今年もこうして終わっていく
今年もあと十数時間。明日になれば来年。が、私にはそんな感じが全くない。昔、実家にいた頃はそれなりにあったのだが、今の生活を始めてからなくなってしまった。
我が家は世間のイベントに一切のらない。バレンタインデーやホワイトデーに贈り物をしないし、ハロウィンに仮装をしない。クリスマスのプレゼント交換も、ケーキも豪華な食事もない。そんな我が家なので、勿論年末年始も何もしない。といってもまあ、一応大掃除というかいつも気になっていても出来ていない場所の掃除をしたりはするがその程度だ。
だが、我が家がそう言った行事に全くのらないからと言って社会的には年末なわけで。銀行もいつも行くスーパーも、通院している病院もお休みになるので、そのつもりで動かなくてはならないし、今年の内に済ませなくては、という気持ちなのかイレギュラーな用事というかお誘いも増える。
寒いことや、日照時間が少なくなることも相まって冬は鬱になりやすい時期だというのに、それに加えて12月というだけでタスクが増える。忙しいのやあれこれ考えるのが苦手な私にとっては地獄だ。いつもよりひどい鬱のままいつもよりハードなスケジュールをいつもと同じ顔をしてこなす。酷いストレス以外の何物でもない。
私にはストレスが溜まると脳が動かなくなるという性質がある。まあ、普通みんなそうだと言われればそうか、となるが多分その点に関して私の耐性は凄く低いのだろうと思う。それに加えて何をしてもストレスが発散出来ているのか分からない。世の中にあるストレス発散法というのを色々試してみたのだが、心が軽くなった、気持ちが楽になったという経験がないのだ。何をしても常に罪悪感と虚無感が付きまとう。
こんなことは時間や金の無駄だ。
こんなことよりやるべきことがあるだろう。
こんな事をして意味があるのか?
そんな気持ちがぬぐえない。
実家では無駄なことも、しなくてはならないタスクや仕事を処理し終える前に自分のしたいことをすることも、親の目から見て意味がないことも悪とされていた。
それが正しいわけではないと今は分かるが、それでも心に根付いたその思想からはまだ逃げ出せない。
これだって、多分親の目からしたら意味はないだろう。私は自分の感情や思考の整理と言語化のトレーニングを兼ねてやっているつもりだが、彼らに言わせればそんなことはアウトプットせずに出来て当たり前なのだから。
悪い方向にばかり考えてしまう、嫌な記憶ばかり思い出すというのは鬱になったことのある人なら経験したことがあるかもしれない。私も例外ではなく、12月は嫌な記憶ばかりが蘇って全ての物事を悪い方へ考えてしまう。空気が読めなくて叱られたこと、感情を上手く言語化できずに嘲笑されたり怒鳴られたこと、何気なく言った1言が相手の逆鱗に触れたこと……。思い出すのはそんな事ばかりで、その時からどれだけ成長した? 何も変わってないだろ、という声が頭でする。もうこうなると何もしたくなくなるし出来なくなって部屋の隅で膝を抱えていたくなる。執筆の仕事もあるし、バイトもある。日々の家事もしなければ。どれも私の仕事だ。やりたいことがあるなら仕事を終わらせなくては。
それに、どんなに悩んでも苦しんでも過去は変えられないし、不安に思っても未来は分からない。一時的に逃避しても何も解決しないし気持ちも晴れない。むしろ落ち込んでいくだろう。つまり意味がない。意味のないことを意味がないと知りながらやるのは悪だとまではいかなくてもよくないことだ。
来年はもう少しまともな、普通の人が普通にできることが出来る自分になれますように。そうすればもう少しだけ楽になれるはず。
最終的な結論としてそんなことを考えながら今年も終わっていく。