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ルカの福音書4章1〜13節「痛みを受け取った先にあるもの」 2023.2.5 守谷キリスト教会礼拝

困難や理不尽さが私たちを襲う時、
私たちはその原因を問い、意味を求めます。

聖書はその原因の一つとして、
悪魔という霊的な存在を示唆します。

私たちの世界の背後には悪の力が確かに存在し、
私たちの日常生活や人間関係を含めたあらゆる領域に対して
影響を与えているのです。

アダムとエバは、この地を治めることを神から委ねられたにも関わらず、
悪魔からの言葉に騙されてしまいました。

それによって世界に罪が入り、
アダムに連なる私たちを恐れと死が支配するようになったのです。
(Ⅰコリント15:22,47)


イエスは人々の前で公に活動を開始する前に、
まずこの悪魔と対決されました。

ただしその戦いは、神と悪魔の力比べではありませんでした。

不思議なことに、
イエスが人間として、
神としての力や権威をいかに自制されるかがこの戦いの鍵だったのです。

「あなたが本当に神の子であるなら、このような方法でその力を見せてみなさい」という悪魔からの提案は、

私たちが想像するよりは、
イエスにとってずっと魅惑的だったのかもしれません。

なぜなら悪魔はその後2回、
ペテロや十字架を見物する群衆を通して
同じような提案をイエスにしているからです。

しかしその度にイエスは、
父なる神こそが最善を知っておられると信じ、従われました。

これこそが、神がかつてアダムに期待していた従順さだったのです。

アダムに代わって、
子なる神ご自身がイエスという1人の人間として受肉され、
この世界のあらゆる悪をその身に負われ、
死にまでも従われたのです。

父なる神はこの方を高く上げて悪への完全な勝利を確かなものとされました。

この荒野での誘惑に勝利されたイエスは、
神の国がこの地において広がりつつあると宣言し、
宣教を開始しました。

そして、
天に属する新しい人間の生き方や価値観を、
公生涯の中で示されたのです。

確かに、私たちは今日も何らかのことに痛みを覚えます。

しかしその苦しみがどんな種類のものであれ、
もはや死で終わるものではありません。

やがて大きな喜びが与えられる産みの苦しみでもあるのです。

聖霊によって、この新しい内なる人が、新しい1週間にも形作られますように。

本日の説教を振り返るために

1.困難の中で、自分の考える解決策と、神に従うことがぶつかることはありますか?


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