hidekのエンジニアと長話 第8-2回【全文書き起こし】~ゲスト:紀平拓男さん(@tkihira)~
stand.fmで配信中の「hidekのエンジニアと長話」8人目のゲストは、紀平拓男さん(@tkihira)です。
「hidekのエンジニアと長話」は、メルペイVPoEのhidek(木村秀夫)さんをメインパーソナリティにお招きし、ゲストエンジニアとともに 作っていくスペシャルトーク番組です。
第8-2回の今回は、スマートニュース株式会社の紀平拓男さんをお招きして、DeNA時代の仕事やサンフランシスコでの起業、プラットフォームビジネスでの勝ち方などについて語りました。
※本記事は、2021年7月30日にstand.fmで配信を開始した番組を書き起こしたものです。
ゲスト
紀平拓男 氏 @tkihira
スマートニュース株式会社 ソフトウェアエンジニア
メインパーソナリティ
hidek(木村秀夫)氏 @hidek
株式会社メルペイ VPoE(Vice President of Engineering)
パーソナリティアシスタント
gami(池上)氏 @jumpei_ikegami
株式会社プレイド エンジニア
DeNA時代の仕事
hidekさん(以下、敬称略):はい。で、一緒にDeNAで一緒にお仕事をさせていただいて。
紀平さん(以下、敬称略):そうですねー。
hidek:で、そのあと、また会社を立ち上げるわけなんですけど(笑)。
紀平:はい。その前に、DeNA時代の仕事を振り返りたいな、と思っているんですけど。
hidek:あー、いいですよ。いろいろな思い出がありますけど(笑)。
紀平:我々が避けて通れない「ngCore」の話をしましょうか(笑)。
hidek:そうですね。ngCoreっていう、リスナーの方、ちょっと知らないかもしれないので一応説明しておくと、当時、DeNAがゲームのネイティブ化っていうところをしていく中で、「よりAndroid・iOSを横断でゲームを出せないか」というところで、サンフランシスコのngmocoという会社を買って、そこの会社が持っていた技術がngCoreという、いわゆる、とってつけて言うと、「JavaScriptで書いたゲームがiPhone・Androidでサクサク動く」と、そういう触れ込みであったのが最初ですよね。
紀平:そうですね。IDE(統合開発環境)がそんなによくできていなかったんですが、ものとしてはゲームエンジンとしてUnityと同じようなものだった、ですよね。
hidek:そうですね。
紀平:作り方としてはね。はい。
hidek:ただ、これ、どこまで言っていいかわからないですけど、作り的には、JavaScriptのVMみたいな形で動くような仕組みじゃなかったでしたっけ?
紀平:そうですね。あれって、中にSpiderMonkey入れてたんでしたっけ? なんかそんなんでしたよね。
hidek:たしか、そんな感じですよね。
紀平:はい。
hidek:はいはい。で、なかなかパフォーマンスが出ないので、当時、V8が出始めたころで、「そこに差し替えて、そこにチューニングしていく」っていうのを、それこそOku Kazuhoさんとやってたイメージですけど。
紀平:そうですね。Kazuhoさんとかがそこら辺をされていらっしゃったりとか。なんにせよ、特にiOSにおいては、Just-In-Timeですか、JITコンパイルができなかったので、どうがんばっても絶対にパフォーマンスが出ない作りになっていたんですよね。
hidek:うーん。はい。
紀平:で、キツかったですね、あれは。本当に全然パフォーマンス出なくて大変だったな、と。ただ、私の仕事としては、「それをHTML5に対応する、Webブラウザの上でngCoreで作ったゲームが動く」というのが私の持っていた仕事だったので。そちらの意味ではやりやすかったですね。JavaScriptだったので。OpenGLもそんなに使ってなかったんですよ。
hidek:あ! そうなんですか!
紀平:そうなんです。なんとか、当時、まだWebGLがなかったんですけども、Canvas 2Dの……。
hidek:あ、そうだ!
