1.真名
(注:マスターは藤丸立香(女性)で固定しています。解釈違い等多分に含みます。苦手な方はブラウザバックお願いします)
カルデアに来てからというものの、「自分の名前」を呼ばれた試しが殆ど無い。まぁ、たまに下の名前で呼んでくれる人はいるけど、大体皆私の事を「マスター」と呼ぶ。
いや、確かに私の事なんだけどさ。「マスター」って役割担ってるの私だけだし。「今のところ」は。
あぁ、あとたまに「マスター」呼びじゃなく「私じゃない誰か」を「私」に重ねてる人も居るね。清姫の「安珍様」みたいな。
もう慣れたけどさ。うん。でも……私にも一応、「藤丸立香」っていう名前、あるんだけどなーってたまに思っちゃうね。
まぁ、こんなくだらない事誰かに話したことなんて、一度たりとも無いんだけど。
夕飯も済み、一人マイルームで何もせずベッドの上でゴロゴロしていた時。コンコン、とマイルームの扉をノックする音が聞こえてきた。
「はーい。」
「マスター入っていいー?」
「あぁ、良いよ入っちゃってー」
じゃあ遠慮なく、と入ってきたのはついこの前召喚に応じてくれた妖精王オベロンその人だった。
「別にノックとかしなくても霊体化して入ってきたらいいのに」
そう。彼もサーヴァントなのだから、わざわざノックして了解を取らずとも易々と立香の部屋に入ってこれるのだ。
しかし、この男。何故か律儀にもマイルームに入る際は必ずノックし、立香の返事が返ってきてから入ってくるのだ。
マイルームへの不法侵入など日常茶飯事な彼女にとって、オベロンの気遣いは逆に新鮮だった。
「いやいや、それはダメだろどう考えても。他の人は知らないけど、リツカだって僕たちのマスターである前に1人の女性なんだ。気遣うのは当然だろう?」
「………オベロンってさ」
「うん?なに?」
「私と二人きりになると絶対名前で呼ぶよね」
「?あーーそうだね。え、もしかして嫌だった?」
「ううん、そういう訳じゃない。ただ、何か珍しいなって」
そう。彼は私と二人きりなると必ず「リツカ」と呼ぶ。他の人にもそう呼ばれる時はあるけど、必ずそう呼んでくれるのは彼くらいだ。
「だって、リツカはリツカだろう?名前を呼ぶことなんて別に何らおかしな事じゃないと思うんだけど」
「まぁそうなんだけどさ…いや、…うん」
「ん?どうかした?」
「……………ううん、何でもない」
『自分の名前を呼んでくれる』事が、何故こんなに心が温かくなるのか。ふと自分の中に生じたその疑問は、彼女の中で妙に引っかかった。
「………そっかー。まぁ、『マスター』がいいなら別にいっか。」
「………」
心無しか、やや強調された彼の「マスター」という単語に、立香は自分でも気付かないほど僅かに動揺していた。
そして、その変化を見逃すような妖精王ではなかった。
「………………」
「……」
二人の間に、妙な沈黙が流れる。
「そんなに、僕の事が信じられない?」
「…え?」
数分の沈黙の後、彼の口から出た言葉は、さっきの「マスター」より更に鋭く、そして冷淡だった。
「リツカ。君は、いつまでそうやって自分を殺し続けるつもりなんだい?」
「――――――――――――――――――。」
彼は、真っすぐ彼女の目を見ている。揺れることなく、朝方の凪いだ湖畔のような瞳で。そんな彼の瞳から、立香は目を逸らすことが出来なかった。
「正直に言わせてもらうよ。今の君はかなり危うい。体に心が追い付いていないのに、それを君自身が何度も何度も殴りつけて、大人しくさせることで無理やりここまで来てしまった。」
彼女の瞳が、僅かに揺れた。
「君からしたら失礼かもしれないけど、君は僕とよく似てる。『自分ひとりじゃ出来ることが少ないからこそ、何が何でも自分が出来ることを完遂する』所、とかね。」
ふっと表情を緩め、元の穏やかな口調で彼は彼女にそう投げかける。
「だからこそ、君が自分を自分で追い込んでいるのをほおっておくことは出来ない。今はそれで良くても、いつか必ず限界が来る。今ならまだ――」
「ふ――、ふふ、あははははははは!」
