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仁義なき冬麗戦 第一幕


俺の仕事は、警備員だ。

一口に警備員と言っても色々あるが、大雑把に言えば、屋内と屋外に分けられる。俺はといえば、専ら屋外の方だ。寒いとか暑いとか、身体の負担の事を心配される事も多い仕事だが、本人は至って平然とこなしている。こなしているどころか、むしろ全力で楽しんでいると言って良いだろう。何故なら、この仕事をしながらにして、スキマ時間に堂々と趣味に耽る事ができるからだ。しかも自分は多趣味な人間なので、二つの趣味を同時に楽しむ術を持っているのだ。

一つ目は、俳句だ。昨今、俳句はお金のかからない趣味として、幅広い年齢層から市民権を得ている。予め出されたお題について、言葉のパズルを組み合わせるだけだから、中断も再開もスムーズにできる。ちょっとしたスキマ時間にやるには、持って来いの趣味というわけだ。俳句は季語を使うルールがあるので、屋外に出ずっぱりであるこの仕事をしていると、題材に相応しいものに頻繁に出くわす事となる。すぐに一句詠めなくても、そのヒントを得る事は可能だ。仕事をしながらにしてその素材を得られるのだから、その時間は大きな収穫となり得る。

もう一つの趣味は、鳥を見る事である。これは子供の頃からの趣味だが、バズーカ砲のような望遠鏡でガッツリ見るのではなく、あくまでも裸眼で、その辺の鳥をなんとなく見ているに過ぎない。しかし、そんなライトバーダーと言えどもこだわりは強く、例え仕事中であっても、そこに現れた大抵の鳥を見分ける事ができる。屋外の警備は、場所によっては自然が豊かな場合もあるので、一日に観察できる鳥が二桁に乗るのも、決して珍しい事ではない。ふとした瞬間に視界に入って来る鳥をチラッと見ては、こっそり種類を識別して楽しんでいるだけなので、はたから見ると鳥を観察しているようには見えない。こちらから探しに行くのではなく、あくまで向こうから来てもらうスタンスなので、仕事に支障が出る事は全くないのである。

仕事をしてないように感じるかもしれないので、もう少しだけ補足させて欲しい。基本的に、警備とは観察する仕事である。その範囲はかなり広域に渡る事もあるから、視線を一点だけに絞り続けるのは危険だ。鳥がいようといまいと、常日頃から人を見て、車両を見て、その他動くものの全てに気を配らざるを得ない。つまり、元々そういう職種なのだ。故に、突然視界へ入ってくる飛行物体や飛散物を確認するのも、極めて自然な流れである。言い換えると、異変を見逃す事が、最も危険なのだ。飛んできたのが工事関係の飛散物だと危ないし、鳥だったら安全である。そういった危険の有無を判断し続けるのが、この仕事なのだ。

ただし自分にとって鳥だけは特別な存在であり、人や車両と違い、種類まで特定したいという密かな願望がある。だが、種類まで特定する事は仕事に必要ないし、そこに時間を費やす事は仕事の妨げになるのでは…そう感じる人も出てくるだろう。しかし、その実態は、こんなイメージである。

まず鳥が視界に入って来ると、俺の両目にインストールされた高性能バードスカウターが瞬時に起動し、対象の色や形、動き方、羽音や鳴き声などをスキャンする。それと並行して、脳内にあるデジタル野鳥図鑑データへとアクセスし、スキャンされた映像との擦り合せを進め、該当種の絞り込みを行う。多くの場合は消去法を用いて正解を探り当て、密かな自己満足に浸るわけだが、この一連の流れに要する時間が、一秒を超える事はまず無い。逆に言うと、一秒で判明しないケースは判断材料に乏しいという事になり、鳥との距離が縮まらない限り、それ以上見続けていても分からないままである。そのような場合は、次の機会に持ち越しとなるから、本来見るべき車や人へ、観察対象を即座に戻しているというわけだ。もちろん、周囲の安全が確保されてさえいれば、一秒を超えてスキャニングを継続するケースもある。ただ、仕事をしている以上、その優先順位が逆転する事はないのだ。