紀平:エミュレートできるくらいのものだったので、ギリギリ。API的には、OpenGLにどっぷり浸かったものがなかったんですね。ngCoreの中には。なので、移植もまあまあなんとかできたかな、というような感じでしたね。
hidek:なるほど。そうか。当時まだWebGLなかったでしたよねー。
紀平:なかったんですよー。WebGLは、ちゃんと普及し出したのは、たぶん2014〜2015とか、そんなもんじゃないですかね。
hidek:うーん。なるほど。ngCore、そう、なかなか僕も苦労しましたね、あれは(笑)。なかなか方針としては、それこそ今Unityとかがある中で、正しいには正しいんですよね。デベロッパー向けとしては。
紀平:そうですね。
hidek:ただ、Appleの制限だとか、そういったものがあって、結構、アーキテクチャ的にちょっとしんどかったんですかね、あれは。
紀平:あと、すべてのゲームをダウンロードだけで全部動かすことが理論上可能だったので、それがAppleにすごく嫌われた、っていうのはありましたよね。
hidek:あー、そうですね。そうですね。
紀平:はい。結局、全部ゲームをそれぞれのアプリにして出さなきゃいけなくなっちゃったんで、ngCoreのよかった点が全部つぶされちゃったんですよ。「これだったらネイティブで最初から書いた方がいいよねー」ってなっちゃったな、っていう。
hidek:あー、そうでしたね。コンセプトとしては、「JavaScriptのところだけをダウンロードして、ゲームをアップデートできる」みたいな。なので、インストールがほとんどいらないっていう、プラットフォームのインストールだけしておけば、あとはその中でダウンロードできる、っていうコンセプトだったんですけど、それがAppleのレギュレーションですよね、あれ、でダメだっていうことになって。
紀平:そうですね。最初はよかったんです。「それがよい時代があった」っていうのが驚きなんですけど(笑)。
hidek:(笑)。
紀平:最初はね、大丈夫だったんですけど、すぐに刺されちゃいましたね。はい。
hidek:そうですねー。はい。なので、やっぱりプラットフォーム・オン・プラットフォームっていうのは難しいなー、と。それはビジネス的にも難しいなー、というのはすごく感じましたね。
紀平:そうですね。はい。なつかしいですね(笑)。
hidek:(笑)。本当に、でも、あれですよね、DeNAのときも、ずーっとJavaScriptですよね。Kazuhoさんとかは、結構、やっぱりそこも関わってたりとかして。JSXとかも少し絡んでましたよね。
紀平:はい。JSXも。言語仕様とか実装の方にはあまり絡んでないんですけれども、外部で使ってもらうためにいろいろとライブラリを書いたりとか、そういったことはやっていましたね。
hides:うんうん。
紀平:はい。JSXってあれですね、今だとReactとかと混同されてしまうあれですけど(笑)。
hidek:(笑)。
紀平:DeNAが作った型付きJavaScriptのオルタナティブという言語でしたね。
hidek:今で言うところのTypeScriptとかの走りっちゃ走りですよね(笑)。
紀平:あれをね、発表した3ヶ月後くらいにTypeScriptが出たんですよね。
hidek:あ、そうだったんだ。
紀平:はい。だから、「先に出てたら僕らも別に発表しなかったな」っていうことを、当時、言っていた記憶がありますね。
hidek:なるほどなるほど。そういった意味では、DeNA、結構、この領域だと強いというか、いろいろなチャレンジしてましたよね。
紀平:あと、正しい方法を見ていたと思いますね。すごくよい技術投資を常にしていたので良かったなー、と思っています。
hidek:うん。ですよね。しかも、オープン化というかOSSみたいなところの意識も強くて。
紀平:うんうん。
hidek:あのexGameも、なんでしたっけ、Pexでしたっけ?
