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句養物語 花野篇④
トラックを紛失して意気消沈のオッサンだったが、いつまでもくよくよするタイプの人間ではないから、ものの数分でお花畑をスキップしながら進んでいた。そして、割とすぐに飽きて普通に歩き始めた。
「しっかしまぁ…どこまでも果てしなく花野だねぇ…。」
「そうですね。どこをどう切り取っても、花野しかありませんね…。」
太郎がそう応えると、すぐそばに蝶が舞い降りて、石となった。両面には、このような句があった。
『花野ゆき花野左折し右花野』
(嶋村らぴ)
『結局は右も左も秋の蝶』
(万里の森)
「はっはっはっ…全くホントだよな」
「なんだか俳句のテイストが月曜っぽいですね。面白い組み合わせ!」
二人はラジオ番組「一句フォーユー」を引き合いに出して、この句の鑑賞を深めていた。するとここで、ふと太郎が何かに気づいた。
「ずっと遠くの方に、何か大きなものがありますね。。」
「ホントだねぇ。なんじゃらホイ。」
二人の視線の先には、かなり大きな建造物と思しきものがあったが、相当な距離があり、それが何なのか、肉眼では識別する事はできなかった。
不思議そうに遠くを見つめる二人の元へ、蝶が飛んできた。もう二人はお決まりのパターンと言わんばかりに、それが石になるのを待って、俳句を読み上げるのだった。
『大花野彼方に見ゆる仏さま』
(山川腎茶)
『遠い人心も遠く秋蝶の』
(猫髭かほり)
「ああ、あれ仏様なの?ずいぶん大きいね。」
オッサンが驚いて言うと、太郎も続いた。
「遠い人って…なんの事でしょうね。」
「うん…もしかして誰か待っててくれてるのかしら?」
二人は蝶石の俳句談義に余念がなかったが、たま子はそんな二人に構うことなく、スタスタと先に進んでいった。そしてほどなくしてまた、蝶が飛んできてそぐそばに舞い降りる。蝶からは白い鱗粉が命の輝きを示すように地面へとこぼれた。石化が終わるのを待って、太郎は両面の句を続けて読み上げた。
『児を探す声のかすれや大花野』
(でんでん琴女)
『秋蝶を追ったあの子に付いた白』
(千代之人)
「うーん、子供を捜索する親の声なんてしなかったよね?」
「確かに。でも…かすれた、とありますから、聞こえなかったのかも。」
「子供はもちろん見当たらないけど、なんか白いものがついてて、それが目印となって、きっと見つかって、きっとハッピーエンドになるんだろうね。」
「そうですね。きっと見つかります。」
二人の会話を聞いていたのか定かではなかったが、先を歩いていたたま子が突然振り返って呟いた。
「その昔、この辺りは大きな遊園地だったのニャ。」
「そうなんですか?見渡す限り一面の花野で、そんな形跡はどこにも見当たりませんけど…」
「随分と前の事だから、ほとんど何も残ってないんだニャ。」
「ほとんど…というと…」
太郎が呟くと、オッサンがまた蝶の気配を感じとった。
「にーちゃん、また来た。そっちの土の見えてる方へ行ったよ。」
太郎が追いかけると、蝶は既に石化していた。
『荒れてゐる空き家の庭の花野めく』
(ノアノア)
『秋の蝶手妻の蝶のごと消ゆる』
(みづちみわ)
太郎が対句を読み上げると、珍しくたま子が一句挟むように呟いた。
『レジ横にコスモス生ける花屋さん』
(新開ちえ)
「大きな遊園地の一角に、それはそれは素敵なお花屋さんがあったんだニャ。」
「遊園地にお花屋さんが?そりゃ珍しい。」
オッサンは興味が湧いたようだったが、太郎はなぜだか急に頭が痛くなってしまい、平静を装うのがやっとの状態になっていた。
「遊園地が荒廃したのちも、その種が命を運んで、花野になったのかも!」
太郎が急に大人しくなったのを察してか、オッサンが句の解釈に乗り出した。
「秋の蝶が消えたのは…やっぱり石になっちゃったからかなぁ。」
オッサンは句の鑑賞をしながらも、目で「大丈夫?」と太郎に合図を送った。太郎も小さく頷いて応えたが、今度はなんだか耳鳴りがするようで、少し気分が悪かった。オッサンも、俳句石の件で突然胸の傷が痛んだことがあったので、原因はともかく太郎の突発的な辛さを理解できていた。
