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ゼッポリーネがくれたナポリ
近所のイタリア料理店にパニーニを食べに行った。パンにハムとチーズと青菜とトマトソースを挟んで、プレスしてカリザクに焼いたやつを。お洒落な佇まいだけど、塩気がばっちり効いていて植木鉢で殴られたように旨い。
イタリア料理店は、築三十年は越えたであろうアパートの一階にある。横並びで数軒の店が並ぶ右から二番目だ。リノベーションしているので、滑らかな塗装の隙間にひび割れた木材がちらりと見えて、なんとも言えない懐かしさに包まれる。クリスマスマーケットがあるらしいと聞きつけて、屋台の並びを眺め回した勢いで飛び込んだのが店との出会いだった。こぢんまりとした雰囲気の良いお店に入るには、勇気を与えてくれる祭りが必要だ。
戸をくぐると先客がいた。若い夫婦と二人のお子さんだった。幼稚園に通ってるくらいの子供たちは店主の女性が貸したらしいおもちゃではしゃぎ倒していた。店は奥にキッチンがあり、その手前にショーケースがある。客の滞在できる空間は四畳ほどだ。店に入って右側にカウンターと背の高い椅子が四脚並べられていて、家族がわいわいやっていた。店主が忙しそうなので、店内の左側に置かれたちっこい椅子に座って待つ。壁に細いフレームの使い込まれた自転車が立て掛けられていた。
パニーニを頼むのは心に決めていたけれど、一つの品だけでは足りないほどお腹が空いていた。家族に視線をやると、お父さんが大きな深皿にのった山盛りのサラダを抱えてむしゃむしゃやっていた。人が食べてると食べたくなる。壁に貼られた黒板にチョークで書かれたメニューを見ると「サラダBOX」なる品があった。頼むことを決めた。
店内を舐めるように見渡してみる。内装に工夫の凝らしたお店ほどおすすめの品をちょこんと忍ばして宣伝している。帰り際に振り返ったら、知らない美味しそうなメニューが目に飛び込んでくることがよくある。家族と目が合わないように慎重に視線のコース取りをしながら探査していたら、ショーケースの上にポップを見つけた。「ゼッポリーネ」と書いてある。ナポリの郷土料理らしい。メモに「カボチャとイカ」と書いて上から貼り付けてあるので、仕入れによってトッピングが変わるみたいだ。これも頼むことにした。
家族が退店するタイミングで注文を通した。店主が料理の合間を縫ってお茶を注ぎに来てくれた。アプリコットの薫りがした。「そこにある漫画でも読んでてください」と言われて、棚に目をやると手塚治虫の『火の鳥』が置いてあった。店主によれば、大学受験を控えた近所の子が家の漫画を親の処分から避難させて持ってきたのだという。その子は学校帰りゼッポリーネを頼んで、ゆっくり食べながら同じところを何度も読んで帰るそうだ。並びから抜けていた二巻はどうしても読みたくなった受験生の子が家にこっそり持ち帰ったに違いなかった。
サラダBOXが来た。バルサミコ酢がかかったレタスの山に色々なデリサラダが盛られていた。チーズクリームののったニンジンのマリネ、マヨネーズで和えた大麦、豆にスパイスとオリーブオイルを絡めたもの、ビーツで漬けたれんこん、そしてお店自慢の薄切りサラミ。どれをどの順番で食べても味が混濁せず、旨さが数珠繋ぎに押し寄せた。メインディッシュの前の腹ごなしではなく、それ自体が主役のサラダに大喜びした。
店の入り口はガラス戸で、外を眺めると、向かいの看板に「苺直売、次回は二月二十四日(月祝)」と書かれていた。僕の目線の先に気づいた店主が「あそこの苺美味しいんですよ」と教えてくれた。朝十時からの販売に、街のおばあ達が九時から並ぶのだという。隣の洋菓子店ではその苺を使ったタルトを特別に販売してるらしい。
そうこうしているとゼッポリーネが来た。ころころした緑色の丸たちが皿に七つほど転がされていた。フォークで口に運ぶと外側はカリッと揚げられている。生地はもちもちで海苔とひじきとネギが練り込まれていた。かじり進めると中にふっくら炊かれたかぼちゃがゴロン。振りかけられた塩と白胡椒が合わさって旨いのなんの。慌てて次の丸をフォークで刺す。今度は中にサイコロ状のイカが入っていた。ナポリとは山間に潮風が吹くような素晴らしいところなのかと勝手な想像が膨らんで、膨らむことが終わらなくて驚いた。
それからパニーニを食べた。正直食べ過ぎだ。苺のタルトはまた今度にしようと腹積りした。お金持ちになったらナポリに住もう。どんなところか知らないけれど、少なくともゼッポリーネはあるはずだ。
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はじめから上と下から挟まれるつもりティファールソースパンの2
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