紀平:Pexです。Post-exGameの頭文字でPexになったんですよ、あれ。
hidek:Pexですよね。あれもOSSとして出しましたよね?
紀平:はい。今、普通にPexJSという名前で出ていると思います。
hidek:その辺の経営の理解っていうのは、意外とよかったんじゃないかな、とか思いますよね。
紀平:そうですね。いろいろありましたけどね。本当に。うん。
hidek:そうですね(笑)。
DeNAでは上司に恵まれていた
紀平:(笑)。やっぱりね、新しいものを取り入れるときにはね、いろいろ大変でしたけど、最終的にちゃんと理解してもらって、結構なものがオープンソースとして出ましたよね。
hidek:そうですね。その辺、技術取締役の川崎さんが結構おおらかというか、いい理解があるというか。
紀平:そうですね。
hidek:「好きにやればいいじゃない」というスタンスだったので、あれは助かりましたね。
紀平:そうですね。本当に。川崎さん、技術の舵取りもうまかったですよね。すごくよいところにいつも投資されていて。
hidek:そうですね。
紀平:お陰で、本当に仕事しやすかったですね。僕ね、上司に恵まれてたんですよ、DeNAで。
hidek:いやー(笑)。
紀平:(笑)。
hidek:すごいタイミングでヨイショしてくるの、怖いな(笑)。
紀平:隙あらばヨイショしようと思ってましたから(笑)。
hidek:ヨイショしても、もう上司じゃないから何も出ませんよー(笑)。
紀平:そうだった。しまったな(笑)。でも、当時の僕の直属の上司が川上さんになるんですよね。
hidek:あ、そうですね。川上さんが直属でしたね。
紀平:やっぱり、今で言うEMの理想的な人材だったな、っていうくらいやりやすかったですね。
hidek:彼は、技術力もさることながら、幅もやっぱりあるし。紀平さんのチームって、結構尖った人が多いというか(笑)。
紀平:(笑)。
hidek:だから、結構……。よく言えば、技術で戦える人がいて、いろいろなアイデアを持ってくる中で、そこをちゃんと評価できる。
紀平:そうですね。
hidek:本当にスーパーEMですよね。しかも、コミュニケーションだとか、いわゆる育成だとかっていうのもしっかりできる。若い子も結構育ってましたよね。
紀平:そうなんですよね。結構、しっかりと。それこそ新卒の子が配属されたりとかしていて。
hidek:あのとき、gfxとかって同じチームじゃなかったでしたっけ?
紀平:そうですよ。gfxと同じでした。彼も、それこそ新卒でしたよね。
hidek:そうです。そうです。
紀平:新卒であのチームに入って、すごく頑張ってましたね。
hidek:もともと彼はインターンでインフラやってたのかな?
紀平:Perlのテンプレートエンジンか何かをすごくやってたんですよね、当時。
hidek:で、入社のタイミングでたしか、どっちかというとKazuhoさんにくっついて。gfxがJSXやってましたよね。
紀平:そうですね。やってましたね。もうひとりの子と3人くらいのチームを作って。
hidek:そうですよね。
紀平:うん。たしかに彼はすごくDeNAで成長した感じがしますね。
hidek:うん。あれ、今もKazuhoさんにくっついてFastlyですよね、たしか。
紀平:そうです。そうです(笑)。
hidek:Kazuhoさん、好きなんだ(笑)。
紀平:今もすごく成長していると思いますよ(笑)。
hidek:Kazuhoさんの苦労がちょっと、あの……(笑)。
紀平:「尊敬するわ」と思いますけど(笑)。
サンフランシスコでの起業
hidek:(笑)。はい。そんな上司にも恵まれ、同僚にも恵まれ、2014年のタイミングで新たにまた会社を立ち上げる、という判断をなされて。
紀平:そうですね。DeNAが、やはりネイティブシフトがどんどんと起こっていって、Webに対する投資がどんどん減っていっていた時期なんですよね。で、基本的に社内で技術を作る場合は、社内でお客様を見つけて使っていただいて、それで技術をどんどんよくしていく、というようなことを考える必要があるんですが、それが結構難しくなりつつある時代でしたね、当時は。
hidek:そうですねー。あのときは、いろいろ僕も相談受けて。で、「ちょっといろいろ使ってもらえるところ探してみればー」とか言ってたんですけど。なかなかちょっと、あの時代っていうのは難しかったですね。
