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全集中鑑賞 俳並連スペシャル テーマ詠『絆』編


こちらは俳並連の句集、『ふぁみりあ』より、『絆』というテーマに添って寄せられた句のいくつかを取り上げ、私的特選という形で、ランキング形式の発表を行う企画となっております。スペースを聞き直したりする中で、各句の魅力を再確認をし、特に好きだった7句に好みの順位を添えて選定させて頂きました。まあ、順位をつけるのは、激ムズだったと追記しておきます。上位の句は、とれが一席でも良かったのですが、最終的に選んだものは、『絆』を語らずして、それを示し切れている気がしました。

それでは、どうぞ。


恵勇の私的特選 七席

『引っ越しの荷の傾きも春惜しむ』
万里の森

終わりゆく春への名残と、生活環境の転換点の取り合わせですから、景として物凄く分かりやすいですよね。積み上げた荷物が傾いているという点に、名残惜しさを見出しているところが、この句のオリジナリティになっているかと思います。その着眼点も然ることながら、最も褒めるべきなのは、助詞の選定ではないでしょうか。『や』で切る事も可能な中で、『も』を使った事で、この部屋の中には、惜しむべきものがたくさんあるのだ、と言う主体の強い心情を込める事ができています。荷物の傾きすら、その惜しむべきものの一端であるよ、という心情を、詠嘆の助詞を使わずに表現しているのだから、上手いと言わざるを得ませんね。それなのに、詠嘆しているようにしか見えないじゃないですか。そこが、この句の最大の魅力であると思います。



恵勇の私的特選 六席

『一人になりたくてなりたくなくて月』
青井えのこ


この句をどう読んだか、人によってかなり差が出そうな気はしているのですが、とりあえず自分が言いたいのは、一見回りくどいような言い回しで、月という季語の真理を突いているという所ですね。少し要約してみると、こうなります。

一人になりたくて、月を見に行く
一人になりたくなくて、月を見に行く

つまり、この句の趣旨はこうじゃないかな、と。

一人になりたい人にとっても、一人にはなりたくない人にとっても、月を見るという行為は有用である。即ち月とは、あなたという存在を照らし出す事で、あなたを一人にしておく事も、あなたの孤独を癒す事もできるものである。

あなたの心理状態に関わらず、月はあなたを肯定する。一人を淋しく思う夜も、一人きりが恋しい夜も、どちらもあなたの望んだ夜だから。


恵勇の私的特選 五席

『山笑ふつながってゐるわかれ道』
藤白月

当たり前の事を、当たり前に、サラッと述べている俳句には憧れますよね。寝ている人だけが起きる事ができるように、つながっている道だけが、わかれ道になる事ができるんですよ。それがどうした、と感じてしまう人は、他の文学を嗜んだ方が良いかもしれないです。その当たり前の事に、少しのエッセンスを足しているのが、山笑ふという季語でしょう。どんな季語でも、ある程度はマッチする措辞ではあるかもしれないですが、この季語が通年使える『山◯◯』シリーズの、春担当である事を見逃してはいけません。わかれ道が繋がっているのは、夏でも秋でも、冬でも良かったはずですよね。そこを敢えて春にした事の意味を、読み取ってあげるのが、読み手の役目ではないでしょうか。

前出の引っ越しの句からも分かるように、春という季節は別れの多い時期ではあると思います。しかし、このタイミングで道を分かつ事の最大の意味は、その先に夏がある、という揺るぎない事実なんです。わかれ道の先に、一年で最も生命力の溢れる季節を置いた作者に、惜しみない拍手を送るべきだと思いますね。



恵勇の私的特選 四席

『マフラーや心理的接続エラー』
染井つぐみ


これはハッキリ言って、今回掲出されている句群の中で、最も難解な句の部類です。分かるようで分からない造語とマフラーの取り合わせに、手こずるメンバーが多数いたと思います。かくいう自分も、全然分からなくて、しばらく放ったらかしにしていたのですが、どうにも放っておけなくて、向き合ってみることにしたのです。そうしたら、案の定他の人とは違う読みに到達してしまい、共感度外視の解釈を極寒の地へ放り出す形となってしまいました。

一般的な読み方としては、マフラーという季語が、エラーという単語に対して、ポジティブに機能していると判断した人が大半だと思います。確かに、マフラーの持つ温かみが、そういう読みへと誘っているような印象もあります。そこを否定するつもりは全くないのですが、一つ触れておきたいのは、そもそもマフラーとは、防寒着であり、読んで字の如く、寒さから身を守るものなんです。もし、あなたが厳しい寒さを凌ぐべく、手元にマフラーがあれば、それを着用するでしょう。もし寒さが手強いようであれば、このマフラーを所定の位置より上に押し上げて、鼻の辺りまで防御するかもしれません。頭には毛糸の帽子か何かを被っていて、あなたの顔は眼を除いて、ほとんど隠れてしまうかもしれないです。

