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「なぜやるのか」


「自分はなぜやるのか」

ある年のおみくじを引いたが
「行動指針を見直せ」
という風に言われた。

「船は航海をする為にあり、港に駐留するために作られていない」
確かにその通りである、その通りではあるが、
もちろんその通りではあるんだが、

船の行き先が分からぬ状態での航海ほど危険なものはないんじゃないのか。
そんな航海じゃ命がいくつあってもたらないだろう。

そういう意味で「行動指針を見直せ」って言われたのは
実に道理で理にかなっていることなんだなって思った。

明日やることが今日決まる

会社とかではよくあるので日常茶飯事であるが
「明日やることが今日決まる」というのは
ある種狂気とも言えようか。

頼むからもっと前から言ってくれ、
と言うお話になるかもしれないが。

ある日、カルチャースクールで学んだことの練習会をやると言うことで
翌日急遽、埼玉の某所に行くことになった。
本来外出の予定を立てていたのだが
先方の都合が土日のどちらかと言うことだったので
こうしたバタバタ劇になっている。

「会社かよ」と思わず突っ込んでしまった。

まだ大して実践できてないので、このポジションに甘んじてるわけだが。

練習会ががゴールになってしまうと後が尻すぼみになってしまう。
それは手段であって目的ではないのだから。

では、ゴールは、どこにある?と言うお話になってくるだろう。

ゴールデンサークル

かつて私のいた起業塾では「なぜやるのか」
というのをまず第一に洗い出せ、という話しがあった。

当時の私にしてみれば一生懸命ついていくので精一杯ということもあって
そこまで思い当たらなかった。

当時の私の師匠は、サイモン・シネックという人の影響を受けたとか言ってたな。
サイモン・シネック氏という、TEDに登壇した経歴の長い人物。

ゴールデンサークルっていうのがあって
Why How Whatの順で組み上がっていくんだと。
最初に「Why」がないとずっこける。
Whatだけが先行してたり、Whereだけだったり
空中分解するパターンはそれだと。

サイモンシネックさんは「Whyから始めよ」という著書を出したそうだ。
これがそのまま形而上学に当てはまらないと思うが考察はしたい。

方法論に終始してしまうのがいちばんの問題。

引っ越しをするときに見つからなかったが
これも方法ばかりが終始している
その理由が見つからない限りはここから出ないつもりでいる

やるのは簡単だし、
やれって言われたことをやるのは、んな難しい話じゃない。
やってみたら楽しいなんてのはザラだろう。
だが理由がないと長続きしない。

これは確実に言える。

総括

全てにおいて理由を言語化するのがこの年の目標になる。
理由を言語化できないと、誰もついてこないし、
自分もついてこれない。

俺としては自分が「やるべき理由」が見つからない限り
ライトワークを再開しないつもりでいる。
俺にとって「やるべき理由」を見つけるには?

全てを捨ててでも変わる覚悟はあるか?

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