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「会社の優等生」から「夢追いし者」へ
会社に入って、希望した仕事でない部署に配属されて
満たされないような、悶々とした思いをしながら
しかしこの世界で食っていくつもりで心を切り替えようとしていた。
「会社辞めたい」と言ったところで
辞めてどうしようという発想になかなか至らなかったはずだ。
そんなわけである時、ふと思う。
そもそも僕が「会社辞めたい」と思いながら
活動したのはいつからだろう?
明確なきっかけはおそらく、かつての同僚が持ち込んだ
「コーチング」が僕に導入されてからのように思える。
「社会人になって、本当はこういうことがやりたかった」
コーチングによって過去に封印したはずの
悶々とした気持ちが沸々と蘇ってしまったことがケチのツケ始めだろう。
忘れていた「自分の人生を変えるチャレンジをすること」
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コーチングというのはどうしても会社で頑張る、
というゴールが「現状の内側」で終わるので
「現状の外側」を求めるコーチングにおいては
ゴール設定の観点においては
主眼を会社の外側に持って行きやすい。
同僚にコーチングしてもらわなければ今頃僕は
「そこそこ真面目で仕事ができる社員」で終わっていただろう。
コーチングを知る前の僕は
「今の会社の中では仕事ができる社員」という風に通っていて
また会社の中ではよく優等生を演じていた。
僕自身その評価がそれ以上上がることはないと知りつつも
その評価を覆すような行動はできなかった。
しかし優等生だという評価で満足している自分もいたし
その評価で終わることが平和だと思っている
そんな自分もいたのは確かだった。
自分の人生を変えるチャレンジをしてヘマしたら
そのリカバリの方が圧倒的に大変に決まっているからだ。
チャレンジをするなんてアホらしい…、そう思っていた。
かつての同僚がコーチングを学んで帰ってきてから僕の人生は変わった。
人生においてチャレンジをするという大事なことを思い出した。
会社の中には存在し得ない「自分の人生のゴール」
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コーチングを知ってからの僕は、
自分なりにコーチングを学び、自分でゴール設定して
ゴールを探せば探すほど、
今いる自分の会社に自分の人生のゴールがないということに気づく。
じゃあ、今やってる仕事って何なんだ?
飯食うためだけにやってるの??
最終的にはそこに行き着いてしまった。
今のITエンジニアの仕事が「日々のメシ食うだけの仕事」でしかなく
それを「考えないようにしてやってきた」ということに気付かされた。
なぜ考えないようにしたかって?
自分の仕事が人生のゴールと何の関係もないのは
本当は自分自身が一番よくわかっているが
かといってこの仕事辞めたら食っていける口がない、
ということも同時にわかっていたから。
だから「今までずーっと考えないようにしていた」。
どんなに仕事をやって心が踊らなかったとしても、
本当は自分の人生どうしたいかって考えるのが辛いから。
だから不必要な仮面をかぶって取り繕ってきた。
終わりに
人は誰しも思い描く理想というものがある。
しかし物質世界に生きる以上は
現実というものが高い壁で立ちはだかる。
そこをうまく折半しながらやっていかないとならない。
誰しも理想だけでは生きていけないし、
その理想が高過ぎても生きていけない
これが物質世界の難しいところ。
妥協点を見つけることでなんとかなっている。
多くの人が現実と理想の間に立ちすくみ、そして苛まれている。
そこを導くために「コーチング」というものが世の中の人に必要とされていて
それを勉強してコーチになるのが正しいことだと信じるようになった。
というのが僕が「会社を辞める」ための活動を始めたきっかけだった。