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句養物語 花野篇③
「そういえば、金曜に読まれた人は、抽選で贈り物をもらえるんじゃなかったですか?」
太郎は急に思い出したように訊ねた。
「もらったニャ」
たま子はそういうと、猫じゃらしのようなおもちゃを取り出した。
たまらずオッサンがツッコミを入れた。
「うわ、何それ。猫まっしぐらだな!」
たま子が自分より早く金曜デビューしていた事実に嫉妬したオッサンは、軽く挑発するように語りかけたが、たま子はそれを俳句で上手くかわした。
『そぞろ寒そんにゃオモチャにゃなびかにゃい』
(ノアノア)
オッサンが鼻で笑うような仕草を見せたので、太郎は場がピリピリしないように、質問を重ねた。
「でも不思議ですね。どうしてまた、そんな贈り物が届いたんでしょう?」
それは純粋な疑問だったが、その回答はなかなか珍妙なものだった。
「たぶん、性別のとこに『猫』って書いて投句したからだニャ」
「そこ、ボケるなら『雌』でしょうよ…」
たまらずツッコんだオッサンに対して、たま子は冷静に切り返した。
「たま子には性別という概念がないニャ。いわゆるじぇんだれすなんだニャ。」
「もう…何が何だか…分からなくなってきたニャ…。」
オッサンのとぼけた返答に対して、たま子はそれ以上、この話題について語らなかった。オッサンの渾身の猫語がスルーされて滑ったみたいになっていたので、太郎は可笑しくてクスクス笑っていた。
しかしオッサンはオッサンで、ふざけているようでありながら、密かに冷静な考察を行っていたようだ。
「なあ、猫ちゃん。あんた一体、ボクたち二人をどうするつもり?」
オッサンの質問に、たま子の右耳がピクリと動いた。そして、何事もなかったように服の袖から覗く手…というか前足のところを舐めながら、一句呟いた。
『毛繕いして誰を待つ晩秋の』
(猫髭かほり)
「誤魔化したって無駄だよ。誰かを待ってたんじゃなくて、ボクたちを待ってたんでしょ。」
オッサンは根拠もなくカマをかけてみただけだったが、どうやら図星だったようだ。
「ニャンと…!分かっていたのかニャ?」
「ま、まあね。。俳句が答えを導いてくれたのよ。。たぶん。。」
続けて太郎も質問を重ねた。
「それで…えっと、何かあるんですか?」
「実は、たま子の仕事は、水先案内ニャンなんだニャ。」
「水先案内人…?」
「いや、『案内ニャン』らしいよ…」
「水先案内ということは、航路ですよね。この辺りは花野へと続く旧街道で、海とか運河はないと思いますが。。」
太郎の投げかけた疑問に、被さるようにオッサンも続けた。
「そうそう。それにボクには愛車があるからね。これさえあればどこまでだって行けるんだから。案内ニャンも案内ワンも必要ないのよ。」
好き勝手にボケ倒しているオッサンをよそに、たま子は淡々と続けた。
「とにかく、そろそろ限界だから案内するニャ。とりあえずテキトーに後をついてくればいいんだニャ。」
「いや、どこへ行くのか知らないけど、ボクとにーちゃんはトラックで行くから…」
そう言いかけたオッサンの所に、蝶がヒラヒラと飛んできて、テーブルの隅に止まった。それは、瞬く間に蝶石となって、カタッと小さな音を立てた。
太郎は石を拾い上げて表の句を読み上げた。
『花野まであと25kmの青看板』
(ヒマラヤで平謝り)
「ほらほら、トラックならどうってことないのよ、25kmなんてあっという間!」
ノリノリのオッサンを宥めるように、たま子は諭した。
「対句を詠んでみるといいニャ」
太郎は慌てて裏面の対句を読み上げる。
『上上下下左右左右秋蝶』
(嶋村らぴ)
「「え??」」
二人は呆然としながらも、その句の本意を理解しようと努めたが、たま子は待ってくれないようだった。
「秘密のコマンドが入力されたニャ。これでそっちの出口は花野へ直結だニャ!」
何がなんだか訳が分からないので、オッサンも投げ槍な応え方をしてしまう。
「いやいや、ボクたちはここでお茶してるんだから、行くなら一人で行けばいいじゃん」
たま子が何も言わない代わりに、またしても蝶が飛んできて、カウンターで石化した。すかさず太郎が読み上げる。
『花野へはひとりぼっちが丁度いい』
(猫髭かほり)
オッサンが強い口調で叫ぶ。
「ほらほら!お一人様でご案内〜」
茶化したように言うオッサンに対して、またしてもたま子は表情ひとつ変えずに、こう答えた。
「対句を読むんだニャ」
慌てて太郎が石をひっくり返して、句を読み上げる。
『老蝶とアクセルは先進むもの』
(ヒマラヤで平謝り)
「うっ…。アクセルって聞くと。。」
オッサンの気持ちが鮮やかに翻った所で、たま子がまた一句呟いた。
『めくれない頁などなくて白風』
(恵勇)
オッサンの気持ちを慮った太郎は、代わりに応えた。
「目的が分かりませんけど、とにかく行くしかなさそうですね、、」
「分かったら、さっさと付いてくるニャ。二人には戻るべき花野が待っているのニャ。」
たま子はそういうと、軽い身のこなしで椅子から床へ飛び降りた。
ここで、店のマスターがオッサンと太郎を呼び止めた。
「行かれるのですね。。」