突然。オベロンの言葉を遮るように、彼女は自身の腹部を抱えながら笑い始めた。一体今までの話の何処がそんなにおかしかったのか。彼は今何か変な事を口走ってしまったのか。そして何より、
「リツカ――――」
「ははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!」
彼の目の前にいるのは、いつも明るく溌溂とした勇敢な少女ではなく、濁った瞳から涙を流しながら、たかが外れたかのように笑い続ける明らかにどこかが壊れてしまった者のソレだった。
「ははははははは、ははは、は――はぁーあ。」
ひとしきり笑ったのか、少女は一息つき、じっと自分を見据えている彼に向き直る。
「いやぁごめんごめん。あんまりにもオベロンの話が面白くってさ。つい。」
「おかしいな、僕、割と真剣に話してたつもりだったんだけど。」
「うん、オベロンは何も悪くないよ、私を想っての事だったんだろうなぁってことはすぐわかったから。」
「じゃあ――」
「でもさぁ、結局は『がんばれ』『まだやれる』『きっと元通りの世界になる』って言葉で片づけられる話だよね。ソレ。」
彼がカルデアに来るずっと前。一度、彼女は心の底から「本音」を吐いたことがあった。普段凛として諦めない姿の彼女しか知らなかった人々はさぞ驚いたそうだ。
だが、誰も彼女の言葉を受け入れることが出来なかったし、彼女自身もそんなことはわかっていた。でも、それでも、彼女は欲してしまった。誰でもいい、たった一言。その一言さえ言ってくれたなら、まだ踏ん張れる。まだ行ける。まだ、進める。
でも。彼女にその「一言」をかけてくれた人は、誰一人としていなかった。
「みーーーーーんな口揃えて『がんばれ』『君しかいない』『君ならやり遂げられる』……ふふ、笑っちゃうよね。そんなこと、言われなくたって私が一番わかってんだよ!!!!そんでもって自分がどれだけ無力で、何にも出来ない能無しだってことも!!!!」
「…。」
「今私が生きてるのは、『たまたま運が良かった』だけだ!『その場に居合わせてしまった』だけだ!好きでこうなったんじゃない!!!!!こうするしか!!!!なかったんだ!!!!」
気づけば、彼女はオベロンの胸倉をつかみ、彼の双眼を睨みつけながら、傍から聞けば罵詈雑言ともいえる言葉の雨を降らし続ける。涙を流しながら。
「全部全部全部!!!!全部わかってるんだよ!!だから、少しでも自分の力を付ければ何か役に立てるかもしてない。そう信じて、色んな事やってきたよ!メディアや孔明には魔術のイロハ習ってるし、師匠やレオニダスには戦闘術やトレーニングに付き合ってもらってるし、聖杯戦争経験済みの皆からは『マスター』としてどう動くべきか教えても貰ってる!!!!……でも…………」
「………でも?」
「………………………………何にも、何にも……ふふっ…何一つ守れた試しなんてなかったよ……」
「…………立香」
彼女の涙は、それでも止まらない。ここまで誰かに対して声を張り上げたのはいつぶりだろうか。こんなに醜い己を曝け出しても、喉が裂けて血の味がする。それでも。彼女の涙は。止まらなかった。
「………ねぇ、オベロン。」
「…なに?立香」
「私ね…時々、自分が誰なのか、分からなくなるんだよね。記憶喪失とか、そういうのじゃなくって…本当に、鏡の前に居るのが誰なのか、心の底から分からなくなるの…」
カルデアの人々は、彼女の事を「マスター=藤丸立香」だと皆知っている。だから、彼女の事はみんな「マスター」と呼ぶ。たったそれだけ。ほんの些細な問題。いや、問題ですらない、彼女自身の思い込みに近い。
それでも、「ソレ」は確実に「藤丸立香」という一人の少女の心をゆっくりと、本人ですら気付かないほど深く蝕んでいた。
「たまに、だけどね。どこかで誰かが言ってたような気もするけど、『死ぬことより忘れてしまう事の方が恐ろしい』っての、あれ割かし正しかったんだなぁって」
「……………ありがとう、立香。僕に話してくれて。」
「………ううん。私の方こそごめんね。酷い事いっぱい言っちゃって。」
顔洗ってくる、と立香が立とうとしたその時。右手を引っ張られたような気がした次の瞬間。
