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名句全集中鑑賞:哀しみのテールランプ篇

こんにちは。俳並連鳥支部の支部長を務めております、恵勇という者です。

あの、鳥支部っていうのは、要するに鳥の俳句が得意な人の集まりだと勘違いされている方が多いようなので、今日はそれを一生懸命訂正しに来ました(何)。

違うんですよ、得意っていう所が。むしろ苦手かもしれません。バードハイカーというのは、俳句仲間のうち、鳥を見るのが好きな人の事であって、別に特段これといって、俳句の戦績が『鳥句』に偏っている人ではないのです。

自分は鳥支部の支部長を名乗っているくらいですから、皆さん鳥の名句を期待されているかもしれませんが、鳥好きが鳥の名句を詠むには、むしろ他の方より高い壁を越える必要があるんです。

先日放送された俳並スペース、おはよう鳥俳句の中でも触れられていたような、いなかったような、曖昧な記憶ですみませんが、要するに何が大変かっていうとですね。。

他人より鳥の生態に詳しいという事は、その鳥の特徴を具に説明できるアドバンテージを有しているわけなんですが、それは俳句を作るうえでは全く必要ないばかりか、それが足枷となって、むしろ説明くさい駄句になってしまう…という現象が起こるのです。まあ、平たく言うと、知識に溺れて詩情を欠いてしまう…とも言えます。

もう一つは、専門知識が深ければ深いほど、季語が動くかどうかの判定基準が狭くなり、他人の句に対しての観賞が浅くなりがちというデメリットも存在しています。その季語に詳しければ詳しいほど、一物仕立てに挑みたくなり、取り合わせの妙を追究できない性であるとも言えるでしょう。

例えば一句一遊の河原鶸の回では、実に多くの詩情に富んだ句を見ることができた反面、鳥好きが文句なく納得できるような、これはカワラヒワならではだよね、アトリじゃ成立しないよね、などという句は少なかったです。つまり、俳句としての優劣は、生物学の側面から見て真実を描写できているかどうかではなく、その季語を通じて紡がれた詩が、いかに季感を濃く伝えているかに依るのだと思います。


えー、はい。

皆さんそろそろ気づきましたか?
これは導入部の愚痴なんです(爆)。 
相変わらず無駄に文章の長い奴ですな(笑)


というわけで、鳥支部鳥支部言うた所で、鳥の名句がポンポン生まれるわけでもないので、最近生まれた鳥の名句をご紹介してみようじゃないかと、そういう主旨の記事なのに、触りの部分でひたすら愚痴を聞かされた皆さんの心情をそこはかとなく察したところで、そろそろ本題に入ります。


ウチのグループ、俳並連の代表が、鳥支部各位を差し置いて、鳥句で岩波に入選したという衝撃の連絡が入りました。どんな句なのかと楽しみに見てみると、なんと季語が『翡翠』だったんです。

それが何か?とお思いの方が98%ほどいらっしゃるようなので、解説しましょう。

カワセミという鳥は、バーダーにとって至高の存在です。自分が幼い頃、鳥に目覚めたきっかけも、このカワセミです。つまり、バードハイカーにとって、翡翠で一句詠むという事は、避けては通れない大命題であり、どうせ名を馳せるなら『翡翠』という季語で…という想いを抱いているものなのです。しかし、ご多分に漏れず、翡翠という季語はかなり難易度が高いです。見た目のインパクトが強く、生態も他の鳥と一線を画しており、翡翠を説明すればするほど、周りと同じ表現に偏り、類想の沼にハマっていく事になるからです。

ちょっと即吟して例を示します。


翡翠といふ一条の矢ぞ吹ける


わざとチープな作りにしたのもそうですが、これはカワセミという鳥が水面を這うように真っ直ぐに飛ぶという生態模写、即ち説明なのであって、それを矢に例えたところで、所詮は誰もが思いつく鉄板の発想なのです。

では、代表の句はどうか。

こうなってます。


翡翠やぼくは死にゆくものらしい
ヒマラヤで平謝り


どうですか。取り合わせですよ。

翡翠の実像描写を、助詞「や」の一字に委ね、自分自身の客観的な心理描写を取り合わせました。冒頭で長々と聞かされた愚痴は、この芸当はバードハイカーにはできないっていう話に繋がってくるわけなんです。バードハイカーは翡翠という季語を、説明したくて説明したくてしょうがないんですから。この句はそれを、全く説明していないじゃないですか。しかも、唯一の描写である『ぼく』でさえ、心情を描いているだけで、実像に乏しいのでは?と感じた方もおられるかもしれません。そうです。この句には、翡翠という季語と、それを見ている作中主体以外、何も書かれてはいないのです。それなのに、バッチリ入選している。それは何故なのか。

我々バードハイカーに他の方より優れた点があるとすれば、鑑賞という手段で『それ』を説明できるところだと思います。この取り合わせが成立している理由について、今から論文を纏めます。

いや、論文だと長いので、せめて坊っちゃん文学賞と同じサイズに留めておきます。

翡翠を理解せずにこの句を鑑賞すると、なんでこの季語にしたのか、という疑問が湧くはずです。翡翠はおろか、鳥の季語である必然性すらないような気がしてくるかもしれません。

ではここで、僭越ながら筆者の翡翠の句をご紹介致します。


翡翠や去りゆく哀しみは綺麗
恵勇


ほら、似てる。なんか似てますよ。
似てないところは、どこにも入選してないところくらいですよ!