この瞬間、寒さを防ぐという大義名分と引き換えに、あなたはあなた自身を隠すことに注力し、その対人意識は少しだけ疎くなるかもしれない。この時にこそ、心理的接続エラーは起きるのかもしれない。大切な誰かに編んでもらったマフラーの中でさえ、あなたはその誰かの想いに応えられないでいるのかもしれない。どうしても接続できないでいるマフラーの中で、「こんなにあったかいのに」と呟いているのかもしれない。




恵勇の私的特選 三席

『絆とはとけると知って積もる雪』
ヒマラヤで平謝り


誰も言わないから言いますけども、これ、動詞3つですよ、動詞3つ。よほど上手くやらないと、失敗するやつですよね、動詞3つは。しかも出だしからして、自分からビハインドの展開に全力で突っ込んでいくんですよ。何しろ、この企画は『絆とは』という見えない枕詞が、全ての句に最初から備え付けてあるんですからね。それなのに、『絆とは』から始めてしまうんですから、度胸があるというか何というか、お口あんぐりな展開と言えますよね。

さて、皆さん手放しでこの句を褒めてますが、上記のようなビハインドを乗り越えて、この仕上がりになっているという手練れのやり口にも触れつつ、自分は他の人が触れてない部分にも光を当てたいと思いますね。

これはA=Bの公式になっている訳ですが、それはつまり、絆=雪って事だと思います。どういう所が?という疑問に対して、とけると分かってるのに、敢えて積もるとこ、と作者は答えています。読み手は、「せっかく集まった(積もった)のに、なくなって(溶けて)しまう、そんな儚いものなんだ。だけどそれを分かった上で、敢えて繋がろうとするのが、絆というものなんだ」というような読みに誘導されているかと思います。

それはそれで美しいですが、自分はもう一歩踏み込んだ解釈を展開してみたいのです。

まず、雪の異称『六花』を思い浮かべてみて下さい。読んで字の如く六片の花弁が中央から外へ向けて開いているのが、その特徴です。じゃあ、それを思いっきりたくさん、積もらせてみて下さい。ちょっと拡大してみましょうか。六花同士がぎゅうぎゅうに身を寄せ合ってるかもしれませんね。

絆というフィルタにかけて、もう一度結晶の群れを見つめてみると、一つ一つの六花は、まるで手のひらのようにも見えます。それが集まって絆になるとしたら、六花同士は全方向の相手と指を絡ませて、固く結ばれていくようにも感じます。

しかし、読み手はこのあとの展開を知っています。結ばれた絆はやがて解かれて、跡形もなく溶けてしまうのだと。

でも、個人的には、そこが大きな落とし穴じゃないかな、と思うんですよ。

一つ一つの結晶として集まっていた六花は、いずれみんな揃って固体である事を保てなくなる代わりに、一つの大きな『みづ』という存在に生まれ変わるんです。隣り合う結晶同士の結び付きよりも、完全に溶け合って、混じり合っている、この『みづ』という状態の方が、遥かに強く『ひとつ』であると思いませんか。つまり自分は、積もっている雪より、溶けている雪の方に、強い『絆』を感じるのです。作者の言う、雪が『知ってる』事は、むしろその事なんじゃないですかね。

だとしたら、作者は途中までしか書いてないんですよ。たった17音では、積もる→とける、とやってから、その後の展開までは書く余裕ないですからね。

雪はとけて水になった後、最終的には乾いてなくなってしまう。ところが、その消え去る瞬間こそが、最も『固い絆』で結ばれている瞬間なのだ、と。

絆を語るのに、1ページでというわけにはいかないのです。例えどんな形に変わっていくのだとしても、巻末には必ず強く結ばれた『絆』の姿があります。

作者はそれを、『雪の一生』に例え、その1ページ目だけを、読み手に示したのだと思います。





恵勇の私的特選 二席

『レース編むあなたの傷を縫ふやうに』
村瀬ふみや


実はこの句、当初はここまで評価が高くはありませんでした。皆さんが述べておられたように、優しい俳句だな、という印象しかなかったのです。まさか、こんな鑑賞に至るなんて、思いも寄らなかった、、なるべく端的に書くよう尽力しますけど、、

よく見て貰えると分かるのですが、そのまま読むと少しだけ引っかかるとこがあるんです。実は、「編む」と「縫う」は、違う意味の動詞だって事なんですね。だけど、作者はそれを、あたかもニア・イコールのように書いているんです。

「編む」時にも、「縫う」時にも、糸と針を使いますが、両者は決定的に異なる点があります。それは、「縫う」時だけは対象に針を通さねばならないという事です。傷を縫うのであれば、その傷を負っている対象に、針を通さねばなりません。

作中主体があなたの傷を縫う為には、あなたの身体に穴を開け、針を通す事になります。言い換えると、主体にはその覚悟があるという事です。あなたは痛がるかもしれない、それでも主体は針をその肌へと差すでしょう。あなたの傷を塞ぐのに、それは避けて通れないからです。

ここまで読んで、何言ってんの?と思った読者の皆さんは、正しいです。だって、実際には傷を縫う事を比喩として、レースを編んでいるんですからね。あなたの傷を直接縫うわけにいかないから、あなたの為にレースを編んであげます、そういう解釈になっていくのが普通です。

