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違和感との戦い。リトリートを終わらせ、6年越しの宿題に取り掛かる。
かつて友人と呼んだ男の、最期の問いに対しての、私の最期の戦い。
「仮想現実」に入り浸ってばっかりでは、
探すことも厳しいだろうが…。
まぁ、それでもなんとかやってみる。
何年かかっても良い。
どんなにクソ忙しかろうが
あの時の問いから逃げるわけにはいかない。
リトリートは5年前にやり尽くした。
もうリトリートは十分すんだろう。
「あなたのためにと思って真心を持って接してくれてる人は、あなたの周りに誰もいない」
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うむ、本当にその通り。
そういう人間がいれば、
とっくに友人なんてたくさんおるわ。
「誰があなたにとって大切なの?」
この辺が回答が出ないまま5年が過ぎてしまった。
いや、一度は出したんだよ。
「500人の中には誰もいない。
俺はようやくそれに気付いたんだけど、時すでに遅しだった」
って。
私にとってそれは同年亡くした祖母であったが
祖母その人が他界したものだから
そこに対する回答は「一番は俺自身」というところで落ち着いたこと。
それも一つの正解である。
だけど、それって答えになってないのよね。
そこまでの信頼関係結べる相手は誰だって聞いてんの、って話なので。
今の今でも「一番は俺自身」という答えしか出てこない。
しかし流石にそれは脳筋著しいので、考えなければならなくなった。
一度は結論を出して、SNSやめて多くの友人の前から去って
単身リトリートする生活を満喫した。
あれから5年経った今、私の旅は「振り出し」に戻った。
コミュニティにおける違和感
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この1、2年で様々なコミュニティに出張することが多いのだけど
いろんなところに出張して、それぞれのところで
いろんな人と会話して。
どこに行っても、とてもポジティブで
意識が高い人たちのコミュニティなのだけど
「ん????」
って、どうもしっくりこなくて。
去年くらいからそれが明確に感じるようになって。
コミュニティにおいて良い話をするはするのだけど、
それでスカッとしない気持ちになることの方が多くて。
正味、意識の高いコミュニティよりも
やんちゃな子供が多いマルシェイベントに出展した方が楽しいくらい。
なんかこの違和感感じたまま人間関係を続けるよりは
コミュニティから一旦距離を置いた方が良いかなと感じた。
人と距離を置くのを無期限と定めておく。
まぁ、舌の根が乾かぬうちに前言撤回するかもしれないが。
終わりに
コミュニティの誰かと関わったり
イベントしたりする日にタロットの逆位置が出たり
あるいは「ソードの3」「ソードの10」みたいな
しんどそうなカードが出たりって
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タロットって自分以上に正直だなって思った。
「俺のことよくわかってんじゃん」と。
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コミュニティに違和感を感じて思ったのが、
かつての友の「誰が自分にとって大切なのか?」
この問いが思い返されるが、
このコミュニティの件を考えるにあたって、
かつての友とのやり取りの思い出があまりにも重たすぎた。
「誰が自分にとって大切なのか?」
年内いっぱいかけて、かつての友の問いに対する解答を探して
それでダメだったら、見つかんなかったら。
彼らの後を追うように、私も全てを投げ捨てて、
自分の心に従った生き方を目指そう。
「一番は俺自身」という脳筋極まりない回答から卒業する時なんだと、
それを改めて考えさせられる機会が今、ということなんだろう。