マタイの福音書4章8~17節 「この世界、いくら?」 2024.2.18 守谷キリスト教会礼拝説教要約
『お宝カーマスターズ』というリアリティ番組があります。
価値のない、あるいは安い車を手に入れて、
それに熟練工の技を加えて生まれ変わらせて価値をつけ、
顧客に売り、
その資金を元手にして扱う車をステップアップさせていく構成に、
私は惹きつけられます。
値段交渉の場面で、
売り手はできるだけ高く、
買い手は安く交渉をしようとします。
荒野において、
悪魔とイエスはこの世界にどれほどの価値があるのかを話しています。
通常の交渉と逆なのは、
悪魔は安い価値に見せているのに対して、
イエスはご自分のいのちという価値をこの世界に見積もっておられることです。
悪魔はイエスに「この世のすべての王国と栄華」とを見せました。
幻を見せたと解釈して良いでしょう。
当時の王宮の生活や娯楽を見せたのかもしれません。
しかしそれら華やかなに見える世界や人々のことも含めて、
預言者は
「闇の中に住んでいた民」、「死の影の地に住んでいた者たち」(マタイ4:16)と
表現しています。
イエスはこの世界のことを、幻ではなく、
実際に肌に感じて手で触って、知っていました。
彼はカペナウムという町に住みました。
バプテスマのヨハネが義のために迫害されているニュースを聞いていました。
ガリラヤ湖を歩いて、弟子を招かれ、
そして会堂にやってきた人を教えました。
イエスの目には、病を含めたさまざまな問題課題に苦しむ人、
そしてその人たちを連れてきた憐れみ深い人たちが映っていました。
この彼らのことを指して、
イエスは山の上で「幸いなるかな(5:3-10)」と語られたのです。
それは光であるイエスがこの世界に来られたからです。
悪魔はイエスを安っぽい偶像礼拝でこの世界を変えられると誘惑しましたが、
イエスは神による高価な値付けを知っていました。
すなわち、十字架によって、ご自分のいのちを代価として、
この世界を贖うことです。
このイエスのうちに、私たちは「光を見る(4:16)」のです。
そしてイエスは私たちのことを「世の光」と呼ばれました。
悪魔は私たちにも、もっと簡単な、
安っぽい偶像によって世界をより良くせよと誘惑してきます。
私たちはまず神を礼拝し、
イエスに目を留め、聖霊の助けをいただいて今週も歩みましょう。
私たちを通して、今週も天の父が崇められますように。