落椿
「ツバキの花は花弁が基部でつながっており、多くは花弁が個々に散るのではなく、萼を残して丸ごと落ちる。それが、人の首が落ちる様子を連想させるために忌み、日本においては屋敷内に植えない地方があったり、病人のお見舞いに持っていくことはタブーとされている。この様は古来より落椿(おちつばき)とも表現され、俳句においては春の季語である。」
私の誕生花は椿だ。私の首は春に落ちるらしい。
百合の花に囲まれて自死するなんて神々しい姿だが、実際には大量の百合を敷き詰めたとて死ねないらしい。
桜の下には死体が埋まっていると聞く。遺体の血が薄まって昇り、桃色の花びらになるのだろう。
私が好きな花で唯一おめでたいのは、胡蝶蘭のみかもしれない。
三途の川を渡った先に、一面の花畑が広がっている、昔からそう信じている。
恐らくそこは天国でも地獄でもない場所だと、最近思い始めた。そして誰がいても、何歳のままでも、認識できればそれで良い。
むせ返るような花々の香りより、無機質な生の息吹が漂っているに違いない。
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懐かしい橙の夕陽が差し込み、視神経に乱反射している。冷たい灰色の硬質な壁の連続、高さはやっと陽が差し込む程度だ。
延々と続く灰色と橙の境目を歩いて行くと、コツコツと一定間隔の音が聞こえてきた。
突然壁に四角く巨大な穴が開いており、卓球台が現れた。球を、穴の外の空虚に向けて打ち続けているのは、丸い銀球が頭部にある人型の金属だ。
無言でラケットを奪い取ると、私は無我夢中で、何千回と空虚に球を打ち返した。
そこには何も通らなかったはずが、マトリョーシカやカラフルな紙片、花瓶やヒグマなど多種の何かしらが増えていった。
しかし、それらはこう言う。「あんたの球を我々が見ている分、あんたに発言権は無い」と。
そういえば、私には口が無かった。私は球を打っている姿を見られている代わりに、それらとの対話では頷くしか出来ないのであった。
来年の春も、椿は無言で落ちて逝く。