紀平:はい。なので、そういう意味では「DeNAに縛られず」という言い方はよくないのかもしれないですけど、もっとフリーな立場として技術を広く使ってもらうため方法として起業を考えて。DeNAにも出資をしていただいて、かなりきれいな形で次の会社を設立した、と私個人は思っております。
hidek:いや、そうだったと思いますよ、すごく。次のチャレンジというところで、僕らも気持ちよく後押しできたし。逆に、僕の立場だと、僕自身がね、Webが好きだったし、好きだし、今も。なので、もうちょっと僕自身が何かできたらよかったなー、という後ろ髪引かれる思いはあったんですけど。ですかね。
紀平:いえいえ。本当に後押ししていただきましたし、hidekさんと川崎さんですかね、には本当に、「外で起業する」ということに関してはサポートいただいたので助かりました。
hidek:いえいえ。で、Tomboを立ち上げたわけですけど。
紀平:これ、サンフランシスコの起業なんですよね。
hidek:これ、なんでサンフランシスコっていうのをこのタイミングで選んだんですか?
紀平:いくつか事情があるんですけど、基本的には、当時、今でも僕は若干そうだと思ってるんですけど、当時、Webの技術っていうのは日本の方がアメリカより進んでいたんですよね。
hidek:うーん。
紀平:はい。特に「Webゲーム」みたいなところになると、本当に、それこそCygamesさんとかも、当時ね、『グラブル』も始まっていたくらいでしたよね?
hidek:そうですね。
紀平:とかいろいろあって。ノウハウとかも強いし、技術的な使い込み度もすごかったんで。「優れたものを、やっぱり、他の国に持っていく」って貿易の基本じゃないですか?
hidek:なるほど(笑)。
紀平:はい。で、当然、サンフランシスコというかベイエリアというのはIT系のエコシステムみたいなものがしっかりしていて、かつ、マーケットもあるはずだ、と。そこは全然調べずに行ったんですけど。はい。
hidek:うんうん。
紀平:そういった背景を考えると、「海外に行く」というのは、かなりリーズナブルな判断だったんじゃないかな、と当時は思っていました。
hidek:うんうん。なるほど。そうですよね。Cygamesの『グラブル』? 最初、僕、デモを見せてもらったときに、「HTML5ででどうしても作りたい」みたいな彼らの熱意があって。
紀平:はい。
hidek:デモを見せてもらったんですけど。正直、あれ、腰を抜かしましたね。
紀平:あれ、すごかったですよね。今でもまだDeNAにいらっしゃるんですかね、坊野さんがすごい勢いで。
hidek:そうですよね。
紀平:改良というかすごいパフォーマンスチューニングされて。すごいものを作ってらっしゃいましたよね。
hidek:もともとね、Cygamesで見せてもらったデモも、まあまあ出来よかったんですよ。ただ、音を重複して鳴らせないだとか、結構いろいろゲームとしては致命的な問題があったりとかしたんですよね。
紀平:へー。そうなんですね。
hidek:はい。でも、それでもすごくよくできていて。だから、「よりチューニング、磨きをかける」というところで、「DeNAの力を貸してほしい」というところで坊野さんがたぶんあのときアサインされて。
紀平:そうなんですね。もともとCygamesさんはね、ゲームの半端ない作り込みをされましたからね、当時から。直接、私宛てに「なんとかしてくれ」っていう依頼が、PexとかexGamesとかでもいっぱい来ていて、結構辛かったですね。はい。
hidek:(笑)。
紀平:(笑)。いや、本当に辛いんですよー。「1ピクセルずれてます」とかいうのが来たりして。
hidek:わー。こだわりそう(笑)。
紀平:Flashプレイヤーって「固定小数点」っていう、結構ちょっと特殊なやつを使ってるんですけど。
hidek:はい。
紀平:当然、そんなものはエミュレートしていらんないので、僕は「不動小数点」で計算してるんですけど。
hidek:はい。
紀平:その誤差が積もり積もって、どこかに1ピクセル出ちゃうんですよ(笑)。
hidek:なるほど(笑)。
