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人生のゴールを探すために運命に抗うこと

「社畜を抜けたい」という悩みを持っている人が多くでないでしょうか。
自分らしく生きていけるのが、土日祝日だけだと思い込んでいる、としたら?

それは由々しき問題です。

自分らしく生きていける時間をより多く確保するために戦う、
そのことを考えた方がいいでしょう。

享楽に委ねるのはその後にでもできるでしょう。

社畜でいる時間が長い人生

東京神奈川以外の県に行くことになったある日のこと。
だんだんと外に旅行する意欲が減退して
行動範囲が狭まる一方だったある日

ちょっと遠出する用事ができた休日。

あとはもう少し時間に融通が利く立場になれれば…。

今更なのだけど、今プチ旅行のために使ってるこの路線なんかも、
社畜で埋め尽くされる巣窟と化すのだろうな。

そして自分も勇んで電車に乗り込む社畜であること。
社畜でいるうちは、休めて自分で自由に使える時間を

「与えられている」だけに過ぎない。

それが現実なんだということを受け止めなくてはならない。
好きなことに使える時間は与えられるものではない、

自由を掴みにいかないと、本当に自分で使える時間は手に入らない。

休みの日に少し気晴らししたところで、どうせまた社畜にもどるんだし
社畜でいる時間の方が長ったらしいのだ、憎らしい話だが。

社畜極まる時期にそう考えていました。

すぐ休んでもどうせすぐに休日は終わり、また社畜に戻るのだと。
休日よりも会社にいる時間の方が圧倒的に長いので
虚無的になっていました。

どこが本当の「人生のゴール」?

社畜精神がとても強いと、下手したら土日祝日をいかに満足に過ごすか、を
人生のゴールであるかのように考え出す。

土日祝日が本当に自分の自由に時間を使えるから。

そのために努力をしてきたのだけど、これまでの自分を否定するようだが
残念ながら努力の方向性は全くをもって間違っていたようだった、

やるべきことをやらなかったり。そのツケが回ってるのが今だと。

子供のことに「嫌なことはやるな」「人の嫌がることはするな」
そう教わったはずなのに「やりたくない仕事」をしているのは

一体どういうことなのだろう。

全て自分の力量が足りないことがこのトラブルを招いている。
なんとかしたいのだけど、時間の制約があって

「すぐにどうにもならない」というものがある…。

自分らしく生きる時間を確保するような動きにならないと
「いったい自分の人生のゴールはどこなんだ?」と

延々と堂々巡りが続きます。

終わりに

世の中にはわからないことだらけです。
一体自分の人生のゴールはどこなんだ?

そもそも自分は一体何が楽しいのか?

その答えを探すがための、答えなき旅が続くのが「現実」。

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