ルカの福音書8章26〜39節「勝利されたイエス様の方へ」 2023.4.16 守谷キリスト教会
ルカの福音書8章26〜39節
「勝利されたイエス様の方へ」
悪霊について言及すると、カルト宗教のような印象を持つでしょうか。
福音書にはしばしば、
イエスが悪霊につかれた人を助けたという記事が載っています。
私たちはこれらの記事について、「神話」として理解に矮小化してはなりません。C.S.ルイスという神学者は、サタンとも悪魔とも呼ばれる存在への態度として、
まるでいないかのようにして見くびることも、
反対に過度な関心を寄せることも、
両方ともが愚かな態度であると言っています。
イースターは、サタンや悪霊に対して、
十字架で死なれたイエスの復活によって、
神が完全な勝利を宣言された日です。
ゲラサ人の地で、
イエスと弟子たちを出迎えたのは墓場に住む悪霊につかれていた男でした。
悪魔や悪霊は、神が私たちのために備えてくださったあらゆる良いものを破壊する霊的な存在です。
しかし私たち人間もまた、
目に見える肉体を持った存在であると同時に、霊的な存在でもあります。
レギオンとは、ローマ軍の1つの軍団という意味で、
4000から6000という数です。
それほどまでに多くの悪霊を内側に住まわせることができるほどに、
実は私たちは奥深く複雑な存在として造られているのです。
「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている」と言われるように、
復活されたイエスは私たちの内側に迎え入れられることを望んでいます。
町や里に住んでいたゲラサ人たちは、一見平凡そうに見えます。
しかし彼らは神に対して無関心でした。
もちろんサタンとは付き合わない。
でも、神様とも良い距離感で保ちたい。自分の力でうまくやっていきたい。
このような他のゲラサ人たちの姿は、私たちとも重なるのではないでしょうか。
神とサタンとの間で上手に立ち振る舞えるということは、有り得ないのです。
ゲラサ人たちはイエスの受け入れを拒否しました。
悪霊はその地に残り、イエスは去っていかれました。
イエスは無理やり自分を押し付けることはなさいません。
しかしその地に、かつて墓場で孤独だった男を証人として残していかれました。
それは、
まだイエスのことを知らない家族の中で、
ただ一人証をし続けるあなたのことです。
職場の中で、
証のために誠実に仕事に取り組みつづけるあなたのことです。
誰かの相談に乗って、
その人の信仰の回復のために心を合わせて祈るあなたを通して、
イエスは彼らの扉を叩き続けます。