でも、レースが編み上がって、あなたがそれを着た時に、その中にある傷は癒えるのでしょうか。

自分は男だけど、父親ではあります。この句は、俳句の型には託しきれない、親の気持ちが編み込まれている気がしたんです。子供が傷を負いながら生きてるっている事は、親なら分かります。親だったら、自分が医者でなくとも、子供を救うためにメスを入れる覚悟はあるんじゃないかなと。でも、痛い思いはさせたくない。麻酔を持ち合わせているはずもない。だから、作者はもしかしたら、大切な『あなた』に向けて、本当はこう言いたかったんじゃないかな、と。

『レース編むやうにあなたの傷を縫う』


季語を比喩にしたらいけないと思い、掲出句の形になったのではないか、そんな気がしてならないのです。だから、言い添えておきますけど、もし頭の中にこの詩があったのなら、その詩を一席に頂きたい。

このレースを編むようにして、あなたの傷を癒やしたい。親ならきっと、そう思うはずだから。





恵勇の私的特選 一席

『球根を植ゑたと云ひて父の逝く』
三月兎


ついにというか、やっとの思いで一席まで辿り着く事ができました。強豪揃いのラインナップの中から、最後に紹介させて頂くのが、こちらの句です。


まず、描かれている時間軸の幅や奥行きがとにかく深いのです。この17音が直接指し示しているのは、父親との最後の会話と、その父が亡くなるまでの間の短い時間です。しかし当然の事ながら、そのセリフの内容から父親の人柄が想起され、生前の長い時間をコマ割りにした映像が、読み手の脳にも勝手に流れて来ます。そして、球根という季語の力を信じる事で、作中主体がこれから過ごすであろう、父親のいない、長い長い未来の映像も、同様に上映される事になるのです。

現在地点を切り取っただけなのに、過去も未来も相当な濃度で付随してくるという所が、見せ方として相当上手いと言わざるを得ないでしょう。

自分は、俳句✕物語の化学反応に無限の可能性を感じており、劇中句スタイルを確立したいと思っている関係で、この句のようにストーリー性の高い句を評価しがちなのかもしれません。それは好みの問題ではあるけど、ストーリー性に優れた句において、特にこの句のように本当に優れたものについては、俳句そのものが持つ想像の余白の大きさによって、例えば物語を付したりするなどの、文字情報の補強が不要となります。例えるならば、この句の中だけで一端話を完結させておいて、前作や次回作はその存在を仄めかすくらいに留めているような印象です。

では何故、読み手は前後のストーリーに想像が及ぶのでしょうか。実は、そこにこそ、この句の眼目はあるのです。

それは、『球根』という季語の力に他ならないのです。調べてみると、正確には『球根植う』というらしいですね。つまり、動詞を含む季語なのです。という事は、ヒマラヤさんの時も言いましたが、この句も動詞は3つです。なので、上手くやらないと失敗するリスクが高いやり方と言えます。ただし、両者を並べて見た時に、動詞3つでより成功させやすいのは、実はヒマラヤさんのケースの方です。あの句の動詞3つは、3つとも季語である雪を主語として使われていたので、季語が立ちやすいのです。それでは、この球根の句はどうでしょうか。球根を植ゑたのも、そう云ったのも、逝ってしまったのも、全て父なのです。つまり、これは父親の描写なのです。それなのに、この球根が芽を吹き、花を咲かせる映像が、脳裏にありありと思い起こされるのは何故でしょうか。

それこそが、父親が娘へ託した、自分のいない未来への想い。即ち『絆』の力なのです。自分自身の時間はこの辺りで終わりでも、命は繋がっていくのです。命のバトンを渡せるのは、それを託せるだけの『絆』で繋がった相手だけ。娘は必ずや、この球根から花を咲かせるだろう。絆を信じる父に、それ以外の結末など、想起できるはずもないのです。

一切の比喩さえ使わず、たった17音で描写された現在地点を中心として、前後にこれだけのストーリーを内包しているこの句には、リアリティやオリジナリティも自動的に確保されていきます。

何度でも言いますが、この企画のテーマは絆です。そして、もちろん、どの句の絆も素晴らしかった。でも、この句の絆が一番深かった。一番濃かった。その映像が、一番鮮明だった。一番本物だと思ったんです。もしかしたら、この句に描かれた絆は、作中主体にとってだけでなく、全ての人にとってのリアルなのかもしれません。

もしも自分自身の生涯を綴る本があるなら、巻末のページでは、お金でも財産でもなく、地位や名誉でもなく、たった一つの球根を託せるだけの絆を抱いて、朗らかに死んでいきたい。

そう思えるだけの句でした。

ありがとうございました。


※一席の句、作者の父が娘へ託した絆の実景。

画像をお寄せ頂きましたので、拙句ながらアンサー俳句を添えさせて頂きます。


『百合咲いて父の甘やかなる寡黙』
恵勇


全集中鑑賞 俳並連スペシャル テーマ詠『絆』編
【了】


企画、執筆、俳句 … 恵勇

画像協力 … 三月兎とその父(敬称略)

俳句出典 … 俳句ポスト並盛連盟『ふぁみりあ』


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