マタイの福音書3章16〜4章7節 「それでも神の子?」 2024.2.4 守谷キリスト教会礼拝説教要約
福音は私たちを力づけます。
そもそも福音とはなんでしょうか?
聖書には「福音とは…御子に関するもの。御子はキリストです」(ローマ1:2-4)とあります。
福音とは、イエスが誰であるのか、イエスが何をなさったのか、
それによって世界がどのように変化したのかを語ることです。
イエスが洗礼を受けた時、
彼は父なる神から「わたしの愛する子」という約束を受け取りました。
しかし直後の荒野において、悪魔はこのイエスの確信を奪おうとします。
かつてイスラエルの民たちが荒野を旅した時、
彼らは奴隷として生活していたエジプトを
お腹いっぱい食べられた場所として美化しました。
このように、
石をパンに変える誘惑とは、
最悪で思い出すこともしんどいような経験について、
色々な考え方によってポジティブなこととして
言い換えようとすることかもしれません。
しかしイエスは石は石のままで放っておかれました。
神の口から出る一つ一つの言葉は、周りの石をパンに変えるよりも先に、
まず私たち自身に語られるのです。
愛されていることを土台にして、
私たちは周りの石を見つめることができるのです。
そして2つ目は、神を試みるという誘惑です。
それは神について自分の基準で合否を判定することです。
それは、本当に自分は愛されているのか?という疑いから始まります。
アダムとエバは、
神が本当に自分にとって最善のものを備えているかどうか疑い、
悪魔の誘惑に負けたのです。
私たちは誰もが、このアダムの敗北による罪の影響を、
人間性の深いレベルで受けています。
愛したくても望んでいるように愛することができません。
そして誰かの罪の犠牲者で、傷も癒えていません。
だからイエスが誰であり何をなさったのかが福音なのです。
アダムに始まり、
人類の代表であるイスラエルも負けた悪魔との戦いにイエスは勝利しました。
この方に目を向ける時、
私たちもまた神に愛されていることを確信し、
愛による応答を選び取ることができるのです。
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