「―――え」
気づけば、立香はオベロンの腕の中にいた。
顔は見えない。けど、彼の腕は立香の華奢な身体を彼女が痛く感じない程度に強く抱きしめていた。
「オベロン――?」
「………君は、君の名前は、『藤丸立香』。」
「……え?」
「努力家で、どんな逆境でも諦めない強い心を持ち、人を慈しむことが出来て、他人の死であってもその死を悼むことができる優しさも持ってる、今まで僕が出会ってきた人間達とは似ても似つかない、本当に凄い人だ。」
「お、オベロン?さっきから何言って―」
「でも―」
「でも、そのくせ自分の事はいつも後回しで、周りのお節介ばかり焼いてばっかり。みんな君が頑張ってるの知ってるし、尊敬すらしてるってのに、君自身が君を認めてあげないから、いつも君は誰も知らないところで苦しんできた。頑固で真面目な君の事だ。大切な後輩やスタッフの皆、サーヴァント達にもずっと言えず仕舞いでここまで我慢してきたんだろう。」
「……」
「だから――だからこそ……」
「『よく頑張ったね、立香』」
「――――」
そう。そうだ。あの時。一度だけ弱音を吐いてしまったあの時。私が欲しかったのは、私が、言ってほしかった言葉は――
「う…う、うぅ…っぐ。あ、ああ!」
あの時。私は、――――――褒めてもらいたかっただけだったんだ――
~~~~~~~~~~~
「…落ち着いた?」
「うん…。もう、大丈夫、だと思う。」
「はは、なんだよそれ、まぁあれだけ泣いたんだ、そりゃ疲れるよね」
「ううぅ…今になって恥ずかしい…」
「ほんと今更だねw」
「うっさい!っていうか、いつまでこうしてるのよ!」
「えーいいじゃんもうちょっとだけー」
「だ・め!色々ややこしいことになるから!」
「はぁ、まぁ僕もあんなヤヴァイお歴々に追い掛け回されるの勘弁だし…」
あの後、散々泣きに泣く立香を、オベロンはずっと抱きしめ、時に彼女の頭を優しく撫で、涙を拭ってあげていた。
そして、ようやく立香が落ち着いたころには、もう夜明けが近い時間帯になってしまっていた。
「あらら…もうこんな時間かぁ…」
今日は休暇明けという事もあり、かなり予定が詰め込まれていてかなり忙しくなる予定だったのだ。
「えーサボっちゃいなよ~」
「オベロンじゃないんだからそんなことしないよーだ」
「え``、なにそれどういう意味?!」
「えー言わなくても分かるでしょー?」
「うへぇ…」
こんな感じのやり取りをしつつも、立香はさっさと準備を済ませていく。
「やっぱり行くの?」
「うーんまぁね。流石に今日は外せそうにないかなー。育成今のうちに進めておきたいし。」
「そっかぁ…」
何か言いたげな彼に何かを察したのか、立香は彼に言う。
「心配してくれてありがとう、オベロン。おかげでちょっと楽になった。」
そう言う彼女の笑顔は、少し前までとは似ても似つかない、本当に太陽のような微笑だった。
~~~~~~~~~~
「じゃあ、私もう行くね!」
支度を終え、予定の時間が近くなってきたため、立香はマイルームのドアに手をかける。
「立香」
「うん?」
彼女が振り向くと、彼は優し気な、それでいて真剣な目で立香の元へ歩み寄ってくる。
そして、彼女の前まで来ると、その手を自分の手で包み隠すように、まるでガラス細工を手に取るかのように己の胸元まで持っていく。
「オベロン…?」
彼の行動を不思議に思い、立香は声をかける。
すると、彼は彼女の目をみて、
「立香。これから先、
君が前へ進むのなら、僕は君の剣として共に戦おう。
君が倒れそうになったのなら、僕が君の杖となって支えよう。
君が思い悩むのなら、僕も一緒になって悩もう。
君が泣きそうになったのなら、僕も一緒に泣こう。
そして、もし君が遠くへ行きたいと望むのであれば、僕は君の翼となって、君の望む場所へと誘おう。
妖精王オベロンは、如何なる時、如何なる事が起ころうとも、君の味方だ。
どうか、これだけは忘れないで。」
「――、うん。ありがとう、オベロン。」
いってきます、そう言って彼女はまたいつもの日常へと戻っていった。
彼が見送るその背中は、心なしか、今までより軽やかになった気がした。