医療訴訟は極力避けるほうが良い
【疑問】医療事故だと思うので訴訟したいのですが、どうしたらいいでしょうか?
【回答】医療訴訟は問題解決の一つの方法ですが、金銭的にも精神的にも非常に負担が大きく極力避けた方がいいです。まずは自分が健康を取り戻すことを優先させ、健康になった後に訴訟するのがいいです。しかし訴訟では、謝罪してほしい、何があったのか知りたいという思いが叶えられる可能性は極めて低いことは知っておいた方がいいです。
医療訴訟
最近は「医療事故ではないのか?」と医療訴訟が起こされることが増えてきている。
私は医療訴訟の被告や原告になったことはないものの、被告になった友人はいるし、鑑定書を提出する機会も何回かある。その経験から言えば、訴訟は極力避けるほうが良い。
その理由は、
・患者側が勝つ率は低下している
・裁判を通して非常に嫌な思いをする
・勝ってもすっきりしないことが多い
医療訴訟で患者側が勝つ率は低下している
医療訴訟に関する最近の傾向として、
・医療訴訟の数は横ばいで年間800件
・終了までの期間は短くなり約2年前後(1998年は3年以上)
・判決まで行くのは35%・和解50%・取り下げや裁判所の管轄外の和解15%
・患者側の勝訴率は低下し18%(1999-2007 40%前後)
医療訴訟の患者側勝訴率が低下、その理由とは 大島 眞一 日経メディカル 2018.1.24より
民事裁判の多くは1年前後で終了することが多いものの、医療訴訟が長くなるのはお互いの争点が裁判が始まってからでないとわからないことが多いからで、今後医療訴訟の判例が積み重なることで更に短くなっていくと思われる。
また患者側の勝訴率が低下しているのは、患者側に医療側が悪いということを証明することを求められるようになってきたためである。専門的知識の持っていない患者側が医療側の問題を証明するのはなかなか難しいものの、裁判の基本は事実がはっきりいないときには訴えた側が証明する義務を負っているため、裁判の基本に従っている妥当な流れである。
ちなみに明かな医療ミスであれば判決まで行くことは少なく途中で和解になることが多い。裁判所も民事裁判は判決で上からの命令という形より、和解という形で両者がしぶしぶながらでも納得するという形を好む。負ける可能性の高い方にやや厳しめの和解勧告があり、従わないときには厳しい判決を下されるという形になることが多い(この辺りのやり方は裁判官によって多少差があるようである)。
裁判を通して非常に嫌な思いをする
資質に問題のある医師や明らかな医療ミスであれば、医療訴訟はやむを得ない。しかし多くの医療訴訟はそうでないことが多い。
現在の医療の特徴として、
1)ベストな治療は事前には分からず、実際にやってみて初めて分かることが多い
基本的に診断や治療は、頻度と可能性が高いものから選んでいく。そのため結果論から言えば、ベストな治療法ではなかったということが良くある。
例えば熱と咳があるものの比較的元気であれば、普通の風邪と考え特別な検査をしないで風邪薬を処方する。しかし結果的に肺炎で急激に状態が悪化し亡くなってしまうことがありうる。しかし熱と咳がある人に対して採血と胸部Xray、少しでも怪しい所見があれば胸部CTなどをしていては切りがない。
2)結果的に人が亡くなるなどの残念な結果になっている
医療が扱うのは人の命であり、医療を行わなければ亡くなる、医療を行っても亡くなってしまったという状況が起きてしまう。
また医療者側からしてある程度仕方がない状況でも、家族からすると大切な人が亡くなるというショッキングな出来事を前に「仕方なかった」「全力を尽くしてくれた」と納得できないこともあり得る。処理しきれない感情を医療にぶつけるしかなく、訴訟という道を選ぶことになってしまう。
訴訟を起こす人の多くは、お金ではなく、謝罪して欲しい、何があったのか知りたいという気持ちである。しかし訴訟が始まると、どちらが勝つかという争いになり、お互いに本音は言えなくなる。
謝罪はほとんどされずに「残念です」「期待に応えれず申し訳ない」という表現になり、多くの不幸な出来事は小さなミスの積み重ねで起こっていることが多いものの、それらは明らかにされず、患者側に問題や非がある可能性や患者側の主張の誤りを強調することばかりになる。訴えられた医師や病院は、弁護士からの助言に従い「誤解を招きかねない余計なことは一切言わない」ようになる。
お金ではなく、謝罪して欲しい、何があったのか知りたいという思いは、医療訴訟になってしまうと叶えられる可能性はほぼゼロになる。「お世話になりました。ありがとうございました。まだ気持ちの整理がつきません。何があったのか教えてくれませんか」と伝える方が、謝罪してほしい、何があったのか知りたいという思いが叶えられる可能性は高い。
しかし人の気持ちはそんなに簡単ではないので、残念な結果を前に多くの人が納得できる・受け入れることができるための制度がさらに充実することを期待したい。
勝ってもすっきりしないことが多い
訴訟を起こしてしまうと、裁判が終わるまでの長い時間が「”医療ミス”に影響された人生であり続ける時間」になってしまう。もちろん裁判を通して回復する場合もあるものの、裁判で嫌な思いをしながら、裁判のことが頭から離れず金銭的な負担も増加するという状況になることの方が圧倒的に多い。
また判決まで行き勝っても、多少のお金が得られるだけで謝罪は得られない、自分たちが主張したことが事実として認定されても本当に事実なのか現場で医師たちが何を考え何が行われたのか結局分からないまま終わる。
時効やカルテなどの保存期間の問題はあるものの、まずは自分が健康を取り戻し、健康になった後でも訴訟したいと思ったときに訴訟するのがいい。訴訟は権利であり、問題解決の一つの方法ではあるものの、訴訟に人生を振り回されるのは極力避けた方が良い。
補足
医療訴訟に対して否定的な意見を書いたものの、医療訴訟をしている人を批判するつもりは全くない。
不幸な結果を前にどうにも気持ちが収まらず、訴訟という道を選ばざるを得なかったのだと思う。少しでも真実がわかり、医療者との仲直りはできないにしても、意思疎通ができることを願っている。