ヒーローズジャーニー
人はガラクタを抱えて生きている。
現在は起業塾も辞めて、500人もいた友達は、今は0人だが
会社勤めはしているものの、会社に行く必要性もなく
横浜の山奥で私は一人で仙人のような暮らしをしている。
心の中に埋め尽くされたガラクタを整理して、
その果てに残ったものが本当の願望。
それが見えてくることが「本当の幸せ」だと、
当時の思い出を振り返って私は思った。
今の私の周りには何もないが、それが心地良くもあった。
平日も休日も過剰な稼働が平常運転
平日は会社に酷使され、土日祝日は起業活動をする。
私を酷使する会社を辞めたいがために起業活動をしたのだけども
結果も出ず、コンテンツ制作のモチベーションも湧いてこない。
自分の時間の使い方として、会社にいるか、起業活動をしているか、
あるいはセミナーにたくさん足を運んだり、誰かに会いに行っているか。
家に帰っても次の日会社に行くために休むだけ。
「自分のための時間を取れない」というのが
当時の私にとっての「平凡な日常」だった。
そんな状況でもとにかく早く会社を辞めたい、
こんなふざけた業務ばかり押し付ける奴らから早く離れたい、
というのはずっと心に思っていた。
甘美なる非日常
起業塾の同期生で「ヒーラー」と名乗る人が現れて、
「ヒーリング」というものを私は生まれて初めて知った。
当時はマインドセラピー的なものをたくさん試していて、その一角だった。
私からしたら宗教のようなわけの分からん存在だと思っていたし、
他のスピリチュアルと名乗る人たちとの違いがよくわかっていなかった。
ただ、「ヒーラー」と名乗ったその人は、同期生の中で一際「安心」できる感じがしたのは確かだった。
胡散臭いものだろうが、信じてみようという気持ちになったのは、それが大きかった。
そこからヒーリングとかってのを受けて、ここまでやってきた。
フツーだったら怪しむのだろうが、
私からしたら虚飾報告ばかり客に繰り返す
ブラック企業の方が怪しい以外の何モンでもなかった。
熾烈になる会社の悪魔ども
ヒーリングを受けたり、アデプトって儀式を受けたりとかって、
実を言うとそんなに抵抗はなかった。
ブラック企業の苦境を抜け出すために、起業塾を含めてたくさん投資しているから
その程度の額は安いもんだと思って受けたのだ。
問題はそっからで、そこから結局会社の状況が変わらない、
と言う現実は据え置きだったと言うこと。
外のセミナーの先生に助けを求めに行ったりしようとしたこともあったが
会社の悪魔どもの攻撃が熾烈すぎて、
外のセミナーに行くための逃げ道を封鎖されてしまった。
どうすればそこから抜けられるのかは分からず、平日は泥沼でもがいている状態だった。
「自分と向き合う」というアプローチとの出会い
ただ、そうしていく中で、
何となく自分が原因でブラック企業というものを生み出してるのでないか、
というのを察してきた。
私の起業塾の同期生にカウンセリングの先生がいたので、
私はその人を頼ることにした。
その人とのやりとりを通して、なぜそのような現実が作られたか、
というカラクリを知ることができた。
カウンセリングの先生のおかげで、「現実は自分が作る」
というロジックを理解することが私にはできた、と思った。
自らを癒やし続けること
1個1個の出来事に対してどう感じるか、
というのを1個ずつ癒して行ったことが思い返される。
1個1個に対して、過去に同じことがあったか思い出す、
というプロセスが私にとって二重の意味で辛かった。
いつそんなことがあったか思い出せないし、思い出せたとして心が大きく抉られている、
これをブラック企業の残業の中で一個一個思い出していって、そしてその思いを解放していく、
というのを、私は何度も何度も繰り返した。
ユング心理学のシャドウという考え方かな?それに近いものがあると感じた。
ヒーローズジャーニー
私は先生についていって半年間で「自分で自分の傷を癒す」ことに成功した。
その過程で承認欲求といったものが消えていって、そしてガラクタで埋め尽くされていた
自分のマインドもクリアになって、本来の自分に還りたい、という願望も生まれた。
生まれ育った横浜に帰りたいという気持ちが生まれてきて。
「起業で成功したい」という気持ちもいつの間にかどこかに消えていた。
「あれしたいこれしたい」という執着が少しずつ薄くなって
気がついたら500人の友達というのが自分が少しずつ手放せるようになっていた。
住居の契約満了に伴って会社を辞めて、生まれた地である横浜に移住することになった。
総括
本当は起業で成功するつもりだったが
あらぬ方向にきて、今ここにいる。
思ってたのと違う方向に行く、
まぁよくあることだ。
だがそれというのも、いらないことを信じていたから
間違ったことを思惑として動くのだろうなー。