紀平:はい。出ちゃうんですよ。だから、どこでroundするかとか、どこでfloorするかとかの話でしかないんですけど。それがCygamesさんの、当時だと、『アイマス』とかですか? 『シンデレラガール』だとか、そういったところで出てきちゃって。で、ちひろっていう看板キャラクターがいるんですけど。その子が1ドットずれてね。本当、あの顔見るたびに僕はげんなりするんですよね(笑)。
hidek:(笑)。
紀平:はい。「直らない!」って。
hidek:直らない(笑)。え、それ、どうしたんですか、結局。丸め込みだって、それだけのためにチューニングするわけにいかないでしょ?
紀平:いや、それのためだけにチューニングしましたよ。他のゲーム、10個か20個かFlashを用意していて、「それがちゃんと動けばよし」というので、我々テストしてたんですけど。他のFlashに影響出ない範囲で、そのちひろさんが1ドットずれなくするようにすごく頑張りました。
hidek:すごい。ちひろさんのためのチューニングがあったんだ(笑)。
紀平:いや、本当に、もうね。能天気な顔して笑ってるんですよね、ちひろさん(笑)。
プラットフォームビジネスでの勝ち方
hidek:(笑)。すみません、なんかちょっと話がずれちゃったんですけど。で、まあ、Tombo……。
紀平:はい。
hidek:で、今までは「Flash」「JavaScript」みたいなところで来て。で、TomboだとiOSのバイナリから……じゃないか、ソースコードですかね。
紀平:ソースコードですね。はい。
hidek:iPhoneのソースコードを吐く、っていう。
紀平:そうですね。基本的にはObjective-Cを対象にしていたんですけども、Objective-Cのソースコードをインプットとして、出力としてHTMLの、当時はまだWebAssemblyはそこまでなかったんで、asm.jsを使っていたんですけど。
hidek:うんうん。
紀平:asm.jsでHTMLを出力して実行する、というソリューションを作っておりました。
hidek:なるほど。ソースフィルターみたいなものですよね?
紀平:そうですね。コンバータですかね。コンバータみたいなものですかね。はい。
hidek:このモチベーションになったものっていうのは何だったんですか?
紀平:最終的に私は「Webの世界」というのを取り戻したかったんですね。PCブラウザでは、すごくWebの世界というのは来ていたなと思っているんですけど。要するにWindowsのアプリケーションとか、全然……。もちろん、Windowsのアプリケーションはそれはそれであるんですけれども。やはり、ブラウザ上で、例えば、Google MapsとかAmazonとかそういったものが動く世界が来ていたんですけれども、残念ながらスマートフォンではアプリ全盛期。今でもそうだと思っていますけど、アプリ全盛期だ、というところで、それをWebに持ってきて、Web上でそういうプラットフォームみたいなものを作りたい、というのが私がずっと思っていることなんですけれども。それをやるためにですね、最初、「やっぱりコンテンツがないとプラットフォームってできないよね」というところがあってですね。
hidek:はい。
紀平:最初、「どうやってコンテンツを集めるか?」って考えたときに、「すでにもうあるアプリをそのままコンバートすればメンツが揃うじゃないか」ということを考えてですね、「コンバータを作ろう」というところに入っていった、というのがそもそもの開発のきっかけでした。
hidek:うんうん。じゃあ、発想としては、当時、ガラケーの上でFlash Liteのコンテンツがたくさんあったのを、いわゆるスマートフォンのブラウザ上に移植するためにexGameというのを作っていたのと、ほぼ同じようなあれですかね。
紀平:そうですね。当時はね、もうちょっと切実な事情があったんですけども、「会社を売らなきゃいけない」というところから……。
hidek:なるほど。
紀平:今回は「ちゃんとコンテンツを集めてプラットフォームの品揃えを作っていこう」というところからのスタートではありました。
hidek:なるほどなるほど。この辺だと、プラットフォーム作りって、僕も結構、僕自身が苦労した、っていうよりは企画の人が苦労したんでしょうけど。やっぱりコンテンツがないとなかなか、プラットフォームだとキラーコンテンツ・キラーソフトみたいなものがないとなかなか難しかったとは思うんですけど、何かそういうアテというか目論みみたいなものはあったんですかね?
