ある日のご質問 #2
こんにちは。こじょうゆうやです。
今回寄せていただいたご質問は、2022年6月21日まで開放していたオンライン交流時空『三十三次元堂』にご参加くださった方からいただきました。
三十三次元堂は、自分自身を無条件にとことん愛し抜く、Love Myself に集中していただきながら、不特定多数の他者と交流する時空間です。三十三次元堂には四つの時空があります。
Love Myself のはじめの一歩を踏み出すための「亀の間」
Love Myself を意識しながら、とことん他者と交流する「龍の間」
Love Myself を軸にすべての参加者と1対1で交流する「鳳凰の間」
オンラインではなく実際にお会いして、Love Myself をさらに実感していただく「麒麟の間」
今回のご質問は「鳳凰の間」に参加してくださった方のものです。
いただいた貴重な感想も含めて、みなさまに共有させていただきます。
【ご感想&ご質問】
こじょうさん、昨日はありがとうございました。
終わった後にまたまた眠くなって1時間ほど休んでようやく動けました。心地よい充実感もあり、本当に楽しい時間でした。
オンラインでの会話に慣れたこともあるのか、今回が今までで1番話しやすくて楽しかったです。
何度かお会いした方もいらっしゃって皆さんキラキラになってるなぁと感じましたし、今回の皆さんたちからは綺麗な光みたいなものを感じて、皆さん素敵だなぁもっとお話したいなぁと思いました!
私が今回自分を観察して思ったのは、体感としては話してるうちに身体が暖かくなってきて、まるで温泉にでもつかっているかのような感じになったことです。ポカポカしてなんとも言えない体感でした。
感じた事としては、話していくうちに相手をもっと知りたい、と思ったことです。自分のことを聞いて欲しい、話したいな、よりも相手のことが知りたいな、この人のここを聞いてみたいな、もっと話したいなと思う方が多く、なんでだろうと思いました。
あと、なぜか素敵だなと思うことを伝えたくなっちゃってそれも不思議でした。頭で考えて褒めなきゃとかじゃなく、自然とこういう所素敵!と思うことを伝えたくなりました。なぜでしょう。。笑。
他者と関わっている時に自分に意識を向ける、というのはこういうことなのでしょうか?
【お返事】
貴重なご感想、ほんとうにありがとうございます。
あえて太字にさせていただきましたが、その体感こそが、Love Myself を通じて他者と愛のエネルギーが交流している状態、だとぼくは思います。
頭で理解する「Love Myself」よりも、感覚でつかむ「Love Myself」の方が、よりご自身の日常生活に落とし込んでいきやすいはずです。もし「Love Myself」で暮らせていなければ、違和感という体感が発生することにもつながります。頭のみの理解では、違和感はなかなか掴みきれない気がします。
少し余談ですが、特に「Love Myself」の話になると、ぼくは「感覚」とか「体感」とか、そういう言葉をかなり多用しています。癖になるんじゃないかと思うほど使っていますが、意識的にそうしています。おそらく、ぼくのnoteの記事を読んでいる時に、薄々でも気になった方もいらっしゃったのではないかと思います。
個人的な見解ですが、「Love Myself」のみならず、「愛」という存在(エネルギー)を深く知るためには「感覚」や「体感」がものすごく大切だと感じています。
「感」は、物事を見たり聞いたりして働く心の動き、という意味を持っています。
「覚」は、眠っている状態から、意識のある状態に戻るという意味があります。
つまり、ぼくが多用する「感覚」という言葉は、自分の心の動きを、体感を通して意識的にとらえることを指しています。
先のご感想は、他者との交流の中で起きたさまざまな感触、体感を、意識的にとらえていることがよくわかると思います。
「他者と関わっている時に自分に意識を向ける、というのはこういうことなのか?」というご質問は、まさにその通りだと感じています。
しかし、その意識も、浅い深いの程度があります。
海の底へ潜っていくような感じで、意識が深まれば深まるほど、信じられないほどの静寂を体感することができるようになるでしょう。
その静寂は、外的な何かによる影響を極めて受けにくくなります。もちろん、その何かに対する反応すら起こらないため平穏です。それらを言い換えれば、起こるすべての出来事を、無理なく、我慢なく、受け入れることができると言っても過言ではないでしょう。感情の浮き沈みがなくなる人もいるかもしれません。でも、感情を表す表情は透明感とともに豊かに変化するはずです。
このような境地は聖者でもなければ味わえないのではないか、と思われるかもしれませんが、正直なところ、生きてさえいれば誰でも味わえると感じています。
ご質問者さまの体感は、その境地へ至る扉を開いて、一歩二歩進んだ状態です。その足がさらに深くへと進むには、ただその状態を日常生活のそこかしこで続けていくだけでいいと感じています。
毎日の生活は、一見同じようなルーティンで進んでいたとしても、人に会うタイミング、物事を感受するタイミングなど日々必ず変化しています。そのようなさまざまなタイミングの中で、自分自身に意識を向け、愛し続ければ、自然と深まっていくはずです。
そのあたりがキマってくると、宇宙を含む万物の流れとともに生きることができて、不足や不満を感じにくい(感じないと言い切ってもいいかもしれません)、日々幸福と豊かさと感謝に満ち溢れた暮らしを、それぞれの個性、特性にそって送ることができるようになると感じています。
「Love Myself」、三十三次元堂以外のあらゆる場面の中で、 引き続きとことんお楽しみくださいね。
こじょうゆうや