見出し画像

僕とフリエと三ツ沢と

横浜市民である実感を得たかった僕

2018年2月。
僕は、大学を中退してから半年にも渡ってだらだらと住み続けていた秦野市の家を出て、短大の卒業を間近に控えた彼女の家に転がり込んだ。

新居の最寄り駅は三ツ沢上町。
横浜駅から地下鉄で2駅ほど離れた場所にある。
この三ツ沢上町は、横浜市の中心地からほど近いとは思えないほど何もない。何もない土地の国道沿いに建つ5畳半のワンルームで、僕達の同棲生活はスタートした。

そこからの日々はまさに激動。
プロレス団体の社員になるという夢を叶えたは良いものの、ブラックな労働環境とパワハラに耐えかねて半年で逃げるように退職した。その後、フリーター時代のツテを辿って警備会社の内勤職に就いた僕は、安定した生活基盤を築きつつあった。

そんな時、ふと湧き上がった感情があった。
「横浜市民であるという実感を得たい」と。

僕の前職の所在地は東京都の原宿。今の職場は藤沢市だ。
到底、仕事の中から『横浜』を感じることは出来ない。
せっかく横浜という魅力的な都市に引っ越してきたのに、気分は秦野市民のままというか、なにか仲間外れのような、よそ者のような感覚に陥ってしまった。
せっかく横浜に住むのだから、横浜の魅力をしっかりと味わっておきたい。観光地としての横浜ではなく、横浜で生まれ育って、生活をしている人の空気を感じておきたい。

そのためにはどうすればいいのか…。
と一通り思案した結果、一つの結論に至った。
「そうだ、地元のスポーツチームを応援すればいいんだ」
スポーツには、地域と人との繋がりを強固にする力がある。
横浜のスポーツチームを応援すれば、僕も横浜市民である実感を得られるかも。

その時、真っ先に思い浮かんだのは横浜FCだった。
三ツ沢上町で生活をしていると、さすがにサッカーには無関心な僕も『近所の三ツ沢公園でサッカーのチームが試合している』という事くらいは知るようになる。というか、僕が引っ越してきた2019年は横浜FCが10年ぶりの昇格を決めたシーズンで、試合がある日にはやたらと駅周辺に人がごった返していて、正直迷惑だった。(今となっては僕もその一員だが)

とはいえ、さすがにサッカーに興味のない僕でも、家の近所で日本最高峰のサッカーの試合が行われているとなれば、一回見てみようかな…となる。観とかないと勿体ないよなぁ…と。それに上記の『地元に馴染みたい』という感情が加わり、横浜FCを応援することに決めた。2020年の1月頃だっただろうか。僕は急いでチャントを覚えることにした。

この動画には随分とお世話になりました


三ツ沢での生観戦にハマる

一生懸命チャントを覚えて、選手の特徴まで把握して(「一美は万能型FWらしい」「斉藤光毅はクラブの宝らしい」など)、ようやく開幕を迎えようかとなったタイミングで、コロナが流行りだした。

ファッキン。せっかく覚えたチャントが無駄になったじゃないかと嘆きながらも開幕戦のヴィッセル神戸戦を観戦。瀬古の先制ゴールが印象的だった。
さぁ、次の試合は…となっていた時のこと。コロナが本格的に広がっていき、サッカーどころではない状況になってしまった。当然Jリーグもストップしてしまう。マザファカ。

仕方がないので僕は横浜FCのYouTubeコンテンツを見ていた。
当時の動画の質は、とてもJ1のチームとは思えないほど質素なものであったが、それがかえって素材の良さというか、選手の人間性を知るにあたっては良い材料になった。

ちなみに彼女は瀬沼推しだったので、こういう動画を見ていました


その後もしばらくは無観客試合が続いたが、仙台戦あたりでようやく観客を入れての観戦が許可されたので、僕はウッキウキで三ツ沢に行った。初のサッカー生観戦。もう、この時はワクワクが止まらなかった。

確かこの試合は終了間際に中山が劇的ゴールを決めた…かと思いきやオフサイドだったという試合で、白熱した試合展開に私も大満足だった。

この試合で三ツ沢での生観戦に完全にハマった私は、同棲中の彼女であったり、欧州サッカーにしか興味のなかった友人に対して熱烈にプレゼンを仕掛けいった。それはもう、大層な熱意であった。

当初はフリエに大して興味がなかった友人。
今では彼が書いたフリエ関係の記事が大人気。
PV数とかいいね数をこれみよがしに自慢してくるのは
正直ウザくて仕方がないし良い加減しつこいので本気で止めてほしいが
フリエを好きになってくれてありがとう。


そうして僕は三ツ沢に彼女や友人を頻繁に連れて行くようになった。
勝ち試合もあれば負け試合もあって、当然いい思いばかりをしていた訳ではないが、気心の知れた友人や恋人とウダウダ言いながらあの丘を下った思い出は、必ずや今生の際に走馬灯となって現れるだろう。


