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一句一遊劇場 戦慄の筍飯篇
この街は、まだ寒い。ぽつぽつと灯が灯って、どの家もそろそろ夕食の時間だ。
俺は新米の刑事。まだまだ独り立ちとはいかないので、先輩について回っている。
どの家庭にも、それぞれの幸せがある。このドアの向こうにも、恐らく一家団欒の光景があるだろう。しかし、今回のターゲットはこのドアの向こうにいる。彼らは、往々にして日常に溶け込むように潜んでいるのだ。
心強い先輩がいるからといって、安全が確約されるわけではない。むしろ、死と隣り合わせと言ってもいいくらいだ。彼らの手の届く範囲に、武器があっても何ら不思議ではない。
だが、先輩はこう言う。
「拳銃を向けて、両手を上げさせればこっちのものだ。大半の勝負は数秒で決する」
実際に、先輩はこれまでどんな局面も一瞬で片を付けてきた。その先輩の背中に、俺は憧れて続けてきたのだ。
冷たい一陣の風をやり過ごし、先輩は一際大きく煙草の煙を吐いた。
「行くぞ…」
先輩の太く低い声が、煙と共に街の灯りと混ざり合う。俺は黙って頷くと、いつものように先輩の後ろについた。
次の瞬間、先輩は沈黙を引き裂くように、全ての体重を左肩へ預けてドアを打ち破り、拳銃を構えながら一気に奥へと踏み込んでいった。
すぐ後ろについて中へ入ると、リビングではターゲットと思しき男が、妻子と共に四人で食卓を囲んでいた。突然突入してきた我々に対して、完全に面食らっている。近くに武器などを忍ばせている様子もない。
その刹那、男は舌打ちをしたように見えた。
勝った…!俺はそう確信した。
あとはもう、先輩が男をホールドアップさせる言葉を発するだけだ。俺は形だけの威嚇を続けながら、その一言を待った。
そして、その瞬間はすぐに訪れた。先輩は男の手元を一瞥したのち、こう言い放ったのだ。
『警察だ箸も筍飯も置け』
(後日)
罪状について黙秘を続ける男に対して、先輩はついに伝家の宝刀を抜いた。出前を取って空腹を満たし、家族の話を持ち出して、情に訴えかける作戦だ。大抵の城はこれで陥落する。男の目の前に丼が置かれ、先輩は男の為に蓋を開けてやった。
「まあ食えよ…」
しかし男は、軽く舌打ちしたかと思うと、即座にこう言い放ったのだった。
『かつ丼は嫌い筍飯が好き』
一句一遊劇場 戦慄の筍飯篇 「完」
企画、執筆、俳句 恵勇
画像提供 三月兎
(敬称略)
一句一遊劇場 哀傷のやませ篇
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