顧問税理士が知っておくべきM&Aの会計・税務~(その5)経営者の手取り額を増やすための方策
経営者にとっては、事業承継によって自分の手元にいくらの資金が残るかは、大きな関心事でしょう。
経営者の手取り額は、譲渡対価(株式売却額または事業譲渡額)から税金費用や仲介会社等への手数料を差し引いた金額ですが、譲渡対価は事業価値をもとに買い手との交渉で決まるものであり、売り手である経営者の一存で決められるものではありません。
一方、税金費用の決定要因となる事業承継スキームについては、売り手である経営者がある程度主体的に決めることができます。
そこで今回は、事業譲渡、株式譲渡それぞれについて、それにより生じる税金費用に着目し、経営者の手取り額を増やすという視点から、採用すべきスキームの考え方について触れてみたいと思います。
(注)以下の説明では便宜上、復興特別所得税の計算は省略します。
1.事業譲渡の場合
事業譲渡の場合、譲渡対価は対象会社が受け取るため、いずれかのタイミングで経営者に資金を還流する必要があります。還流する方法として実務上は、配当により吸い上げる方法と役員退職金を利用する方法がありますが、各々、所得税法上の取扱いが異なることから、税務面での有利不利が生じます。
(1)配当による方法
対象会社(ここでは非上場会社を想定)から株主である経営者に配当を支払う方法です。経営者が受け取る配当金は、所得税法上は配当所得に該当し、総合課税の対象となるため、他の所得と合算したうえで累進課税が適用されます。具体的な税率は経営者の所得水準により異なりますが、住民税を含み最高55%(配当控除を考慮した実質的な負担率は48.6%)と高水準になります。
(2)役員退職金による方法
対象会社から役員に退職金を支払う方法です。経営者が受け取る退職金は、所得税法上は退職所得に該当し、累進課税の対象となりますが、退職金の額から退職所得控除額を控除した額に1/2を乗じて課税所得を計算するなどの優遇措置が取られているため、配当として受け取る場合に比べ、税務面では有利になるケースが多いと言えます。
(3)配当と役員退職金の比較
具体的な数値を使って税務面での有利不利を見てみましょう。
対象会社から100百万円を配当として受け取るケースと、役員退職金として受け取るケースを比較してみます。
配当として受け取る場合は、100百万円に対して49百万円が所得税・住民税の負担額となります(所得税法上の最高税率の場合)。
一方、役員退職金として受け取る場合は、100百万円に対して約17百万円(勤続年数40年の場合)が所得税・住民税の負担額となり、手取り額に30百万円超の差が生じます。
もちろん、対象会社から受け取る金額や勤続年数等の前提条件によって具体的な金額は変わってきますが、一般的には役員退職金の方が税務上は有利と言えるでしょう。
2.株式譲渡の場合
株式譲渡の場合も役員退職金を利用することにより節税を図る余地があります。
一般的に株式の譲渡価格は対象会社の純資産をもとに計算されますが、譲渡前に退職金を支給して純資産を減らすことにより、譲渡対価の一部を退職金として受け取ることができます。
株式譲渡益と退職金とでは税務上の取扱いが異なるため、節税できるケースがあります。
以下の設例は、純資産10億円の会社を純資産価格10億円で売却するケースです。経営者が単純に株式譲渡(単純譲渡)する場合と、役員退職金を支給後に株式譲渡する場合を比較してみましょう。
(1)単純譲渡の場合
このケースでは、株式の譲渡価格は1,000百万円です。株式の取得価額を10百万円とすると、株式譲渡益990百万円に対して、所得税15%、住民税5%が課税(分離課税)されるため、合計198百万円が負担税額となります。
(2)役員退職金を支給後に譲渡する場合
続いて、役員退職金100百万円を支給後に900百万円で株式譲渡するケースを考えます。
上述のとおり、役員退職金は退職所得に該当し、所得税の計算にあたり優遇措置が取られているため、給与所得など他の所得と比較すると税負担は軽くなります。勤続年数を40年とすると、所得税・住民税は16百万円です。
退職金支給後に900百万円で株式を譲渡すると、株式譲渡益890百万円に対する所得税・住民税は178百万円となります。
両者を合計した195百万円が負担税額となります。
(3)単純譲渡と役員退職金支給後の譲渡の比較
(1)と(2)のケースを比較すると、後者の方が約3百万円の節税となり、その分、経営者の手取り額を増やすことが可能です。
もちろんいずれのケースが有利となるかは、前提条件(株式取得価格や退職金の額、勤続年数など)によって大きく変わってきます。したがって、事前の綿密なシミュレーションが必要です。
また、役員退職金は対象会社において損金となるため、退職金支給年度または翌年度以降の益金と相殺することにより法人税を節減できるメリットがあります。このメリットは一義的には買い手が享受することになりますが、このメリットの一部または全部を譲渡価格に上乗せすることにより、売り手である経営者に還流することも可能です。この点は上記の設例では考慮していませんが、実務上は買い手との価格交渉の中で重要な交渉材料となることも多いので頭に入れておきたいところです。
3.最後に
5回にわたってお届けしてきました「顧問税理士が知っておくべきM&Aの会計・税務」ですが、今回が最終回となります。
顧問先企業が事業承継としてM&Aを実施するケースを前提として、顧問税理士に求められる役割を中心にご紹介してきましたが、今後ますます事業承継型のM&Aが増加していくと予想され、顧問税理士として関与先のM&Aに接する機会も増えていくでしょう。そのため、経営者が高齢で後継者がいないような関与先には適切な情報提供を常日頃から行い、M&Aの実施過程においては、経営者への助言やDDへの対応が必要となってきます。
このような業務を行う方々に本稿が参考になれば幸いです。