「他人に興味を持てない」心理への処方箋2点
私は他者とコミュニケーション取らなさすぎるため
人生のあらゆるステージで
「他人に興味を持て」と言われてきた。
その度にどうすれば他人に興味持てるのか悩んできた。
学校でも他者への興味の持ち方を教わったことは一度もない。
他人に興味関心を一切示すことのない私が
どうすれば他人に興味を持てるのか?というところで
今回はその処方箋を考えてみた。
そもそも他人というのは違う生物で、一度認知した生物に興味が湧くのは稀
「他人に興味を持てない」ことは
いい方向に解釈をすると
「現状を精一杯、一生懸命生きているから周りの人まで目が行き届かない」
ということになるのだが、そこのところどうだろう??
だから他人に興味を持てないということに
必要以上に不安に駆られることはないと私は思っている。
そもそも他人というのは
「自分とはまったく違う生物」である。
違う生物というのは初見は興味を持つが
一度姿形を認知すれば言い方は悪いが
「それ知ってるわ、あとはどうでもいいや」という心理になる。
だから「他人に興味を持ちなさい」と言われて
すんなり興味を持てるのか??って話をふと思った。
あなたは自分の家の庭でよく見かけるアリとかスズメに対して
この子たちの今日の晩ご飯なんだろう?とか
普段何してんの?とか
そんな感じに興味を持てるのか?という話だ。
自分がよく知ってる親しい人に趣味は何かとか
普段何してんのとか聞くものだろうか。
自分がその人のことを何も知らないのであれば
その人に対して興味関心を持てようものだが。
人間は第一印象だけで全てを判断する
「他人に興味を持て」とは
私もしつこいほど言われたが
そういう人たちから他人への興味の持ち方を
教わったことは一度もない。
私が人間関係で困ったことを相談するたびに
「他人に興味を持て」と言われるだけで
都度都度、自分の頭を悩ませてきた記憶しかない。
果たして人間として他人に興味を持つっていうのが
生まれながらにして備わった
基本的機能なのだろうか?
そこで私は考えた。
よく言われる有名なことがが
「人間は物事を第一印象で判断する」ということ。
意識高い界隈ではこれを「メラビアンの法則」などとも言われる。
「メラビアンの法則」とは
見た目、話し方、性格の要素で
人は他人を判断するというもの。
この中でも見た目の割合が1番大きい。
大体人は見た目で判断されるというものだ。
第一印象というのが「見た目」にあたる。
見た目の印象を見て相手と自分の波長が合うのか
あるいはそうでないのかを判断する。
「見た目」が自分にとってピンと来なかったりすると
その人は興味対象外となる。
SNSの投稿とかも第一印象の力が強く
対面における会話と違って
自分が相手を本当の深い意味で知りえる要素にはない。
人間は「他人に興味を持つ」というのが
生まれながらにして備わった機能かといわれると
答えは「NO」である。
私も起業塾で「他人に興味を持て」と教わったが
そういう教えがはびこっている時点で
「そもそもレベルで人は他人に興味を示さない生物」
だと自白しているに等しいのだから。
1・相手との共通項を見極めるために、まず自分を知ること
よく言われることではあるが
人は他者に興味を持つにあたって
自分と共通項があるということが大事になる。
その共通項を切り口に
自分と他者の会話が進むというロジックである。
他者と自分に共通項が見出せることによって
そこに安心感が見出せる。
人という生き物は同性の友人知人が多いのだが
それは同性という共通点があるから
同じような趣味、同じような外見の
同性の友達が作りやすい。
自分がオタクキャラならオタク同士の友人ができるし
イケイケの営業マン系キャラなら
イケイケ系のキャラが多く集う。
性別が違う異性となると話が変わってくる。
異性と友達になるのは難しいというのはそこだ。
異性の相手との共通項を見出して突破口を見出すしかないのだ。
自分がどういう人間か知らないと他人に興味がいかない。
その人と自分にどこに共通点があるのかとか
自分がどういう人間か知ることだ。
「他人に興味を持て」と言われているのは
いいえて「自分に興味を持て」と言われてるようなもの。
自分が朝何時に起きて
普段何を食べてて何が好きなのか?
