使徒の働き8章4〜25節「お金で買えない祝福」 2023.8.13 守谷キリスト教会礼拝
自分をより偉大にしてくれそうなもの、
思いもよらない不思議なこと、そして憧れ。
私たちの関心は次から次へと移り変わります。
今日の箇所で、
サマリアの町の人々は魔術を行うシモンに関心を寄せていました。
彼は「偉大な者」として振る舞い、町の人々も彼を認めていたようです。
しかし真に「偉大なもの」、
すなわちピリポを通して語られたイエスの権威と神の国、そしてそれが真実であることを示すようなたくさんの不思議に、
町の注目が移ります。
悪霊が追い出され、病気の人々が癒やされ、町中が喜びに溢れました。
それは、シモンが魔術によって人々を驚かせることで
もたらしていた結実とは明らかに違うものでした。
シモンは洗礼を受け、ピリポに付き従うようになりました。
しかし自分を偉大に見せようとする思いは
「苦い悪意と不義の束縛」として彼の中に残ったままでした。
その心は、聖霊を人に与える権威を金で買おうとした態度に現れます。
私たちも大きな力が最短で得られるのであればそう望むことがあります。
「~のための10の方法」とか「~が9割」というタイトルを聞けば、
それに飛びつきます。
彼にとって聖霊とは自分を偉大にするための道具や手段にすぎなかったのです。
聖霊こそが、私たちの霊的な祝福の源です。
しかしこの方を金で買うことなどは絶対にできないません。
お金で買うにはこの方は高価すぎるからです。
そのために必要な代価は、神ご自身の命であり、
イエスの十字架によって支払われました。
だからこそ、聖霊はただ賜物としてのみ、私たちに与えられます。
そしてこの方によってのみ、
私たちは新しいいのちと祝福に歩むことができるのです。
イエスの弟子であるヨハネが使徒の働きに登場するのは、
実はこの場面が最後です。
ヨハネはかつてイエスと旅をしていた時、
イエスを受け入れなかったサマリアの町に対してこう発言したことがあります。
「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
(ルカの福音書9章54節)
イエスから雷の子とあだ名されるほどに怒りやすい気性だったヨハネを、
サマリアの町に「滅ぼすための火」ではなく「聖霊の炎」を与えるために、
神は用いられました。
クリスチャンになっても何が変わるわけでもないと思ってしまうならば、
私たちの側に、神の祝福をとどめてしまっているような思いがあるのかもしれません。
神は私たちに、
私たち自身を作りかえる聖霊を存分に働かせたいと願っておられるのです。