世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム①
アマンダとして舞台に立つソワレ
薄暗い、舞台袖で私は自分の出番を待っている。
袖に控えるスタッフの背中。
緞帳を束ねているロープ。
書き割を押さえる黒褐のシズ。
そこに現実が確かに見えている、
でも私の身体は半ば物語の中。
一歩踏み出せば、私は役として生きることができるという確信が身体の中心で熱い。
既にトム役のマサはプロローグを始めている。
彼の声が私をさらに物語に引き込む。
私はあのテーブルからトムを食卓に呼び戻す。
そして、人生というものの厳しさと私の愛を彼に教えたい。
アマンダとして。
まさか、あんなに憧れた「ガラスの動物園」を、そして、絶対に自分には理解不能と恐れたアマンダをこの大舞台で演じられるとは夢にも思わなかった。
あの日、あのドアを叩いた自分を褒めてやりたい。
女優を止めようと言い聞かせた夜。
だからと言って、記者会見があるわけでもニュースになるわけでもない。
ただ、静かにちっぽけな夢が終わっていくだけ。
世界に一粒の影響も与えない。
電車にゆられ、どんな感情も起きない人生の転換期を持て余している時に、ふと目に留まった看板。
古びたビルの3階にその看板はあった。
一瞬、電車のスピードが遅くなったかのようだった。
走り去る景色に読んだ看板の文字は…
【世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システムの教室!】
易しいではなく優しいに思えたあの日の私
もう、とっくにマンションの群れとなった景色を眺めながら、私は頭の中で看板の文字を何度も読み返していた。
私にはその「やさしい」は「易しい」ではなく、「優しい」と読めたのだった。
あそこのドアを叩いて、同じ失望を一瞬でも感じたら、その時は本当に女優を止めようと思った。
だからもう一度だけ挑んでみようと思えた。
その「やさしい」に惹かれて。
想えば、なぜ、それほど、苦しまなければならなかったのか、ただ、自分から生まれてくるモノを生きようとしただけだったのに…