9冊目 博士の長靴
ポプラブッククラブ2022年2月の本は「博士の長靴」3月発売予定の見本品という素敵なセレクト。しかも月末には特別トークも聞けるとか。休部まで1か月となりましたが、森さん気合入っていますね。案内には「人のつながりをあらためて大切にしたくなる」と書いてありましたがどうでしょう。なんとかネタバレしないように感想も交えて紹介できればと思っていましたが…今回は脱線しまくって支離滅裂になっていますね(苦笑)よろしければお読みください。
本の情報
2022年3月14日発売予定
博士の長靴 著者:瀧羽麻子
発行所:株式会社ポプラ社 ISBN:978-4-591-17329-9
装画:福田利之
装幀:須田杏奈
装幀について
どこかで見たことのある雰囲気だなと思っていたら10月の本「ほたるいしマジカルランド」の装画を担当されたイラストレーターさんと一緒でしたね。絵本を感じさせるような印象です。目次を見ると年と季節が。
これだけで世代や季節の移り変わりを感じられそうな作品ですよね。
閑話1 二十四節気
二十四節気はニュースなどで何気なく耳にしている程度で全部は知らないなと思いググってみたら、国立天文台暦計算室のページが自転と公転と合わせて図解していたりして興味を惹かれました。僕たちは自分たちが住んでいる地球のことについて知らなすぎるのかもしれません。いや僕が勉強してなくて知らないだけか(苦笑)
物語の導入について
話を本の話題に戻して。気象学の博士である藤巻昭彦の家に使用人としてスミが勤め始めるところから物語は始まります。この博士がすごく変わり者っぽく描かれていながらも愛されているというか…僕は長靴のプレゼント素敵だなと思いました。この博士の家族や周りを取り巻く人たちが描かれていきます。この特別じゃないのに心惹かれる雰囲気があるところが素晴らしい作品だと思います。
閑話2 好きなことをする
そういえば藤巻博士の姿を想像していると、2021年ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎さんが「私はまわりと調和して生きることができない」と語ってらっしゃっていた姿が思い出されて重なります。そんな真鍋さんの奥さんは作中のスミのような人なんだろうかとも想像したりしました。
僕は真鍋さんの受賞時のインタビュー聞いていて日本の息苦しさに共感した部分もありました。日本の仕組みが人々の想いについていけなくなっているところも感じながら、国の垣根を越えて好きなことをされる姿に素敵だなと思いました。
自分はなかなかできないからかそこまで好きなことがないからか、好きなことを好きなようにされている人を見るのは心地良いと最近特に思います。人生の折り返し前の今更ながらあわよくば自分もそうなれればとも。
読後最初の印象について
なんの違和感や疑問も頂かずさらっと読み終わってしまって「あれっ?なんだろうこれ」っていうのが最初の感想でした。いや博士やスミの様子に心がふわふわしたり、和也や成美が心配になったり、玲の様子にほっこりしたり。思うところがなかったわけではなかったんです。でも不思議なことに複数世代の家族のつながりが描かれているのに、そのつながりだけを描きたかったわけではないのかなとも感じていてちょっともやもやしていました。いつもどおり僕が変な風に受け取ってしまったんだろうかとも感じながら。
閑話3 もやもやの謎
自分の感想ながらこのもやもやを消化できないのは気持ち悪いなと思っていました。数日たってなんとなくもやもやの謎が解けてきました。というか描かれていたのが、家族や近所といった調和をもたらすつながりでもやもやしていたんだと思います。
天気を操ることができないように、自然も家族や周囲の人も無理に変えるようなことはできない。あるがままに受け入れていくことが必要なのかもしれないとそう思ったとき、もやもやが晴れてきたと思いました。
博士の長靴
博士の長靴は、天気をそのまま受け入れる、悪天候に備えるというものの象徴のように感じました。そしてその知恵を後世に残すつながりでもあり、雨の中踏み出していくために必要なものでもあるとも。
僕たちはもやもやするような曇りで今から雨になりそうな、あるいは雨が降っているような、そんな世の中で生きているような気がしています。感染症のパンデミックや争いといった過去から繰り返されてきた歴史に加え、温暖化という地球レベルの問題もあるし、地域レベルの自然災害もある。ちょっと辛いような気もするけれど、でもそんな雨の中でも長靴を履いて踏み出していかなければならないんだろうなと思いました。そんな風に思ってしまうのも雨がネガティブなイメージが強いせいでしょうね。そんなことはないはずなのに。気圧の変化で体調は崩しやすい気はしますが、僕自身は雨は嫌いじゃないんです。晴れているよりも雨の方が空気が優しい気がするんです。(蛇足:雨のことを書いていたら間埜心響さんのザ・レイン・ストーリーズという本を思い出しました)
気まぐれな空合い
子どもの頃はみんな長靴履いて水たまりにわざわざ入って行ったり傘もささずに雨の中飛び出して行ったりしてましたよね、いつからでしょうね、そんなことしなくなったのは。空色の長靴を想像してそんな風なことを思いました。天気の象徴である長靴が空色というのは本当に素敵だなと思います。
晴れの日に長靴を履いて出かける変わり者だっていたっていい、みんな願っていることは一緒だったらいい。多様化というのは陳腐な表現な気もしますが、気まぐれな空の下生きているのは、地球からすればそらと同じ気まぐれな人類なんだと思います。ちょっと考えすぎかもしれませんが。そうした意味では、視点が変わるような1988年と1999年の部分はあえて挿入された重要な部分だったのかなとも感じています。空合いも人の心も同じように気まぐれにうつりゆくものだとしみじみとして。(蛇足:空合いと書いていたら、永山千紗さんのソウルハザードという本を思い出しました)
詩:長靴
この本を読んでいて思いついた言葉をつないでみました。瀧羽先生の作品の意図とは違うのかもしれませんが…
長靴を履いて
雨の中うれしそうに出かけたのは
いつまでだったろう
雨に濡れるのが
嫌になったのは
雨が降り続けているような
世の中だけど
出かけていこう
心の足に長靴を履かせて
知恵と愛をつなげるための
心の手に本という傘を持って
瀧羽麻子さんの作品について
乱読でジャケ買いの多い私には珍しく今回が5冊目という縁。せっかくなので読んだ分だけでも瀧羽先生の作品を紹介させていただこうかと思います。
瀧羽麻子さんという作家さんを知ったのは、光文社さんの連作集「乗りかかった船」をタイトル買いしたのがきっかけ。読んでちょっと胸が熱くなったのがはじめだったなぁと思い出しました。サラリーマンには興味深いお仕事小説で、再読したい本です。
その後、幻冬舎さんの「ありえないほどうるさいオルゴール店」をタイトル買いして泣かされました。「もどかしいほど静かなオルゴール店」もそうですが、心がふわっとするシリーズでおススメです。一番最近読んだのは「いろは匂へど」で、これは京都が舞台の大人な?恋の物語ですが、その恋には賛否両論あるかもしれませんね。
それぞれ一見まったく違う印象ですが、「瀧羽先生だな」と感じられます。どこが漠然としていて僕にはうまく説明できないのですが、文面や視点など違うようで共通点があるのだと思います。ご興味があれば手に取ってみてはいかがでしょうか。