彼女らの本当の青春とは ~W.I.N.Gに隠された放課後クライマックスガールズ共通の意図を探る。
1、はじめに
初めましての人は初めまして。すたーと申します。前回、ゲームの設定上日時は何時で、何を示しているのかについて考察をさせてもらったものです。宜しくお願いします。
今回私が、目を付けたのは、放課後クライマックスガールズたちである。彼女たちが集まって展開されるコミュは、正に青春の代名詞。ファミレスで会議したり、公園でヒーローごっこしたり、雪が積もったら雪で遊び。彼女らの純真さに我々は、魅了されてきたのではないだろうか。
彼女らが青春の代名詞である事に、疑問を抱く人はきっといないだろうと思う。しかし、楽しい日々だけの事を青春と称していいのだろうか。
それこそ、フィクションの中では、悩みを抱え、時には人とも衝突する。しかし、このように立ち阻む壁を、力を合わせ乗り越えていく。このようなストーリーが青春を形容しているのではないか。思春期、青年期という時期なのだから、いろいろ多感な時期なのだから。楽しいばかりではないのが青春なのだ。
という事で今回考えていくのは、題名にもなっている通り、放課後クライマックスの本当の青春を、W.I.N.Gコミュから紐解いていこうと思う。一通り、放課後クライマックスガールズのW.I.N.Gコミュを読み終えていると、何を伝えたいかは大体想像つくのではないかと思うが……。
2、青年期の諸課題
W.I.N.Gコミュの解説に行く前に、前提知識として、押さえておいてほしい部分がある。エリクソン(1902~1994、アメリカ合衆国の発達心理学者、精神分析家)が提唱した、発達課題についてである。
人間の一生を8つの発達段階(乳児期前期、乳児期後期、幼児期、児童期、青年期、若い成人期、成人期、老年期)に分け、各段階に、固有の心理・社会的課題があると考えたのである。第二次性徴(女子でいう7、8歳から)が始まる時期を青年期というため、放クラの面々は、ほぼ青年期に属しているといってもいいだろう。(但し、夏葉に関しては、若い成人期に足をつっこんでいるかもしれない)
そして、青年期の発達課題は「自己同一性(自我同一性、アイデンティティ)の確立」である。
アイデンティティは、四つの側面から構成されるとしており、一つ目は、自己の普遍性、時間的連続性についての感覚、二つ目は、自分が目指すもの、望むものが明確になっている感覚、三つ目は、他者からみられている自分が、本来の自分と一致しているという感覚、四つ目は、現実の社会において自分を位置づける感覚である。
一先ず、その知識だけ頭の片隅にいれておいてほしいと思う。
3、小宮果穂とヒーロー
それでは、本題に入っていきたいと思う。まずは、小宮果穂の、コミュから追っていく。彼女のコミュ内で、アイドルバラエティで、質問されたときのシミュレーションをしようという話があったのは覚えているだろうか。『アイドルとヒーローと』というコミュなので、確認していただけると有難い。このコミュ内で、彼女は、「ヒーローの真似をしてたら、アイドルとしても活躍できるって!」と発言している。いろんな人を笑顔にするという点で、アイドルとヒーローに共通点を見出し、ヒーローを真似するのが良いという結論を出していた。
彼女は、この時点では、まだアイドル像を形成できていなく、そのため、既に十分な見識のあるヒーローの模倣を行ったわけである。
つまり、「アイドルとは何か」若しくは、「アイドルとしての自分とは何か」を、探している最中なのである。アイドルとしてのアイデンティティに迷いがある状態、迷走している状態と言えるだろう。まだ、彼女は成長途中である事がここから伺える。
そして、コミュ『誰かにとって特別な』では、自分が、どんなアイドルになりたいかが、明確になる場面がある。「みんなをもっと笑顔にできる、強いアイドルになりたい」
という言葉が発せられる。(選択肢で、「俺も果穂から目が離せなかったからな」を選択)