「お、次々と来るなぁ、てふてふが!」
オッサンの元にまたしても蝶が舞い降りた。オッサンは石化を待って、両面に刻まれた対句を読み上げた。
『アアルへと誘ふ花野の主の声』
(恵勇)
『秋蝶の墓標なりたる空き家かな』
(ノアノア)
オッサンは引き続き解釈に挑んでいたが、どうにも理解が追い付かない様子だった。
「なんだこりゃ?この空き家は、さっきの花屋さんの事じゃないのかな。どうして花屋が蝶の墓場になるのかしら。」
太郎はオッサンの読み上げた句を頭で反芻していたが、頭痛と耳鳴りが凄くて、内容も俄かには呑み込めない部分もあり、苦悶の表情を浮かべながら黙っていることしかできなかった。オッサンが引き続き句の解釈を続けた。
「このアアルって何?もしかしてレフトの反対?」
オッサンのせっかくの小ボケだったが、太郎は具合が悪そうだし、たま子はドライすぎて、単なる独り言になってしまっていた。
「え、なになに?どんどん飛んで来るじゃん!」
すぐに開き直ったオッサンの元に、またしても蝶が舞い降りて、すぐに石化した。オッサンはまた石を拾い上げて、対句を読み上げる。
『ふたりとも何も喋らぬ花野かな』
(新開ちえ)
『秋蝶よ俺もおまえもサバイバー』
(蝦夷野ごうがしゃ)
「しゃべってますけど!しゃべり倒してますけど!」
オッサンが一人で俳句に突っ込みを入れているのが、太郎はおかしかったが、それ以上に謎の頭痛が引かないのが腹ただしかった。
「そっか、にーちゃんと猫ちゃんのことかな。でも、裏側の句。俺もおまえもサバイバー。こっちはボクとにーちゃんのことじゃないのかなぁ。」
オッサンが単独で蝶石の俳句と格闘しているうちに、太郎の頭痛は少しずつやわらいできた。しかしどうやら、この蝶石に刻まれた情景は、太郎の古い記憶に訴えかけているようで、かつ太郎にはハッキリとそれが思い出せないものだから、非常に悩ましかった。そのハッキリしない記憶の扉の向こうには、明らかに何かが隠されているような気がした。その記憶に訴えかけるように、次に飛んできた蝶はオッサンを避けて太郎の元へと舞い降りた。
『花野道きみの欠伸は三回目』
(みづちみわ)
『観世水模様を描く秋の蝶』
(染め物屋)
太郎は、再び激しい頭痛に襲われた。どうやらこれは、今目の前で起きていることではなく、過去にここで起きたことが、蝶石を通して伝わってきているようだった。太郎の記憶の中では、重い扉が軋むように少しずつ開かれようとしているようで、それが太郎の頭痛の種になっていると思われた。
一方でオッサンは、スタスタと歩を進める猫のたま子を目で追いながら、謎の頭痛に苛まれる太郎に寄り添う形で歩いていた。太郎も頭が痛いなりに、なんとなく前に進まなきゃいけない気がして、とにかくたま子が進む方向へと歩いていくのだった。
こうしてしばらく歩いていたからか、気付けば辺りはすっかり日が暮れかかっていた。ここでオッサンが何かを発見した。
「にーちゃん、あれ見てよ。モアイ像がある。さっき遠くから見えたの、これかなぁ。いや、もっと大きかったよなぁ。。」
伏し目がちに歩いていた太郎が顔を上げると、確かに夕陽に照らされたモアイ像のような建造物があったが、オッサンの言うようにそこまで巨大なものではなかった。なんだか腑に落ちない二人の元へ、蝶が舞い降りてきて、例のごとく石となった。
『モアイ像千年眠る花野かな』
(露草うづら)
『夕暮れをいたはりあひて秋の蝶』
(でんでん琴女)
「このモアイ像は、目印なんだニャ。」
唐突にたま子が口を開いた。
「え、何の目印なの?」
オッサンが尋ねると、たま子は答えた。
「遊園地のアトラクションだニャ。」
「へぇ…変わってるね。で、ここには何があったの?」
「ニャ??このデカいのが見えないのかニャ?」
たま子が前足のような手で上を指さした。二人は同時に見上げると、一瞬言葉を失ってしまった。そこには、今までに見た事もないほど巨大な、観覧車が聳え立っていたのだ。
「何コレ…?凄い大きさだけど…。こんなのあった?」
