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句養物語 花野篇 ①
オッサンと太郎は「俳句」という共通の趣味を通じて完全に意気投合していた。オッサンは太郎を助手席に乗せて、俳句談義に花を咲かせつつ愛車のトラックを走らせていく。見渡す限りの花野の中を旧街道は真っすぐに伸びており、曇り空と花野のコントラストは、それはそれは美しいものだった。その中を30分ほどひた走って花野を抜けたのち、しばらくしてトラックは目的地である「喫茶ヒマラヤ」に到着したたのだった。
カランコロン…
どこか哀愁漂うような、ビンテージもののドアベルが鳴り、二人は喫茶店へと入っていく。オッサンは常連顔で太郎をカウンターへと誘導し、二人は並んで横に座った。
「にーちゃん、今日はボクがおごるよ。なんでも好きなものを頼んで!」
オッサンは気前よく、太郎をもてなした。
「いいんですか、ありがとうございます!」
太郎は心底嬉しそうに、メニューブックを開くのだった。
「あ、マスター、ボクはいつものやつね!」
オッサンは慣れた様子で注文を済ませた。カウンターでコーヒーカップを拭いていた店の主も、すぐにオッサンの注文に応えた。
「アイスコーヒーとバニラアイス、苺ミルクとバニラアイス、ですね」
太郎は、オッサンが自分の分まで頼んだと思って尋ねた。
「え??自分はまだ頼んでないですけど…」
不思議に感じた太郎だったが、すぐにオッサンが解説してくれた。
「ああ、ボクね、いつも一人で二つ注文するの。」
「え…っと、4つ…ではなくて?」
「ああ、えっと、どっちも自分でフロートにして飲むから。コーヒーフロートと、苺ミルクフロートのできあがり!ってわけ。」
太郎はこっそりとメニューブックに視線を落とし、コーヒーフロートと苺ミルクフロートが最初からメニュー表にある事を確認した。そして、オッサンが何故か、敢えて分けて注文するこだわりに最大限の理解を示しつつ、
「な、なるほど…!」
と応えるのが精いっぱいだった。
そして、ここは手堅くコーヒーで、と思い
「じゃあブレンドで」
とマスターに告げた。するとマスターは、こう答えた。
「どんなコーヒーがお好きですか?当店は、味のお好みをお聞きしてから調合して、なるべく理想の味に近づけてお出ししているんですよ。」
太郎は驚いたが、同時にオッサンのこだわりが許容されている事にも理解が及んだ。そして、自分の持てるボキャブラリーの全てを用いて、コーヒーの味や香りの好みをマスターに伝えた。
「かしこまりました。」
マスターはお任せ下さいと言わんばかりの表情で、静かにブレンドの調合を開始した。そして、間もなくそれは提供された。
「お待たせしました。オリジナルブレンド"秋蝶"でございます。」
カップから立ち上るフローラルな香りに引き込まれるように、太郎は口をカップへと近づけた。一口すすると、蝶という表現がしっくり来るような軽い口当たりと、香りの華やかさが相まって、えも言われぬハーモニーを奏でた。そして、コーヒーを飲み込んだ後に口中に残る余韻は、円熟した旨味がいつまでも舌の上に鎮座し、自分の喉の奥から鼻腔へと、香りだけが舞い戻って来るかのように感じられた。
「ああ…美味しい…」
溜息がこぼれるように、太郎の本音が溢れた。
その横では、オッサンがアイスコーヒーにバニラアイスをガサツに乗せすぎて、コーヒーが溢れていたが、太郎はとりあえず自分の嗜好通りのブレンドが目の前に提供された事に、深く感動していた。
「なんか、本当に蝶が飛んで出て来そうな感じですね…」
余りにも美味しかったので、太郎の感想はおよそコーヒーの感想とは思えないものだったが、マスターはニッコリと微笑んでこう答えてくれた。
「ありがとうございます。実は、この名称は最近流行り出した『蝶石』の神秘さに刺激を受けて名付けたんですよ。」
「蝶石…って何ですか?」
苺ミルクにもバニラアイスを乗せすぎて、溢れさせていたオッサンも、ここで話に加わってきた。
「おいおい、また石!?まさか俳句でも書いてあるんじゃないだろうね??」
「ご存じなかったですか。失礼しました。俳句なら書いてありますよ。」