また、「果穂のことがすきだからだ」を選択することで、「アイドルとして、もっと憧れてもらえるようにならなくちゃ」、「果穂に憧れているんじゃないかな」を選択すると、「憧れられるようなアイドルになりたい。」「それで、ヒーローに元気をもらったみたいに、もっといろんな人に元気をあげられたらいいな」とも言っている。
この、「憧れ、元気、笑顔」――彼女が、今までヒーローから貰ってきたもの―を、次は与えられるようなアイドルになりたいと、明確な目標を持つことができるようになっているのだ。ここで、小宮果穂は、ただのヒーローの模倣から解放されているわけである。
自分の、アイドルとしてのアイデンティティを確立させたといってもよいだろう。
4、西城樹里のアイドル像
コミュ『ここから、アタシらしく』内で、西城樹里は、他のアイドルと自分を比較して、自分は、周りのアイドルと同じ事ができるかを気にしていた。ここで、選択肢「だったら笑わないのはどうだ?」を選択すると、彼女は、「それでは宣伝にならない」「アイドルってもっと、笑顔を振りまくもんじゃないのか」と、発言する。これは、自分が想像していたアイドル像と、自分が今プロデューサーに提案されたアイドル像に、乖離があり、疑問を抱いていると捉えてもよいだろう。
また、コミュ『輝きの可能性』では、選択肢「ちょっと柄の悪いクールアイドル」を選択すると、「アイドルとして大丈夫なのか」という疑問を抱く。ここにも、想像したアイドル像、提案されたアイドル像に乖離があったことを示唆しているだろう。
しかし、ここで、プロデューサーは、「強烈な個性」が必要であると説く。他の誰にもない「自分らしさ」の形成が大切であるとしている。
そして、樹里も、それに対し、提案に乗ってみるかということで、自分らしさを改めて焦点にしていく方針に切るわけである。
つまり、W.I.N.G樹里のコミュは、「アイデンティティを形成していく過程」を映していくわけである。
5、園田智代子と個性探求
アイデンティティの話をする上で最も分かりやすいのが、園田智代子のコミュである。彼女に関しては、W.I.N.Gのみならず。サポートカードコミュでも、アイデンティティを探求する園田智代子の一面が垣間見える。
W.I.N.Gコミュ『ビターorスイートor……?』では、チョコアイドルに飽きたと考えた園田智代子が、路線変更をするという事で、チョコアイドル以外のアイドルになろうとするのであるが、結果は、全然しっくりこないというもので終わる。
ここで、選択肢『ファンはなんて言ってた?』を選択すると、そのままの園田智代子を示すことの大切さを、選択肢『智代子が落ち着くスタイルは?』『本当は気づいてるんじゃないか』を選択すると、園田智代子がチョコアイドルだという個性を、改めて認識しているのである。
つまり、自分の個性探求(迷走といった方が良いか)の結果、チョコアイドルという個性に戻り戻ってくるという構成になっているわけである。
また、サポートコミュの話をするのであれば、「迷走チョコロード」が、園田智代子の個性探求の面を顕著に示している。
コミュ『普通の女子高生?』では、最初から、「個性ってなに?」と疑問を抱くところから始まっている。園田智代子は、このコミュの中で、パッと目を引くような個性を求めている。個性探しの旅が、このコミュのテーマになっているのである。
二つ目のコミュ『待ってるだけじゃダメ』では、雑貨屋でいろいろ小道具を買って、身に着けることによって、個性を出そうとしている。しかし、これは失敗に終わる。
そして、三つ目のコミュ『私について』において、西城樹里が、園田智代子に対し、「個性は癖があればいいものではない」と諭して、「普通に可愛いところ」を伸ばしていけばいいという結論に至った。
このコミュの結論は、W.I.N.Gコミュ『ビターorスイートor……?』において選択肢『ファンはなんて言ってた?』を選んだときに出た結論である、そのままの園田智代子を見せていくというものと類似している。
