「会社辞めたい」色褪せぬ辛苦の時代がもたらしたこと。
「本当にやりたいことがわかるわけでない」
「だけど、この仕事は本当に自分がやりたいことでない」
そういう思いを抱えて
歯を食いしばってた時間の方が圧倒的に長かったですね、
長らくIT技術者をやってきたわけですが。
「与えられた仕事」に慣れるまで、
「はためから見て仕事に前向きになるまで」
相当時間かかりました。
目の前の仕事がどんなにやりたくないったって、
この仕事をやらなきゃ飯が食えない、
という事実が私の首を絞め続けていました。
結果として辛苦を味わいつつも、
何とかのらりくらりやることに決めたのです。
「心を自分で殺すまで時間がかかった」と言えば良いでしょうか。
「やりたくない仕事に慣れる」まで
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「こんな仕事やりたくない」
ってグチグチぐずっていたのが社会人若手時代。
仕事をやっている間の私に関しては、
全く「勝者」としての資質はなかったと今振り返って思います。
「やりたくないことを仕事として、金のため生活のため
我慢してやるのが社会人であり大人である」
そんなふうに思っていたが、今でもそんなに変わらないか。
お金をもらって働いている、そのことによる責任がのしかかっている以上
現状に対しての不満があっても、なかなか吐き出せないのが勤め人の辛いところ。
正直いってITの仕事をやってきて、
圧倒的に辛いことの方が多かったし特段技術が好きとかでもなかった。
IT技術の話されたって全然乗り気にもなれない。
ハッキリ言って会社に入った同期連中の中で
真っ先に社会からオサラバすると思っていました。
「自分のやりたいことで人生を切り拓けるのは一握り」
私から見ると、世の中がそういうふうに見えました。
だからこそ、私は「金」に価値を見出しました。
「やりたくないことで金がもらえる」
なら金をたくさん稼いでやろうじゃないかと。
金だけが私のプライドを保って、安心させてくれるものでした。
労働者の現実
![](https://assets.st-note.com/img/1691539210153-WGV6DMlXEV.png)
「こんな仕事やりたくない」
と思いながら働いてるのは自分だけだと思っていたけど
実際にフタを開けてみないとわからないもので、色んな人に話を聞いてみると、
誰もが誰も現状に納得をしていないこと。
私は窓際に追いやられた先輩社員たちとの交流も深く、
誰もが皆が「やりたくないと思ってる仕事」を
それぞれ複雑な思いを抱えながらやっているのだと
ようやく労働者の現状に気づけました。
「やりたくない仕事」しか選択肢のなかった
クビになるか瀬戸際だった私にとって、
同じくクビ瀬戸際の先輩たちとの交流が財産でした。
私が複雑な思いを抱えながら仕事をしているのもあったからか
彼らと打ち解けるのもそう時間は掛からなかった。
「本当にやりたいことがなんなのかわからない」
「与えられた仕事に納得していないが、この仕事が本当にやりたいことでない」
「やりたいことで生きていけるならそうしたいし
今の仕事を辞めれるのであれば辞めたいが、それができないから困っている」
交流を図ってきたIT従事者の辛苦を幾度も目の当たりにしてきました。
ある種、私の気持ちを代弁しているようでもありました。
終わりに
ITの仕事は確かに「飯を食える」けど
一生やりたいかといえば「それは違う」。
そういう答えに結びついたのに、なかなか会社を辞めることができず、今なお辛苦を抱えている。
私自身別にITの仕事が好きでもなければ
最近の技術動向にもさっぱり興味ないです。
仕事に対して大した姿勢でない私が一番収穫としたのは
さまざまな思いを抱えながら仕事してる人が多い、
そういう現状を直視せず、フタをしなくてすんだ、というのが一番かなと。
ITの仕事を通じてたくさん悩んでここまできたことが
いつかどこかで花開くことをと思っています。