こうして俺は、見るべきものを全て見た上で、さらに自分の見たいものまで見ている。そしてそれは、はたから見ると、至って真面目に仕事をしているようにしか見えない。即ちこれは、俺にとって天職だと言わざるを得ないのだ。


さて、ある日の警備で、大型の都市公園へと赴いた。そこには林や池などが残されており、多くの野鳥を見つける事ができた。すれ違う人も疎らで、俳句の下地をボソボソと呟いていても、誰からも変な目で見られたりはしない。即ち、集合場所へ向かう道中は、丸ごと趣味の時間と言っても良い状況であった。

集合場所に着くと、今日の作業内容の説明があった。今日と明日の2日間、公園の周囲を走る道路の補修工事があり、その為の保安が我々の仕事だったが、工事箇所が広域に渡る為、移動しながらの警備となるようだ。装備品は嵩張って持って移動する事ができないので、貴重品は除いて集合地点に置かせてもらう事とした。

そうして、いつも通りの楽しい警備が始まった。案の定移動していくに連れて、様々な鳥が現れた。道幅が狭く、観察すべき危険が多かったので、さすがに俳句を捻るまでの余裕はなかったが、周辺の環境が功を奏し、身近な野鳥は大抵確認できた。

こっそりと起動させたバードスカウターに、観察記録のログが増えていく。スズメやハト、カラスなどは言うまでもなく、ムクドリ、ヒヨドリ、ハクセキレイなどの常連組に加え、メジロ、シジュウカラ、エナガ、ツグミ、アカハラ、シロハラ、ジョウビタキ、モズ、オナガなど、枚挙にいとまがない程のラインナップだ。近くに池があるからだろうか、上空にはカモやサギの仲間、カワウなどが飛来し、時折トビやチョウゲンボウ、ハイタカなどの猛禽類も見られた。

仕事は仕事として、一定のクオリティを保持しつつも、視界を横切る鳥をこっそり見分ける遊びは、俺にとって実に有意義な時間と言える。これだから、この仕事は辞められないのだ。

俳句の方が疎かになってしまったが、そろそろ昼だし、それは飯の時にでも考えれば良いだろう。そんな事を考えながら最初の集合地点へ戻っていく俺だったが、そこに近づくに連れて、ある異変が起きている事に気付いた。

交差点の向こうから見ても、ハッキリと分かる。集合場所に置いてあった俺の荷物の中身が、広範囲に渡って散らばっていたのだ。俺はすかさず、本来は鳥の識別に使用しているスカウターを起動させ、状況分析の為に付近一帯のスキャニングを開始した。するとどうやら、一緒に置いてあった仲間の荷物は手つかずのままで、俺の荷物だけが派手に荒らされているようだ。

詳しく説明すると、大型の手提げ袋の中に、リュックと装備品一式、請負先の書類や、昼に食べる為に買ってあったパン等が入っていた。手提げ袋は横に倒された状態で、リュックや書類が引っ張り出され、ゴミを持ち帰る為に備えてあったビニール袋は、ご丁寧に一枚一枚散らばっている。

盗難にしては、随分と粗い手口だ。手当たり次第にぶち撒けて、お目当ての品だけを強奪するつもりだったのだろうか。

俺はそんな事を考えながら、しばらくの間立ちすくしていたが、ふと我に返り、空っ風に吹かれて暴れ始めた、ビニール袋を拾い集めた。

結論から言うと、失くなっていたのはパンだけであった。それ以外の物については、荒らされてはいるものの、盗られてはいない。この推察を進めていく上で、人間の仕業を疑ったのはほんの一瞬だった。現場は見通しの良い交差点で、どちらの道もかなりの交通量である。仮に歩行者が一人もいなかったとしても、これだけ派手な犯行に及べば、衆人環視となるのは不可避である。食料を盗むのに、わざわざ人目に付くようなリスクを冒す人間などいない。つまりこれは、周囲の視線を気にしない者、即ちある程度人間との距離感が近い動物の犯行だと断定できる。