This is 最高にしっくり来る三ツ沢

フリエを応援し始めてそこそこ経ったある日、僕はふと思った。
「どうしてこんなに三ツ沢がしっくり来るのだろう」
実際、横浜FCを応援し始めてからアウェー観戦に出掛けた記憶といえば2021年に日産スタジアムで行われた横浜ダービーくらいしかない。

まぁ実際遠征に行く金が無いというのもあるが、それだけではない。
なんというか、アウェー遠征に出掛けたところで三ツ沢以上に満足度の高い観戦体験が出来る気がしないのだ。(現に日産ではそうだった)

そこで自分なりに考えついた三ツ沢の好きな所をダラダラと書き連ねていきたいと思う。

三ツ沢には、いい意味で一体感がない。
例えば、浦和レッズのホームである埼玉スタジアムなんかは怖くて熱いレッズサポの熱気で溶けてしまいそうになるし、川崎フロンターレが等々力でしている応援なんかは一体感と和やかな空気が絶妙なバランスで調和していて気持ちが良い。
けれども三ツ沢にはそれがない。応援が一番加熱するはずのゴール裏であっても親子連れが座って弁当を食ってたり、お年寄りやカップルがニコニコしながら試合を観ていたりする。かと思えばJリーグやクラブから何回も注意を受けるほど凶暴で熱狂的なサポーターも居るし、#横浜FCラーメン部や#横浜FC記部のように何かを発信することでクラブやホームタウンに貢献しようとする人も居る。今シーズンからは中村拓海や長谷川竜也らイケメン選手の個サポまで出現し始めた。(いや、前までも「松尾ギャル」は居た気がするけど少なかったよなぁ)

僕はこの、思想信条の調和が乱れまくってる三ツ沢の環境が大好きだ。
ただ「フリエが好きだ」というだけで繋がっている方向性がバラバラな人たち。けれども、それでいいのだ。それがいいのだ。
みんな着てくる服がバラバラで、カップルやお年寄り、地元の子供や怖そうなオジサンやヲタクっぽい若者なんかが一同に会して、サッカーを観ながらワイワイガヤガヤする。
このまとまりのない情景はまるで田舎のお祭りのようで、あのごちゃまぜな感じがたまらなく愛おしい。ひょっとしたら僕がフリエを好きになった理由はそこなのかも知れない。

もしもフリエのゴール裏が全員同じ服を着て、太鼓の拍子に合わせて手を叩いて、狭い座席のスペースの中でぎゅうぎゅう詰めになりながら立ち上がって、拡声器を持った誰かの指示に従って飛び跳ねさせられるようなチームだったら好きになっていなかったと思う。いや、バクスタに行きゃ良いじゃんと言われるかも知れないが、そういう事ではなく、シンプルにそんな空気感で応援させられるチームだったら好きになっていなかったなぁと思うのだ。

うん、やっぱり僕はそんなフリエと三ツ沢が大好きだ。

そして僕は、大好きな横浜を離れる

「フリエを応援する」という行為を通じて横浜に馴染み、そして横浜を好きになった僕であるが、どうやら横浜を離れなければならない時が来てしまった。キッカケは同棲中の彼女がメンタルを病んだ事だ。詳しく記すのは面倒なので端折って説明すると、人間関係が上手く行かずに仕事を辞めた彼女はメンタルを病んでおり、都会での暮らしにも疲れていた。そんな彼女との話し合いの結果

「マンションの契約が切れる2023年3月で横浜を離れて和歌山(私の地元)に引っ越す」

事になった。
正直、大好きな横浜を離れるのはとても辛い。
というより、三ツ沢に気軽に行けなくなることが何より辛い。
和歌山に帰ったら関西リーグの「アルテリーヴォ和歌山」でも応援しようかと思ったが、三ツ沢以外の場所で腰を据えてサッカーの応援をするのはやっぱり物足りない。それほどまでに三ツ沢との別れは辛いものだった。

とはいえ、生きている限り別れは付き物だ。
思えば大学で知り合って以来、何かといえば一緒に遊んできた友人とも別れなければならない。これも本当に辛い。

それでも、動き出した時計の針を止めるわけにはいかない。
僕は、フリエよりも、三ツ沢よりも、友人よりも、彼女との生活を選んだのだ。その事に後悔は無いし、これからはその選択を正解にしていく為の闘いが始まる。

まだすぐに引っ越すわけではないし、あと何度か三ツ沢にフリエの応援をしに行くだろうが、この場を借りてお礼を言いたい。

ありがとう、横浜FC。
ありがとう、ニッパツ三ツ沢球技場。
ひょっとしたらフリエが関西に来た時はアウェー席に座ってるかもです。
その時はよろしくおねがいします。
松井大輔のユニフォームを着てる男が居たら声を掛けてください。
多分喜ぶと思います。

上手いこと締めるセリフが思い浮かばなかったので強引に終わらせます。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?