「「え????」」
二人は驚きの声を上げた。
「見せて見せて!!」
オッサンがはしゃいでマスターに詰め寄ると、マスターは嫌な顔ひとつせずに一つの石を取り出して、二人に見せてくれた。どうやら本当に蝶の形をしている石のようで、表面には文字が刻まれていた。
「表と裏に一句ずつ、句が書いてあるんですよ。」
それを聞いた太郎は、表と裏の両面を確認し、順に2句を読み上げた。
『曇天の旧街道や黄の花野』
(梵庸子)
『秋蝶を閉じ込める灰色の空』
(常幸龍BCAD)
「にーちゃん、これって…」
「はい、間違いないですね。。」
二人は流れ星の俳句石の件に深く関わっていたため、この蝶石なるものも、自分たちの状況と少なからずリンクしているものと悟った。二人はトラックで曇り空の旧街道を走ってきたし、その曇り空は花野とのコントラストが美しかった。言われてみれば、黄色い花が多かったように思えてくるから不思議だ。ここまで現実に則していると怖くなってくるものだが、二人にとっては既に一度経験している事でもあったので、少しも驚かなかったし、むしろワクワクを募らせていく一方であった。何よりこの2つの俳句は、お互いがお互いを引き立てているようで、蝶石の表裏に対を成しているのも頷けるものであった。
マスターが簡単に蝶石の説明をしてくれた。
「ここ一週間くらいの間のことでしょうか。急にこの石が発見されるようになりました。最初はどうして蝶の形をしているのか、さっぱり分かりませんでしたが、答えはすぐに判明しました。どこからともなく飛んできた老蝶の命が果てて、そのまま石化していまうのです。もちろん理屈は分からないですが、流れ星の俳句石の件もありますから、皆さん特に不思議がってはいないようで。」
二人にとっては、実にテンションの上がる話である。オッサンは引き続き飲み物を飲んだり、こぼした分を拭いたりしながらはしゃいでいたが、一気に面白い展開になってきたとばかりに、神経を尖らせ始めていた。太郎も、きっと今この瞬間に起きている何かが、俳句の種になるに違いないと踏んで、客席の他のお客さんの会話にも注目していた。しばらく耳をそばだてていると、ママ友のような二人組が子供の話をしているのが聞こえてきた。
「ウチの子ったら、また花野で真っ白になって帰って来たのよ~」
「あら~分かるわ~。必ず汚れて帰って来るのよね、あの辺は。」
「蝶々を捕まえてきたのに、帰ってきたらいなくなってたとか~。」
「あるある~。どうせ捕まえた気になってるだけなのよね~」
太郎は注意深く聞いていたが、オッサンもテーブルをビショビショに濡らしつつも、状況には敏感になっていた。
「にーちゃん、来たぜ!あっちの窓から入ってきた!」
オッサンの指さす方へ目をやると、かすかに開いた窓から、一匹の蝶が舞い込んできたところだった。そして蝶は二人のいるカウンター席のほうへと近寄ってきた。二人は息を潜めて動向を見守っていたが、蝶はテーブルに降り立ち、こぼれた苺ミルクを吸い出した。これには二人とも吹き出しそうになったが、蝶はしばらくして動かなくなり、思った通りゆっくりと石化が進んだ。完全に石になったのを確認して、太郎は句を読み上げた。
『子の服に花野みやげの謎の白』
(千代之人)
『幼子に捕へられたる秋の蝶』
(山川腎茶)
オッサンがたまらず声を上げた。
「やっぱり少なからずリンクしてるよな…」
「いなくなってた、というのが、つまり石化したからってことなのかも。」
二人は散々、俳句石の不思議な展開に驚かされてきたから、むしろこの蝶石の現象には、ワクワクさせられていた。
「早く次のてふてふ、飛んで来ないかな〜」
オッサンはそんな事を言いながら、テーブルの上の水分をペーパーで拭き取っていた。
太郎も同じ気持ちだったので、店の入口や窓際の席の方へ注意を払っていた。だからなのかもしれないが、二人はもっと不思議な現象がすぐそばで起きている事に、ちっとも気づいていなかったのだった。
句養物語 花野篇② 公開しました
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句養物語 流れ星篇 第1話|恵勇|note