紀平:なかったんですよね、あんまり(笑)。
hidek:おー、なるほど(笑)。
紀平:かなり浅はかだったとは思うんですけど、基本的に、「無料でコンバートできたらみんなコンバートしてくれるだろう」と思って作っていた、というのがありましたが。実際にね、できて、かなりの精度でコンバートできるようになったんですけども、それでわかったのが「無料でもコンバートしない」ということを理解しましたね。
hidek:なるほど。残念ながら今はまだ、時期として、PC・Webでのゲームプラットフォームっていうのがなかなかニーズがなかった、っていう感じなんですかね?
紀平:そうですね。マーケットニーズという観点で言うと、やはり金にならないんですよね。Webにゲームを出したところで。その他の、例えば、課金であるとかユーザーの集まる場所であるとか、もしくは広告であるとか、そういった他のエコシステムみたいなものが全くできていなくてですね。ただゲームだけあっても、やはり「メンテナンスコストしかかからないよね」というところが発生してしまっていて。まずはそこの方から手をつけるべきだったな、というのが、前の会社の大きな反省点ではありますね。
hidek:ただ、プラットフォームビジネスって、コンテンツ・ユーザーっていうところが、どうしても鶏卵だったりするんで、難しいは難しいんですよね。
紀平:そうですねー。ベストとしては、自分でキラーアプリを作って、それこそ『怪盗ロワイヤル』みたいなやつを作って、そこでユーザーが集まって、そこでオープン化して、みたいなね。
hidek:はい。
紀平:だから、「キラーアプリの作り方」さえわかれば勝ちなんですけれども(笑)。
hidek:そうですね。まさにおっしゃっていただいた通り、モバゲーっていうのは、当時、『怪盗ロワイヤル』っていう、超キラーコンテンツがあって。そこに入ってきたユーザーを、いわゆるサードデベロッパーのゲームに送る。ユーザーを送る機能というのが、やっぱり一番、コンテンツを出す側としては引きとなった、というところはあるので。その辺が少し難しいは難しいですよね。
紀平:そうですねー。どうすればね。キラーアプリなんて狙って作れればなかなか苦労しないところがありますので、今後も問題になるでしょうね。
hidek:ただ、あのときも『怪盗ロワイヤル』がユーザーをたしかに連れてきたはきたんですけど、そもそもモバゲーっていうユーザーのいる箱の上に『怪盗ロワイヤル』を出して、っていうところがあるから。やっぱり結構、ユーザーとコンテンツって、プラットフォームビジネスにおいては、鶏卵なのかなぁ、難しいなぁ、とは思ったりとかするんですけどね。
紀平:あれ、当時はあれですよね、すごく簡単なミニゲームみたいなものがたくさんあったんですよね?