…という愚痴が零れたところで、話を元に戻しますが、どちらも心情としてはネガティブになっていますよね。カワセミを知らない人からすれば、この季語のどこにそんなネガティブさが潜んでいるのか、さっぱり分からないはずです。でも、そこをサラッと説明できちゃうところがバードハイカーとしての才(以下自粛)


カワセミの事は、写真や動画でしか見たことない人が大半だと思います。そういう方が、この鳥に抱く印象を、無理矢理に纏めるのであれば、「これは幸せの青い鳥の一種に違いない」だと思うんです。見ての通り、真っ青ですからね。

そして、青い鳥は幸せを運んでくる存在だというのが、一般常識というか、共通認識だと思うのです。

ただ、そもそもここが最初の落とし穴で、カワセミという鳥を最も綺麗に観察できるのは、止まっている時でもなく、近くに飛来してきた時でもなくて、飛び去っていく時なんです。川面を流れていく一筋の青い光が遠ざかっていく様子こそが、カワセミをカワセミ足らしめている至高の映像美です。異論は認めません。それは一種の小さな『別れ』であり、筆者の句はそこを言及したものですが、まだまだ説明臭がするので、実際には推敲案がストッ句として存在しているのですが、それは教えません。一部の人に見せて自己満足を得たら、墓まで持っていけばそれで充分な句です。まあ、その話は置いといて。

筆者の拙句に対して、代表の句はその小さな別れを積み重ねた先にある、『死』という大きな別れについて言及していると言えます。

ここで、普段鳥を観察しない人(代表含む)向けに、想像上でカワセミと遭遇するシミュレーションをしてみる事にします。

小さな川沿いの道を散歩していたあなたは、岸辺に生えている葦に、小さな鳥が群れているのを見つけます。近寄ってみると、それはあなたも良く知っているスズメの群でした。あなたが側まで来ているのに、何やらチュンチュン言うばかりで、逃げようとしません。あなたが再び歩みを進めると、その葦の影から、カワセミが飛び立ちます。カワセミはずっとそこにいたのですが、あなたから見えない角度にいて、近づいて来たあなたを警戒して飛び立ってしまいました。

これが、スタンダードなカワセミとあなたの出会い方です。スズメとカワセミの、見た目よりも大きな違いは、個体数です。スズメはたくさんいる上に飛び回るので、遭遇率が高いのです。そしてカワセミは派手ですが、単独で行動する上、一旦枝などに止まると動いてくれないので、慣れてない人が遠景から発見するのは困難な鳥なのです。だから、気付かないうちに近づいていた個体が飛び去る事で、あなたはその存在を知る事になるのです。

ここで、再度言います。カワセミという鳥はこれでもかというくらい青い鳥ですが、幸せを運んで来る象徴ではありません。カワセミは『行ってしまう』鳥です。あなたから逃げるようにして、水面ギリギリを一直線に『飛んでいってしまう』のです。上空に飛び上がったりせず、川面をなぞりながら遠ざかっていくから、あなたの眼には青い光の飛跡だけが焼き付く事になるのです。

去っていく鳥と、取り残されてそこに留まる主体に溢れるリアリティとは、淋しさと美しさの同居です。作者はここに、生死のコントラストを見出しているのです。遠ざかっていく青い光を見て美しいと思うその心は、生きていく事の美しさをそのまま投影していると言っても過言ではありません。しかし、その美はすぐに去っていくのです。留まらないからこその美しさを、『ぼくは死にゆくもの』に『らしい』を足して、推測しているのだと、バードハイカーは断じます。



あ、そういえば、ヒマラヤさん。
この光の動き、何かに似ていませんか。

ヒマラヤさんの生活に密着している、あの光にそっくりだなぁなんて、自分は思いますけど。まあ、あとでどこかにしれっと答えらしきものを書いて置きますから、読者の皆様も各自答え合わせをしてみて下さい。


そういえば、代表はこの句で佳作を取る傍ら、ラジオでも金曜日に読まれていたようです。ズルいですね。

それが、この句なんですが。


松虫やタワーマンションてふ独居
ヒマラヤで平謝り


いや、なんか句柄が似ていたので、翡翠の句と合わせて鑑賞しようと思ったのですが、思い留まりましたね。

だって俺、松虫の事も、タワマンの事も、まるで知らないし(笑)。



名句全集中鑑賞:哀しみのテールランプ篇
【完】


企画・執筆・自作俳句 … 恵勇

掲載俳句 … ヒマラヤで平謝り

俳句出典 … 『世界10月号』岩波俳句
南海放送『夏井いつきの一句一遊』



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