どんな生活をしているのか?
自分がどういう人間かを知ること。
それができて初めて
相対する相手と自分の共通点を引っ張り出せる。
2・自分の半径15メートル以内にいる「選ばれし人たち」をつぶさに観察する
どこで知り得たことだか忘れたのだが私の聞いた話では
自分の半径15メートル以内の人たちというのは
今の自分の波長に合致する人たちだということ。
よくいわれる「引き寄せの法則」のお話になるだろうか。
今の自分とどこかしら似た要素があるからこそ
自分の近くにいる人として
「選ばれし人たち」ということである。
会社、学校というフィールドにおける
同僚だったり同級生というのは
それぞれの出自や性格はそれぞれ違うが
よくよく見てみると似たような要素があるということ。
会社というフィールドでも
技術職とかだと黙々とやる職人タイプが集うし
営業職だとイケイケ系な人が集う。
自分のことを知り得た上で
彼ら彼女らとの共通項を見出していく。
外部セミナーで一緒になった人みたいに
時限式な人間関係では難しいかもだが
会社や学校といった人間関係の永続性があるフィールドで
まずは半径15メートル以内の人を観察してみたほうがいいだろう。
自分のライフスタイルに近い人を見定められた一例
他人に、それも異性に対して
興味を持てた例を一つ挙げてみる。
私の身の回りにいる人で
つい最近こられたばかりの方の話をしよう。
その人は第一印象である見た目も特段目を引くものでないし
私が関わり合いになることのない別の部署の人であるわけだし
一度その人の姿形を認知してからは気に留める事はなかった。
自分と同じフィールドで自分の半径15メートル以内にいるものの
場所も離れているしお互いの立場からいって
関わり合いになることはないだろうから
その人については初見の時点で当初は
「興味対象外」となったわけである。
ただ同じフィールドにいる以上
たとえ関わることがなくとも
目に留まる機会はどうしても多い。
フィールド共用の給水スペースがあるのだが
ある時私はその人が給水スペースで
自分のコップにお湯を入れているのを目撃した。
お湯、というのは要するに「白湯」と呼ばれるものである。
私も日頃から白湯を飲むように心がけているのだが
その人がお湯をコップに白湯を入れたのをみて
その人が私同様に普段の生活の中で白湯を飲用するのを
常日頃から取り入れてる人なのだと察することができた。
その人と私の共通点を見出すことができたのは
その人を認識して3週間後のことだった。
私にしてみれば白湯を入れているのを目撃した時点から
その人が「興味対象」となった。
「興味対象」としてからよくよくその人を見てみると
白湯以外に私との共通点がいくつか浮かび上がってきた。
・朝早く会社に来ている
・机の上が整然としている。無駄なものがない
・自販機の飲み物に一切手を出さない
今現在に至るまでその人と私は一度も会話したことはないのだが
その人が自分と近しいライフスタイルの人だということを察することができた。
終わりに・他人に興味を持てないのは人として機能不全なわけでない
自分のことで手一杯で他人に対して一切合切興味を示せず
「他人に興味を持て」といわれ続けた私は
そもそも人として深刻なる機能不全なのでないかと思って
産業医や心療内科を頼ったくらいだ。
そんな私も他人に興味を持つことが出来た。
だから「他人に興味を持てない」ということに関して
まったく重くみる必要はないと私は思っている。
自分のことをなんらかの精神疾患と思わないほうがいい。
「他人に興味を持てない」理由を
心療内科の先生に聞くのはアリだと思うが。
自分と共通項が見出せない人に対して
興味を持てないというのはごく自然なこと。
それくらい自分が懸命に生きることが出来ている証ではないか?
自分と性格が全く違うグループの友達を作らないなんて
学生時代ではよくあることだろう。
まずは自分の人となりを知り
自分に近くにいる人から観察してみて
共通点を洗い出したほうが良いのでないか。
バックボーンが違ったとしても
案外何か共通項があったりするものであるから。