hidek:そうですそうです。
紀平:アバター商売だったんでしたっけ、あんまりちょっと正直知らないんですけど。
hidek:そうです。もともとモバゲータウンというのは、「無料のゲームが遊べる」というところで、そこにアバター、自分のアバターを表示できて、そこの着せ替えだとか、そこは有料コンテンツで、ってところでユーザーを増やしていった。で、「そこでコミュニケーションできます」みたいなのでユーザーを増やしていって。で、そこに、アバタービジネスがだいぶサチってきて、というか、だいぶギャップが見えてきた中で、ソーシャルゲームというのを出して。で、そこでまた伸びた、っていうようなところなので。もともとユーザーはいたはいたんですよね。
紀平:その、最初のアバターというかモバゲータウンを作る「最初のユーザーが集まるきっかけ」みたいなものは特になくて、ずっと地道な成長があったんですかね?
hidek:最初は、でもあれじゃないですか、「無料ゲーム」っていう引きと。
紀平:うーん。
hidek:あとは、SNS。SNSが出たばっかりだったんですよ。しかも、「ガラケーでのSNS」ってところが「ゲーム好きが集まる」みたいなところでユーザーを増やしていった、っていうところがあるんじゃないですかね。で、そこにアバターっていうビジネスモデルを入れていった、って感じじゃないですかね。
紀平:そうですよね。もともとDeNAなんてね、ビッダーズからスタートしてるんですもんね。すごいピボットですよね(笑)。
hidek:そうですよ。もう、いろいろなビジネスをやってるじゃないですか、今(笑)。
紀平:そうですね(笑)。
hidek:それこそ、野球の球団買ったりだとか(笑)。
紀平:(笑)。
hidek:ある意味、そこがDeNAのよさ、強さなんでしょうけど。はい。
紀平:そうですねー。またちょっとずれちゃいましたけど、何の話でしたっけ? サンフランシスコの話か。はいはい。結果としてはよかったですね。すごく視野が広がりましたね。「海外で起業する」というのは、なかなかやっぱりレアな経験だったので、すごくやってよかったな、と今でも結構思います。
3社目の会社をスマートニュースに売却
hidek:なるほどですね。で、Tomboをスマートニュースに売却?
紀平:そうですね。コンバータのビジネスというのはあまりうまく行かない状況で、ちょうどスマニューの階生さんっていう方がいらっしゃってですね、創業者の方なんですけど。
hidek:はい。
紀平:その方にサンフランシスコで「ちょっとご飯でも食べないか?」って言われたときに、ちょうどそのちょい前くらいから、ビジネスも厳しいし、で、会社もそんなに大きくしてなかったんですね。お金もある程度気を使いながら入れていたので。「今の段階だったら会社ごと売却することはできるね」という状態をキープしていたんですけれども。「そろそろ売らなきゃね」ってことで、また、前回みたいに「どこに売ろっか」みたいなことを考えよっか、みたいなことをちょうど考えてた、やろうという風にみんなで決めた、本当に1週間後くらいに呼ばれて。それで「会社売る気ないですか?」みたいなこと言われて、「あ、あるある!」みたいな話でしたね(笑)。
hidek:(笑)。なるほど。紀平さんの起業の歴史を聞いていると、一番最初はリーマンショックで大変で、1回目の売却は震災があって売るタイミングが難しかった。でも、結局なんだかんだ売れたりとかするんでタイミングいいっすね(笑)。
紀平:そうですね。そういう意味では、本当に運もよかったんでしょうね。いろいろな意味で。すごく感謝しているところではあります。なつかしいですね。2014年になるんですかね、たぶん。あ、違う。2018年か、4年前か、にお話いただいて。それで、スマニューとしてもですね、バリバリネイティブの会社だったので、「そこにWebの風を入れたい」っていうのも結構持っていらっしゃって。
hidek:あー。
紀平:はい。そういったところで、人材的にも、いわゆる「アクイ・ハイヤー(Acqui-hire)」みたいなやつですか、みたいなところでもすごくマッチしたので、結構とんとん拍子に進んで売却できた、というような流れでしたね。
hidek:なるほどね。