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文章の仕事の話

 辛いことも苦しいこともあったけど文章の仕事やってて良かったな、という話。今回も長いです。

 一番最初のノートでニッチな界隈で文章を書いてお金を貰っているということを少し書きました。今はウェブライター業の方も沢山いるので、その類かなと思われた方もいるかもしれませんが、私はああ言った記事を書くのではなく、お客様からの依頼で掌編小説を書いています。

 この仕事を始めてもうすぐ10年になるのですが、仕事中に楽しいと思ったことが私は1度もありません。楽しくないわけではないと思うのです。私は飽きっぽいので楽しくもない仕事を10年も続けるわけがないのです。前回お金の話をしたので、お金の為では? と思う方がいるかもしれませんが、私がちゃんとお金を頂けているなと思えるようになったのはここ1、2年くらいの話です。それまでは、依頼が少なく月に1000円にも満たないような額しかもらえていませんでした。まあ、それはイコール依頼がごく僅かだったということなので、それで仕事を続けていた、と言うのはおこがましいのかもしれませんが。

 私の記憶で初めて物語を書いたのは小学校3年の夏休みの一研究でした。元々本を読むことが凄く好きで、それまでも空想や妄想は好きでよくしていました。これも、母親から「凄く小さい時から絵を描いてはこれはこう言うお話でね、と教えてくれていた」という話を聞いて、やってみたというだけの話です。別に誰かに自分の物語を読んで欲しいとかそう言った気持ちはなかったように思います。当時、小学生が書いた児童小説がテレビなどで取り上げられたりもしていたので、自分もやってみた。ただそれだけ。まあ、そんな作品ですから、正直親を含め誰も評価などしませんでしたが、ちゃんと表紙や裏表紙、挿絵なども小学生なりにではありましたがつけて出来たものはそれなりの満足感があったと記憶しています。

 そこで自分の思い描いたことを文章にする楽しさに目覚めたのでしょう。私はそれからノートに自分の物語を書くようになりました。そのノートは残っていないのでどんな話を書いていたかも覚えていないのですが、大学ノート1冊でも終わらずそのまま未完となった程の長編でした。何故内容も覚えていないのに1冊は超えているというのかというと、2冊目のノートを開いて書き始めた瞬間を覚えているからです。

 それは大学に入るまで続き、高校では所属していた漫画研究部が文化祭で発行していた部誌に小説を毎年載せてもらっていました。その時が多分私の文章を書くのが楽しいと思うピークだったのでしょう。〆切前などは毎晩徹夜で原稿をやっていましたがそれすら楽しかったのを覚えています。

 しかし、大学に入り私の創作活動から楽しいと思う気持ちが消えてしまいました。その頃慣れない1人暮らしや、自分が生きてきた世界と世の中のギャップ等に打ちのめされ私はうつ病になりました。それでもペースこそ遅くなりましたが創作活動は続けてはいたのですが、楽しいと感じることはなりました。きっと、その当時の私にとって創作活動は現実逃避の手段になっていたのでしょう。完成するまでその物語の事しか考えられなくなったのです。また、その当時から私の書き方は先の展開を考えながら書くという一般的に考えられる小説の書き方ではなく、今想像の中で起こっていることを文章という形で出力するという書き方に変化しました。その為か、私の書く物語は掌編程度の長さになり、文章の拙さから散文的なものになりました。

 しかし、私はそれで構いませんでした。私は小説家になりたかったわけでも、誰かに褒めて欲しかったわけでもなく、ただ、自分の頭の中に浮かんだ物語を文章にしたかっただけでしたから。いや、褒めて欲しいわけではない、というのは嘘ですね、本当は褒めて欲しかった。でも、一番褒めて欲しい相手であった親はいつも「お前の文章なんて……」と読んですらくれませんでした。だから、諦めたのです。自分の文章には誰かに読んでもらう価値などない、と。親に褒められたかった理由などは長くなるので別の機会にします。

 そんなことを続けていた私にもいろいろなことが起こり、最終的に私は実家の自室に半引きこもりのような形になりました。遊びには行きたいのですが、誘われてもお金がないから行けない、という日々。新しく何かしようという気力もわかず、やりたいこともやることもなく、頭が回らないので物語も浮かばない。そんな時、知人が今の仕事をやってみないかと私に言いました。全く知らない界隈だったのですが、まあ誘われたし……。位の感覚で試験を受けると何故か合格。私はそこで掌編を書くことになりました。とは言え、昔からのユーザーが多いそこで完全な新参者、しかも文章の勉強などしたこともない私にお客さんがつくはずもありません。それでも、ごくたまに来た依頼を必死でこなしました。頭の中でうまくイメージできなかったり、文章がしっくりこず、2000文字程度の内容に10時間以上かけることも珍しくはありませんでした。過集中の弊害でその間は飲まず食わずで席からも立たないので、真夏は熱中症になりましたし、真冬は暖房の付け忘れで指が黒くなることもよくありましたし、自分のその時精神状態とは全く関係ない物語を書くせいか、完成する度に体調やメンタルを崩していました。でも、惰性なのか何なのか辞めようとは思いませんでした。

 そんな状態が何年も続いていたのですが、あるきっかけで私は実家から出ることを決意します。これもまたいずれ機会があれば書きますが、私のその当時の病名は適応障害。適応できていないのは家族との関係だと医師から言われました。少しずつ2年ほどかけて家から離れるにつれ私の頭はちゃんと回るようになっていき、それに合わせて依頼も少しづつ増えていきました。

 もう文章を書くことは私にとって現実逃避の手段ではありませんが、今も文章を別に楽しいとは思えません。その物語に入り込みすぎてそんな余裕はないのです。書きあがると本当にぐったりしますし、頭の使いすぎで頭痛や酷い時は吐き気もします。でも、やっぱり今の仕事を辞めようとは思っていません。それは昔のように惰性のような何かではなく、私の文章を読みたいと思ってくれる依頼者に私の今書ける精一杯を届けたい、と思えるようになったからというのもありますが、書きあがった瞬間の達成感と満足感が酷く心地よいからだと思います。

 もし、大学時代、趣味が現実逃避に変わったあの時筆を折っていたら、もし、ごくまれに依頼が来る度体調を崩していたあの時筆を折っていたら、今私が感じている感覚を味わうことはなかったでしょう。そう言った意味で私はこの仕事を続けてきてよかったな、と今思っています。

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