余りの大きさに言葉を失っていたオッサンが、なんとか声を絞り出すと、太郎もそれに続いた。
「もしかして、さっき遠くから見えたのって…。」
「これだったの?仏さまには見えないけど??」
「確かに…でも、“後光”に見えなくもないかも…」
太郎はまたしても頭痛がぶり返して来ていたが、何かに吸い寄せられるように、歩くスピードは速くなりつつあった。オッサンは横目でそんな太郎を心配しつつも、自分自身も同じ方向に進まざるを得ない気がしていた。
「なんか…遊園地ならではの歌みたいなの、聞こえるね…」
オッサンは太郎に語り掛けたが、太郎は何かに駆り立てられるかのように、観覧車の乗り口へ向けて駆けだした所だった。オッサンも慌てて追いかける。
たま子はいつの間にか歩を止めて、二人の成り行きを見守っていた。そして観覧車へと駆けていく二人の後を追うように、蝶の群れがたくさん飛んでいくのを見届けた。
「もうここまでで良いかニャ…。」
そう呟いたたま子の元に、蝶が舞い降りてきた。そのまま石になった蝶の俳句を、たま子は読み上げた。
『風のままさやさやうたう花野かな』
(染め物屋)
『ふふふふと飛んでいきたる秋の蝶』
(新開ちえ)
「よくここまで頑張ったニャ…。あとは自力でなんとかしてもらうかニャ。」
気がつくと太郎は、観覧車の乗り口へと向かって一心不乱に走り出していた。太郎が急に駆け出したものだから、オッサンも心配してすぐ後ろを追走していった。そんな二人の後を、蝶が群れを成して飛んでいくのだった。
何かに突き動かされるように、そのまま二人は観覧車に乗り込んだ。観覧車はどんどん高度を上げていく。お互いが、肩で息をする音だけが響いていた。ふたりはもう、言葉を交わさなかった。何か言おうとしても、何も言葉が出てこなかった。そんな二人の眼下に、さっきまで歩いてきた花野がどこまでも、どこまでも広がっていた。しかし、観覧車の頂点まであともう少しという所まで来ると、観覧車の反対側は、様子が違っていることが見て取れた。観覧車はこの花野の『際』に立っていて、その向こう側は、切り立った崖になっていたのだ。
二人の後を飛んできていた蝶が、窓をすり抜けて入ってきたかと思うと、すぐに石になる。二人は目でそこにある文字を追う。
『花野とは生きていくこと生きること』
(蝦夷野ごうがしゃ)
『断崖に吸ひ込まれたり秋の蝶』
(露草うづら)
観覧車は、まさに今頂点に達していたのだ。後をついてきていた蝶たちの群れが、身を翻すように真下へと降り始めた。その崖の下は花野が広がる地表よりもずっと低い所にあって、その一面は、黄金色に輝いているようだった。太郎の元に最後の蝶が舞い降りて、詩を残して石となる。その詩は、太郎の閉ざされた記憶の扉を微かに開いた。
『名も知らぬ草にも花と知る花野』
(真井とうか)
『正解を言ったら消える秋の蝶』
(里山子)
「あ……明美……?」
たま子は地上から観覧車の頂上を見上げていたが、蝶の群れと二人は崖を伝うように落ちていき、黄金色に輝く葦の原に吸い込まれていくのが見えた。そこにあった大きな船の甲板が、二人を優しく受け止めた。考えられないくらい高所から落下したはずなのに、二人は無傷だったようだ。やがて、船はゆっくりと葦原を滑るように動き出した。先ほどの蝶たちも船体の至る所に群れを成している。その姿は「老蝶」と呼ぶにはあまりにも若々しく見えた。鱗粉がキラキラと光りながら、まるで時間が巻き戻されていくかのようだった。
崖の上からその様子を見守っていた猫のたま子は、髭を撫でて、空を見遣った。二人を追いかけていた蝶の群れから、はぐれてしまったのだろうか、蝶が一匹だけ舞い降りてきて、たま子のそばで石となった。
石には、こう記してあった。
『やはらかき空の柩として花野』
(常幸龍BCAD)
『葦を裂く舳先に夥しき老蝶』
(恵勇)
※句養物語花野篇は、これより近未来編から現代編へ切り替わります。引き続きお楽しみください。
句養物語⑤
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