「ああ、なんかそーゆー事になっちゃったみたいで。じゃあお勘定お願いね、マスター。」
「いえ、今日はお代を頂きません。」
「え?なんで?」
「私にできることは、これくらいです。どうか道中お気をつけ下さい。」
そういうと、マスターは二人にひとつずつ、テイクアウト用のカップを差し出した。中には飲み物が入っているようだ。オッサンのカップには、蓑虫のような絵柄のシールが貼ってある。
「なんかエナジーの香りがする…よく分かんないけど、ありがとね、マスター!」
そういうとオッサンは味見と言わんばかりにグビッと飲み物を流し込んだ。
「うお!凄え!一句詠めそう!」
「ホントですか!」
興奮気味のオッサンを見て、太郎もテンションが上がってきた。オッサンはすぐさま一句詠んでみせた。
『鬼の子や翼を授かりそうな味』
「うわ!飲んでみたくなりますね!」
「でしょでしょ?にーちゃんの方は?」
「こっちは珈琲のおかわりじゃないかと…」
太郎の方には特に何も記されていなかったが、先程淹れてもらったオリジナルブレンド『秋蝶』が入っているのだと、太郎は思っていた。しかしどうやら少し違うようだ。
「先程とは配合を変えてみました。嗜好の正解が、ひとつだけとは限りませんので。」
「はい、ありがとうございます!!」
太郎はマスターの粋な計らいに感謝をしつつ、味見として珈琲を一口含んだ。
先ほどの華やかな香りとは異なり、木の実を炙ったような香ばしさが口中を支配したかと思うと、舌の上にはおよそ液体とは思えない絹のような感触が感じられ、微かな酸味と朗らかな苦味が口中を均していった。飲み込むのが惜しいくらいの味わいだったが、その一口を泣く泣く飲み込んで、太郎は言った。
「う、美味すぎる…!」
「お口に合いましたでしょうか。」
「はい!さっきの『秋蝶』と甲乙付け難いですね!こっちは何ていうブレンドなんですか?」
「こちらには名前がないんです。好きなように呼んで頂いてもいいですし、名無しのままでも構いませんよ。」
太郎は少し意外だった。先程の『秋蝶』ブレンドとおそらく同じ熱量で配合されたであろうこのブレンドには、それに相応しい名前があるはずだと思ったからだ。
「お。にーちゃん、小窓からお客様だよ。」
今度はオッサンが先に、飛来してきた蝶に気づいたが、蝶はオッサンを通り過ぎて太郎のそばに止まり、蝶石となった。表と裏には、それぞれこう記してあった。
『一輪を選びて花野の翻る』
(万里の森)
『匿名といふ名の自由秋の蝶』
(真井とうか)
マスターが静かに話し始めた。
「正解を見つけるのは、本当に難しいです。嗜好という世界においてはなおさら、絶対的な真理など存在しないのです。特定の一つをお気に入りとして愛用し続ける事も正解でしょうし、気兼ねなくその日暮らしの中に見つけたものだけで楽しむ嗜好も、また正解なんです。私は珈琲豆の味わいや香りの組み合わせを何万通りも試しました。その数だけ正解があるのかもしれません。しかしその全てを提示するわけにもいかないものでして。お客様に好みをお聞きして、引き出しの中から最もそれに近いものを選んで提示しているのです。私にできる事があるとすれば、「お手伝い」しかないのです。つまり、私も案内人なのです。お客様がそれぞれの嗜好の正解へ辿り着くための。」
マスターの言葉には強い芯のようなものがあって、太郎はそれを心に埋め込まれた気がした。どちらの珈琲も、太郎にとって美味しかった。そして、嗜好という言葉の本質を飲み込めた気がした。最後にマスターは一言付け加えるように、呟いた。
「どうか、ご自身の『好き』から目を逸らさないで下さい。そこには、見るべきもの、見据えるべきもの、見極めるべきもの、きっと全て集約されているはずです。」
「じゃあ、付いてくるニャ。」
たま子が先陣を切って喫茶店のドアを開け、店の外に出た。さっきまでそこにあったはずの旧街道はなくなっており、曇っていたはずの空も晴れ渡り、眼前に広がる花野には、黄色い花が一面に咲き乱れていた。
名もない珈琲を片手に店の外へ出た太郎のそばに蝶が舞い降り、すぐに蝶石へと変わった。太郎は裏表にある対句を両方とも読み上げた。
『花野ゆく俳句が好きで好きで空』
(里山子)
『晴れた日の黄の花が好き秋の蝶』
(梵庸子)
太郎は力を込めて呟いた。
「どんな旅になるにせよ、俳句があれば安心ですね!」
しかしオッサンは面白くなさそうだ。
「ボクの愛車…ボクの愛車はいづこへ?」
「そういや色々消え失せてますね…」
太郎の言うとおりで、店の周りの景色は一変しており、止めてあったはずのトラックは疎か、駐車場も丸ごとなくなっていたのだ。
「あとでちゃんとお返しするニャ」
たま子はそう言ったが、オッサンは全く納得していない様子だ。いきなり愛車かなくなったのだから、無理もないだろう。そのうえ、この猫は自分たちを連れていく目的を明らかにしていない。花野に戻るだけなら、さして意味はないはずなのだが…。
しかし、この理不尽極まりない状況にあっても、オッサンと太郎にとって俳句こそが「アクセル」となるのだった。太郎に諭されるように、オッサンも外へ出て、いつのまにか店の外に広がっていた花野へと踏み出していく。
句養物語 花野篇④