。
著名人だろうが無名の一市民で過ごそうが、
「自分の人生このままでいいのか」という壁は
いつかどこかでやってきます。
自分で納得した仕事ができてる人が、
果たしてどれだけいるだろうか?
だから、日々の出来事には
誰かの評価や提言でなく、自身の感覚を大事にして、
疑問に持つ習慣を持ってほしいです。