中庸をいく
人が人を見張る時代になっているなと思う事が多々ある
それは、人がとても生き辛い世の中だという事だ
人が人を見張る理由は「正義」が絶対だからだろう
でも、何度も言うけど。
「正義」の反対は、「悪」ではなく
誰かの正義だったりするから・・・
人同士の争いのものはここで
それが大きくなったものが戦争となっていったのだろう
中庸を生きるという考え方が
そんな「人」が「人」を「裁く」傾向にある事を感じて、誰かが説いた人としての穏やかな生き方の1つなのだと思う
スピリチュアルな世界で言えば、アセンションするにはこの「中庸を生きる」というのが大事になるという事が1番に言われる事だ。
中庸を生きる
自分とは「違う」も受け入れてみて、そのうえで自分も人も判断せずに生きる生き方だ
確かにその精神で、救われた人がたくさんいる。
裁いてしまう人ほど、裁く人ほど実は誰よりも自分が辛くて。
だって、人を裁くという事は、自分をも裁いていることになるからだ。
だから、そこから抜け出して中庸を生きると
人生が穏やかになる
いろんな人がいる事が受け入れられて生きるのが本当に楽になる
そうやって初めて、自分というものを受け入れられるようになっていくから
中庸を生きるという事は
人が自分を生きる上で大事なことだと思う
でも、それが完全に出来るようになることが実はゴールではない
この先が人生にはある
そこにたどり着いた人が本当の意味で
自分の人生を歩み始めた人
何だろうと思うのだ。
私もまだそこに向かっている途中
でも、これに気付いたからこそ、中庸を生きる事を意識していた時よりもさらに楽に生きれるようになった。
生き辛いと感じるのは、世の中や時代や人のせいではない
自分が自分を生きる事が出来ていないからだ。
中庸を生きる、生きたからこそ見えてきた「その先」
今日はそのことについて書いてみようかと思う。
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