「本来の自分の意思」に沿った生き方のために必要な「終わりの始まり」
「どうすれば”本来の自分の意志”に沿った生き方ができるか」
という永遠のテーマについてタロットを引いてみました。
答えは「ソードの10の正位置」
タロットを並べてみると全体的に「死」という物騒な単語がテーマであるのが伺える。
スピリチュアルの世界においては「死」には「再生」がつきものです。
これまでの苦悩や苦痛を終わらせるために、
荒廃的な感じではありつつも一度終わらせなければならない、
すなわち「終わりの始まり」がテーマです。
苦悩を呼び起こすもの
物質世界に産まれてくると、セットでついてくるのが「苦悩」。
私においては人間関係でずっと苦しみ続けてきたというのもそうだし
人生においては生き遅れてここまできてしまった、
というのもそうでした。
常に誰かとの比べ合いのような形になってしまっていて
人生に出遅れたことばかりを気にしてここまでやってきました。
他者と比べて知恵遅れだったり、
同じことを学んでも他者の方が一枚も二枚も上手で
人生においては先に進んでいたり。
そのことを歯噛みしながら、第三者目線で眺めてきたというのもそう。
今に至るまでそうで、人生で充実したなんて感じたことは一度もなく、
充実よりも後悔の方が多かったと思えるくらいに。
物質という具体性のあるものがある以上は比べる試金石になってしまうし
それが苦悩の源にもなってしまいます。
終わりないコンプレックスを終わらせる
「苦悩」「苦痛の終わり」というのは
これまで長々とコンプレックスに抱いていたことの
終わりを意味するのでしょう。
「ソードの10」に示される「死」の構図のような。
「死」というのが苦痛であったり、
一般的な物質社会においては良い意味を持たないですね。
何かの破壊であったり、生命の終わりであったり
軽々しく口にできないような、
ただただ不吉で不謹慎な意味合いの方が多いのでないか。
ただ苦しいことでずっと悩み続けたり、
プロジェクトがボロボロなのに、無理やりずっと引き伸ばしたり
そんなことを延々とやるのでなく
無慈悲とはいえ引導を渡し「死」という事象を下してしまうということは
ある種の「慈悲」なのかもしれない。
ケジメをつける形で「悩み」の「死」を迎えさせることで
これまで終わりのなかったコンプレックスを終わらせること。
これによって悩んでいたのがなんてことなかったり
スッキリして次を目指そうという感覚になるでしょう。
終わりに
「死と再生」というワードにつきまとう雰囲気はいいイメージが湧きませんが…、
とはいえ「本当の自分」の人生を送りたいというのならば
いつかは終わらせなくちゃいけないことで。
誰かに頼るんじゃない、自分で幕引きをすることが大事。
今までコンプレックスといった苦痛に満ち溢れていた自分に引導を渡し
新たな自分を呼び込み産まれ変わらせる。
そのために何かを終わらせて、新しいものを埋めるためのスペースが必要。
新しい自分の種を植えるために「終わりの始まり」を迎えさせる必要があるのです。