俺は散らばった荷物を片付けながらも、状況の確認と推察に努めたが、犯人を絞り込むのに、ほとんど時間は必要なかった。

俺は動物の中でも鳥が好きだし、彼らの知性や習性を、他人よりは分かっているつもりだ。そして、周囲に生息するラインナップは午前中の内に把握してある。だからこそ、断言できる。

そう。これは、カラスの犯行で間違いない。

だが、分かったからこそ、理解が及ばない点があった。それはつまり、「なぜここにパンがあると確信できたのか」という点だ。

パンはコンビニの袋に入れた状態から、さらに別の簡易的なエコバッグに包まれており、見た目からは全く中身を視認できない状態であった。だから、匂いが漏れて来ない限り、ここにパンがあるかどうかは分からないのでは、と推察した。だが、そもそもパンはそれ自体が密封されており、それを二重三重に袋で包んでいたら、ほとんど匂いなど漏れて来ないはずである。さらに、カラスという生き物は、犬とは違って嗅覚は全く発達していない。つまり、犯人がカラスであるなら、この状況で嗅覚を頼りにパンを探り当てる事は不可能なのだ。

一方で、カラスの視覚は、その嗅覚とは比較できないほど優れたものだ。パンが少しでも見えていたなら、電線の上からでもそれがパンだと見極められる。だが、今回はそうではない。繰り返すが、パンは全く見えなかった。それなのに、犯人はパンを見つける事ができた。ここが、この事件の最大の謎なのだ。

昼休みに食べるはずだったパンを買い直すべく、仲間と共に1km先のコンビニへと向かう道中、一人の被害者として真剣に愚痴をこぼしつつも、俺はさらに推察を深めていく。

そういえば、この仲間のリュックサックは、すぐ隣にあったにもかかわらず、全く荒らされている形跡がなかった。中身が見えないという点では、同じ条件のはずなのに。

俺は、現場の状況を再度思い起こすべく、スカウターに記録されたログを、細かく追跡し始めた。

交差点の向こうから見て、集合場所にある自分の手提げがぶち撒けられている映像が展開される。少しずつカメラが寄っていくにつれ、ゴミを捨てる用の白いコンビニ袋が散乱している場面がクローズアップされた。

…そうか、そういう事か…。

一つの仮説が、俺の中で構築された。

もしかすると、カラスはパンを探していたのではなく、「袋」を探していたのではないか。人間がゴミとか食べ残しなどと呼ぶものは、カラスにとって立派な食料だが、コンビニのあの白い袋には、そのゴミが入っているケースが多い。カラスほどの知能の持ち主なら、その傾向を学習して予め知っていた可能性が高い。

つまり犯人はパンの在り処を確信したのではなく、「疑った」というのが正解だろう。

カラスは俺の手提げ袋の中に、白いコンビニ袋があるのを見つけた。そして、食料が入っているかもしれないと、当たりを付けて調査を開始したに違いない。しかし実際に調べてみると、それはゴミを持って帰る用に準備している空の袋で、中身は入っていない。ところが、そのすぐ傍にはあのエコバッグがあった。引っ張り出してみると、その中にも同じ白いコンビニ袋が見える。こうなると、本能的に中身を確認せざるを得ない。あとは、中に隠されていたお宝を取り出し、安全な場所へ運んでから、包装を破って中身を食べるだけだ。

犯人の手口は全て解明された。あらゆる対策は、結論を絞り込む事から始まる。これで、次からは同じ轍を踏む事はないだろう。

俺は鳥が好きだから、こうした鳥の生態に触れる事は、非常に意義深いものであり、カラスの高度な知能を知る事のできた今回の件は、とても貴重な経験となった。それは間違いない。

だが、しかし…。

俺はカラスの知性を認めたのであり、その罪まで認めたわけではない。読者の皆様には申し訳ないが、この話はこれで終わりではない。むしろ、今から始まるのだ。


なあ、カラスよ。


俺の大好物、レーズンロールパン(しかもマーガリン入り)は、さぞかし美味しかったんだろうな…???

