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聖餐式とは?  イザヤ書25章1〜9節契約を守ってくださる神13「いのちの食卓への招き」 2022.11.13 守谷キリスト教会礼拝説教

今日の箇所で、
預言者イザヤは遥か先の将来、
やがて神の国が完成した時の喜びと祝宴を描いています。

罪によって
神から離れてしまった私たちと、
またもう一度共に歩むための
「昔からの不思議なご計画」を、

神はイスラエルとの契約を真実に守ることを通して成し遂げられましたと、
イザヤは賛美しています。


イエス様が与えてくださった新しい契約に、
私たちは今日も加えられています。

その祝福を覚え続けるために
イエス様ご自身が聖定されたのが、
聖餐式です。

パンは、十字架で裂かれたイエスのからだ、
ぶどう酒は十字架で流されたイエスの血を表します。


聖餐式は、
①過去において
イエス様がすでに十字架の上で救いのわざを完成させてくださったこと。

②現在において、
私たちは新しい契約に入れられ、
キリストのからだに連なる一つの家族であること。

③将来において、
完成した神の国であずかる喜びの食卓があることを、

私たちに伝えます。


聖餐式で与えられる体験は一体何であるのか。

キリスト教史の中で様々な議論がなされてきました。
私たち「メソジスト」と呼ばれるグループの伝統では、
聖餐式とは恵みを伝達する手段として、
解釈され大切に守られてきました。

聖餐式は、主が再び来られる時まで、守られ続けます。

私たちは未だ、神の国の完成を見ていない時代を生かされています。

この私たちの時代について、
イザヤは「ベール・覆い」がかぶさっている状態として描きます。

聖餐式の真の意味についても、
実はまだ覆いがかかっている状態でもあるのです。

ですから、
聖餐式は私たちが様々な機会にする芸術体験に似ていると言えます。

芸術を鑑賞して、
言うに言われぬ感動を覚えることがあります。

言葉では表現しきれない何かを
芸術によって伝えられて受け取った時の体験に、
聖餐式の体験は似ているのです。


言葉に言い表すことのできない恵みをも、聖餐式は伝えます。


やがて、神の国で食卓につく時、
かぶせられていた覆いが取りのけられます。

その時私たちは、
「ずっと守ってきたことは、こう言う意味だったのだ!」
と知ることになるのです。

この食卓には癒しと喜びがあります。
神の審きは、私たちからすべてを奪い去る死をも飲み込みます。

神の審きは失ったものをもう一度取り戻してくださる審きです。

すべてが新しくされます。

この希望に、私たちは聖餐式を通して招かれているのです。

本日の説教を振り返るために

あなたが諦めている喜びはありますか?聖餐式は何をあなたに語るでしょうか?


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