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希望の灯り

発達障害の就労移行支援を行っているKaienという企業がある🏢

息子がアスペルガーだとわかって講演会にいくつか行ったが、Kaien代表の鈴木さんの講演会もその一つだ🎤

正直、どの講演を聴いてもピンと来るものがなく🤔❓

どの本を読んでも「なるほど!素晴らしい!」という感想が持てなかった

その結果、妻と相談しながら、自己流で育てることになり現在に至る

そういえばKaienの鈴木さんって、当時どんな内容しゃべってたんだろうと思い、ホームページをのぞいてみた(以下、転載)


株式会社Kaien 共同創業者・代表取締役
鈴木慶太
東大経済学部卒 元NHKアナウンサー


代表メッセージ
「発達障害との出会い」

3歳だった息子が発達障害とわかったのは、2007年8月。私がMBA留学の為に渡米するたった2日前のことでした。そのときは本当にショックでした。涙が勝手に出てきてとまりませんでした。なんでもっと早く気づいてあげられなかったのかと自分と妻を本当に責めました。

診断当初、まず思ったことは、子供の分まで稼がないといけないなぁということです。何億円かわかりませんが、息子がまったく就職できなかったとしても不自由のないよう、とにかくお金を稼ぐことに集中しようと思っていました。

しかし数週間、数ヶ月経ち、心が落ち着いてくると、なにか違うと思い始めました。お金が用意できて、彼の周りに冷たい世間との「塀」を張り巡らせることが出来たとしても、本当に彼は満足できる一生が送れるのかなぁと考えるようになりました。

社会に貢献する人間になってほしいし、なれるはず。それが息子の生きがいにつながるであろうということです。特に発達障害のことを知れば知るうちに、類まれな能力を上手く活用する手段があるはず、と感じるようになってきました。


なるほど~🤔
当時、講演を聴いてもピンと来ない理由が分かりました
特に違和感を覚えたところを抜粋すると


  • 本当にショックでした

  • もっと早く気づいてあげられなかったのかと自分と妻を本当に責めました

  • 子供の分まで稼がないといけないなぁ

  • 彼の周りに冷たい世間との「塀」を張り巡らせることが出来たとしても

  • 社会に貢献する人間になってほしいし、なれるはず。それが息子の生きがいにつながるであろう

  • 類まれな能力を上手く活用する手段があるはず


さらに解釈して時系列にすると

診断前、息子が少し違うという認識ゼロ

診断直後、妻を責める

障害者への差別意識

障害者は囲って食べさせないといけない

こんな風に思ってたのかなと私は感じました
そして鈴木さんの最終的な結論が

社会貢献しないと生きる意味はないが、発達障害で才能があるはずだから、能力を上手く活用すれば社会貢献できて生きがいを持てるはず

少々拡大解釈かもしれないが、私は文章からはそう感じるし、最終結論でさえ違和感満載😖

Kaienは発達障害の就労移行支援を行う立派な企業で、多くの方を幸せにしていると思うが、違和感を覚えちゃうものは仕方がない

社会貢献しないとダメですか?
生きてるだけじゃ価値がないんですか?
それはあなたが特筆した経歴の持ち主だからですか?

なんだか蓮舫議員の口調💢になってしまったが、そう思ってしまうものは仕方がない


いや、わかってますよ

自分の方が変だってことは💦

診断を突きつけられた反応や感想として、至極真っ当

至って健全

だって「代表メッセージ」として未だにホームページに掲載されている

変だと思ったら載せないわけで

むしろ「代表の崇高なお考え✨」ってこと

自分とは違うってだけで、彼をディスる意図はない🙇

我が家でも、息子がアスペルガーだとわかった日の夜

妻は号泣してました😭

きっと絶望の淵にいたのでしょう

「これから大晴をどうやって育てていけばいいのっ!!!」

泣いて泣いて

喚いて泣いて

悲嘆に暮れるとは、こういうことを指す言葉なのでしょう

当時のボクには、かける言葉など見つかりません

妻の心が落ち着くまで、ただそばで見ていました

彼女を覆う絶望の闇が少し明るくなるまで

ただひたすら見守っていました

少しだけ落ち着きを取り戻した妻が

「これから大晴をどうやって育てていけばいいの」

ボクにそう問いかけました

あるいは、問いかけたのではなく

独り言のように呟いただけなのかもしれません

絶望の中、前向きになれるような言葉が

返ってくるとは思ってなかったでしょうから

胸の中にはいろいろな想いがあり、伝えたい言葉もたくさんありました

人はレッテルを貼ってしまうし、色眼鏡で見てしまいます

子どもが障害者と告げられ、動揺していることは分かりますが

妻には、我が子をそんな風に見て欲しくなかった


でもこの気持ちを、そのまま言う訳にはいかない

何と伝えればいいのだろう

そう思ったとき、ボクは咄嗟にこう言いました

「障害者を育てるんじゃなくて、大晴を育てるんだよ」

妻の雰囲気が、少しだけ軽くなった感じがしました

ボクは続けて

「障害者だろうと何だろうと、大晴は大晴!

この子を立派な大晴に育てるだけだって思ってるけど」

妻は涙ながらに

「そうだよね、そうだよね!

大晴は大晴だよね!!

大晴を育てればいいんだよね!!!」

と言いました

そして、二人で号泣しました😭

その日から

闇のはるか先に、少しだけ光る灯りを頼りに

夫婦二人三脚で

「立派な大晴を育てる」

という道を歩き始めました

あのときは、はるか先にポツンと見えていた灯りですが

息子が18歳になった今、目の前にその灯りがあります✨

学校が好きな、普通の高校に通う少し変わった高校生👨

自慢の息子は希望の灯りになりました

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