つまり、園田智代子の個性は、「普通に可愛い事、そしてチョコレート」であり、その個性を伸ばし、見せつければいいのであるという結論に至ったわけである。
6、杜野凛世と主体性
今までの三人のアイドルと、少し毛色が違うのが、杜野凛世のコミュである。杜野凛世のW.I.N.Gコミュのテーマは、主体性だと考えられる。
プロデュース初期、コミュ名で言うならば、『アイドル優等生』。レッスンに真面目に取り組み、上達している彼女を見られる一方で、社長が褒めていた事に関しては、嬉しそうにはしないで、プロデューサーに喜んでもらう。それだけが幸せなのだと言っている。
プロデューサーは、これを(アイドルに対する興味が薄いような)と評し、何かやってみたい仕事はないかと聞いた時、プロデューサーが望むことならなんでもと答える。
裏返すならば、自分からやりたい事はなく、ただただプロデューサーに見てもらえるだけが目標、という、主体性が欠けている。
『見えない心』では、アイドルとしてやりたい事が、見つかっていないのだと、会話から分かる。
しかし、『見つめる先に』で、ファンに心配され、大切にされているのだと、気づいた杜野凛世が、ファンの気持ちに応えたいという、プロデューサーのため、から少し離れた、自分の目標を立てられるようになる。杜野凛世の、やりたい事がいよいよ見つかったわけである。
主体性を獲得することができたという事である。
ここで少し話がそれるが、主体性と自我同一性の関係についてである。
先ほどに述べた、アイデンティティの四つの側面の二つ目。「自分が目指すもの、望むものが明確になっている感覚」これが主体性に大きくかかわっているのである。主体的でないというのは、相手が望むものに従う状態であるのだが、主体性を身に着けることで同時に、自分が目指すものも明確になるのかもしれない。
7、有栖川夏葉と自我同一性の拡散
有栖川夏葉は、プロデューサーとの初対面の時から、既に、「トップアイドルになる」という強い意志を固めており、『夢のために』では、実際にトップアイドルになるために、すごい努力をしているところが目にみえた。この部分だけを見るならば、アイデンティティは既に確立されており、何も問題は無いように見えるのであるが、『迷う心』において、問題が発生した。
オーディションを終えた有栖川夏葉は、レッスン場に入り、他のアイドル達の模倣を始める。ここでプロデューサーは、選択肢「夏葉らしいのが一番だ」と発言するが、ここで、彼女は、「私って何……」となる。また、選択肢「誰かの真似をしなくていい」でも、自分の事について考えてみるという返答になっており、自分を見失った様子が目に見える。
これは、心理学用語で「自我同一性の拡散」「アイデンティティー・クライシス」などと呼ばれる現象である。自分が何をしたいのか、自分が何者なのかが分からなくなり、未来への展望が持てなくなることを指している。まさに、有栖川夏葉は、自分がどうすればいいのか分からなくなり、プロデューサーも、大きな壁だ。と評しているわけである。
そして、『私は私だから』において、改めて、自分らしさとは何か。自分の夢は何かというのを認識しなおし、改めて、アイデンティティを確立したとしても良いだろう。
8、総括
以上、放課後クライマックスガールズの個人個人を見てきたわけである。彼女たちは皆、悩んでいたのである。アイドルとは何なのか、これで本当にいいのか、自分の個性とは何なのか、自分のしたい事とは何なのか、私と何なのか。
彼女たちは、そんなアイデンティティを確立するために、プロデューサーの力を借りて、努力してきたわけである。
今回は、そんな一面が、普段は我々に見せない表情が、W.I.N.Gコミュから読めるのだという事を紹介したかった。改めて、コミュを読んでみてはいかがだろうか。
参照≪心理学・入門 心理学はこんなに面白い サトウタツヤ・渡邊芳之[著]P34,118≫