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「生き遅れ」という宿命に抗って心療内科に通った人間の話

ある日の瞑想で得たこと

「生き遅れた」自分に救いはあるのか?
「生き遅れた」自分が表現する「善と美」とはなんだろうか?

パスを進めて何をやりたいのか?

「生き遅れた」ことは私の宿命。
しかし、その宿命に、その運命に、一体何の意味があるんだろうか?

イニシエーションを受けたことは、自分の「真実」を求める旅である。

では「生き遅れた人」にとっての「真実」とはなんだろう?

常に人より出遅れた人生を「宿命」と悟る

「5歳から話し始めた」という異質な経緯もそうだが、
私は人生の各所で、人の生育としては大きく出遅れてました。

社会に馴染むのに遅れただけじゃない。

今に至るまで先行く人ばかりを常に見てきている。

会社の同期は自分より早く出世していったり、
うまく世渡りをできてる、
それらを嫉妬しながら横目で見てきたこと。

起業塾にいた時も同期生は次々と結果を出し、少しずつでも毎月収益を上げたり、
独り立ちして本当に起業家になった同期生ら。
2年間やって1円も稼げなかった私は、成果を上げた彼らを横目で眺めるだけに終わる。

学生時代もちょっと外を見れば同級生は友達とつるんでいる、
孤独な自分を横目に、同級生や自分より若い人たちが次々と結婚していく事実を見ていったり。

そんなこんなで生き遅れであることにずっと負い目、葛藤を感じてきたこと。

しかし生き遅れたという過去からの積み重ね、
それをいまさら書き換えることなんてできやしない。

「このままじゃダメだ」と
「出遅れた人生」のハンディキャップを巻き返すために
いろんなことに取り組んでも全くダメで、

足掻いた結果、ようやく自分というものを客観視するようになりました。

私自身は誰よりも出遅れた人生を、
今に至るまで常に今世経験してることというのは
これはもはや「宿命」なんだと。

歳の割に見た目が若いと言われるが、
それは単に私が健康に気を使ってるだけじゃなく

「生き遅れている」という事実の現れ。

生き遅れとかなくば年相応の外見になっていたろう。

「宿命」は今更変えられやしない。気合い入れてスカイダイビングしたって、
カルマを解消しなければ、きっと来世も同じカルマに悩まされるだけ。

生まれつき五体満足で無かったり、生来アトピーだったりと、
一人一人、「宿命」というものの形は異なるものです。

心療内科に行った時の話

これもさんざんしたような気がするんですが、
心に傷を負ってしまった理由を知るために
私は心療内科に通っていたことがあります。

「5歳まで話すらできなかった」というのは

母親との関係で心に傷を負ったのだろうが、
カウンセラーの先生と掘り下げても
どこで具体的な傷を負ったのかすらわからないくらいでした。

いわゆる「トラウマ」と言われることで、
辛すぎるが故に無かったことにした可能性すらある。

心理カウンセラーの先生に
「あなたと似たようなクライアントが発達障害を患っていたようで、あなたにも似た傾向がある」

そう言われたことで、心療内科に受診してみることを勧められたことがきっかけで
心療内科に通っていました。

「心療内科に行く」といっただけで周囲のいろんな人の反感を買った。

買ってしまったけれども。

母親との関係は凍てついた永久凍土のようなものという事実は放っておけない。

心療内科の先生100人中100人に私がそういう症状かどうか聞いても
「あなたはアスペルガーや自閉症じゃない」
そんな回答が返ってくる、そんなことは分かりきっている。

だけどもそれ以上のことが知りたい、
生き遅れにならなきゃいけなかった理由を、

その真相を知りたいから心療内科の先生の知見をお借りしたいんだと。

アスペルガーですっていってもらえれば心理的に楽になったかもわからない。
それならばそんなもんだって割り切って生きれるから。

「あなたは自閉症でもアスペルガーでもありません」
わかってはいたけど、専門家が私に対して出した結論が、健常者認定でした。

コミュニケーションの傾向

心療内科の先生と「自分はADHDや自閉症、アスペの類でないか」
と話をする材料に、

「自分は何歳から話し始めたか」という情報を持っておくと良いです。

「5歳から話し始めた」という
予備知識があったので心療内科の先生と
スムーズに、いい雰囲気でゆるやかに話ができました。

「生き遅れ」だったとしてもそれは個性だといってもらえたし。

生育環境において母親とのコミュニケーション不足であること。

家庭環境で母親を通して、他者との共存とかそういう大事なことを教わる、
などなど、コミュニケーションにおいてのカラクリが
ここにきてようやく見出せたのはとても大きかった。

「エコグラム」を受けて自分がどういう性格で
他者とどういう傾向のコミュニケーションをとるか

そういった自己分析ができたことも手伝って、
社会に出て他者とのやりとりが難しい理由がわかったこと。

正直これだけでも、周囲の反対を振り切って
心療内科に行ってよかったと思えます。

終わりに

自分が「生き遅れた」という事実を叩きつけられたから

「自分は何者か?」

このテーマに乗っかることができたと考えます。

仮に「生き遅れ」だったとしても、それは個性でしかない。
「生き遅れの人」からみた、健常に生きてきた人が
全く見えてないものが、その人に見えることだってある。

人生の上での立ち回りで
人よりほんの少し器用じゃないだけかもしれない、

ただそれだけの話です。

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