ヨハネの福音書21章1〜17節「愛したいけど、愛せない。」 2023.5.7 礼拝説教
愛したいけど、愛せない。
私たちが人間関係に真剣に取り組もうとするときに体験する
葛藤ではないでしょうか。
神は私たちを、
神・隣人・自分自身を愛し大切にする存在としてデザインされました。
三位一体の交わりを持つ神ご自身に似せて、人は造られたのです。
だから、「人が1人でいるのは良くない(創世記2:18)」と言われたのです。
しかしここに罪が入ってきたことによって、
神との関係が崩れ、その結果、他者との関係も、自分自身との関係も崩れました。
だから私たちは自分の愛を不適切な方向に向けてしまい、
不全感に悩まされるのです。
イエスの十字架の受難に直面したペテロも、
愛したくても愛せないという現実に直面しました。
それまでの彼は、誰よりも自分がイエスを愛してみせる、
忠誠を貫いてみせると息巻いていました。
金持ちの青年がイエスについて行くことができずに立ち去った時には
「自分は全てを捨ててついてきた」とアピールし、
十字架の前夜には
「皆がつまずいても自分だけはつまずかない」と宣言したのがペテロです。
しかし彼のそれらの決意は、大きな試練の前に崩れ去りました。
イエスはペテロに三度、「私を愛しますか?」と尋ねました。
「アガペー(無条件の愛)で愛しますか?」という問いかけに、
ペテロが「フィレオー(条件付きの愛)で愛します」と答えたことには
意味があると思います。
「自分のもっている愛は弱いのです。つまずくのです。
しかし、それでもあなたに向けた愛であることはあなたがご存知です。
愛したいけど、自分の決心のみでは愛せないのです。だから助けてください。」
このペテロの告白に、味わい深さがあります。
愛したいけど愛せないという葛藤を自覚し、
告白することから、私たちと神との本当の関係はスタートし、深められるのです。
聖霊は、私たちが十字架の大きな愛で愛されていることを、
魂の最も奥深い部分に染み渡らせてくださいます。
これこそ
ペンテコステの日に私たちの心の奥深くに住むようになってくださった
聖霊の重要な働きです。
愛されていることを根っこが知ったからこそ、
私たちは愛する花を咲かせることができるのです。
今週も遣わされているそれぞれの場所で、
いつまでも残る愛によって、神の国が建てあげられますように。
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