俺のスカウターログに、レーズンロールパン(それもマーガリン入り)への熱い想いが次々と流れ出る。

俺が仕事を楽しみながらできているのは、そこに密かな趣味の時間があるからだ。瞬間的であれ、鳥を見たり、俳句の種を探す事ができる利点がそこにあるからだ。趣味とは、言わば一つの愛の形と言って良い。好きだからこそ、望んでその時間を作ろうとする。だが、言ったはずだ。俺は多趣味な男だと。もしここに俺の履歴書があるなら、その小さな趣味の欄に厳選された3つは、俳句と、鳥を見る事、そして食べる事だ。

仕事の合間に何を食べるかは、前日のうちから入念に選んで決めている。休憩時間は、完全な自分の時間であり、食べる事を純粋に楽しめる貴重な時間なのだ。だからこそ、どこにでもあるありふれたパンが、その瞬間だけ、ここにしかない替えの利かない唯一無二のパンとなるのだ。

今日、俺が昼休みに食べるはずだったレーズンロールパン(あろうことかマーガリン入り)は、一袋4個入りでおよそ150円の大型契約で入団した鳴り物入りの強力助っ人パンである。通常であれば、予算と内容量の都合で、一袋6個入りでおよそ100円の、パッケージに「マーガリンは注入されておりません」と謝罪文が掲載されたパンとの単日契約が一般的である。だが、今日の仕事場が大型の都市公園だと分かり、趣味の時間はいつもより更に充実する事が予想された。この時間をさらに色濃くする為、俺は敢えて契約金の予算編成見直しを行い、50円の上乗せを決定し、より高い方のレーズンロール(即ちマーガリン入り)の獲得に至ったのだ。

なあ、カラスよ。お前には理解できるのか?
俺が何度も何度も()まで付けて、マーガリンの存在を訴えているのか。あのマーガリンが何故、ここまで重要なのか、お前には分からないだろう。

それは、あの油分と塩分が、労働の直後の飢えた身体に心地良いからだ。それだけじゃない。その油分や塩分と、レーズンの甘味と酸味がマッチして、得も言われぬハーモニーを奏でるのだ。がさつに丸呑みする事しかできないお前には、もったいない食べ物なんだよ。

確かに世の中には、もっと色んな美味しいものがたくさんあるだろう。だが、今日の昼、午前中の仕事で消耗した俺のエネルギーを補う事ができるのは、あのレーズンロール(誰が何と言おうとマーガリン入り)を置いて他にはなかった。

その時間は、俺のささやかな楽しみとなるはずだった。その小さな幸せの種を、お前が奪ったんだ。分かるか、この罪の重さが。


よく聞け、カラスよ。
最後にこれだけは言っておくぞ。

「食べ物の恨みは恐ろしい」


俺は、お前の犯した罪を許さない。
必ずや報いを受けてもらうからな。


この仕事は明日も同じエリアで行われる。
俺は明日もここに来るんだよ。

即ち、お前は明日、因果応報という言葉の意味を知る、初めての鳥類となるだろう。


これは俺とお前の戦いなのだ。
俳句で言う所の冬麗戦なのだ。

今日の所は、お前の勝ちだと認める。
だが、本当の戦いは明日に持ち越しだ。
それまでは、せいぜいその薄汚れた嘴でも洗って待っている事だな。

仁義なき冬麗戦、0勝1敗で迎える明日の第二幕で、一気にその雌雄は決するだろう…。





以上が、俺のスカウターに記録された怒りの文言をまとめたログだ。

愛すべき時間を理不尽に奪われ、心奥から溢れ出た想いが、この交差点に吹く空っ風に冷やされていく。

それでもまだ俺の心の中には、言葉になろうとする想いの欠片たちが、外へと飛び出す機会を伺っていた。

どんなに言葉を連ねても、あのパンが手元に戻る事はないのに。





『空つ風俺のレーズンパンがない』



仁義なき冬麗戦 第一幕

【了】

本文、俳句 … 恵勇
※誠に残念ながらノンフィクションです


次回、仁義なき冬麗戦 第ニ幕!
恵勇、食べ物の恨み炸裂か?
衝撃のラストに光は差すのか?
乞うご期待!!

↓開幕しました!



↓自分では何もしない恵勇に代わって、俳並連の首領ことヒマラヤさんが作品のまとめを作ってくれちゃいました。


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