えすたん

凡人の無料ブログ。思ったこと。

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最近の記事

「死ななかった」でも「死ねなかった」でもなく、「なぜか生きてる」

父親にランドセル越しに背中を蹴られても、裸でコーヒーを頭からかけられても、家の中で追いかけ回されても、自分めがけてみかんを投げられても、物に当たる様子を見続けても、母親から死ねと言われても、大学合格時に「おめでとう」より先に塾の残った授業の返金手続きの話をされても、まぁ要するに虐待されても、なぜか生きてる。 中学の頃に部活でハブられても、クラスで入るグループがなくなっても、高校の頃にいびられても、いじられすぎて愛想笑いする顔の筋肉が痛くなっても、また部活でハブられて退部して

    • 20210818

      3年前の8月18日に3時間くらいで書いたメロディ無しの歌詞 いやぁ若いなあ3年前でも パクるんじゃなくて誰かこのままこれを曲にしてください ◆初夏(仮) ロープが見つかんなかったから 薬を大量に飲んだ あとで聞いたら致死量だってさ そんなんはどうでもいい 愛を受け取れなかったね 愛し方がわからなかった 奇声を腕に刻んで 涙を枕に刻んだ 遠くから聞こえるサイレン また失敗しちまった あとで聞いたらサツも来たって そんなんはどうでもいい 愛って何だったんだろう 愛なんて

      • タイトル

        気泡緩衝材を一粒ずつ捻り潰していくかのような毎日を9年間送っている。 液晶の向こうの世界を閉じたら何も残りはしないのに、空笑いで注文を確定し届いたものたちがいつでも私に微笑みかけてきた。 「しょうこ、寂しいんでしょ?」、甘えん坊は甘えん坊の心が解ると言う。世界の誰よりも澄んだ目で雨水を見つめる命を守るためだけに飛び降りていない。 生きる意味とかセンスや強さや数字がどうのとか今何歳だとか、考え始めたら人生は終わる。 虚無を形にする余力すら残っていない場合、その場凌ぎで次から次へ

        • 落椿

          「ツバキの花は花弁が基部でつながっており、多くは花弁が個々に散るのではなく、萼を残して丸ごと落ちる。それが、人の首が落ちる様子を連想させるために忌み、日本においては屋敷内に植えない地方があったり、病人のお見舞いに持っていくことはタブーとされている。この様は古来より落椿(おちつばき)とも表現され、俳句においては春の季語である。」 私の誕生花は椿だ。私の首は春に落ちるらしい。 百合の花に囲まれて自死するなんて神々しい姿だが、実際には大量の百合を敷き詰めたとて死ねないらしい。 桜

          燻めや憤怒

          毒親は私を物理的に傷付けずに暴力を働いた。11の歳に漠然とした死に向かう道が見えて辞世の句を書いた。緩やかな自死の為に喫煙を始めた。19の冬に堕胎した。精神疾患と診断が降る以前から自傷を行っていた。大量服薬で4回ほど自殺未遂をしICUにぶち込まれた。摂食障害、アルコール依存、性交依存、現行は買い物依存。以上の文章を羅列して解って頂けるのは、これから並べられる内容も明光ではない事。そして自分の所謂死生観と呼ばれるものは疫病の流行と共に変化した。 ✳︎ 堕胎の他で言えば、私は

          燻めや憤怒

          あなたが3時間かけて書いたアメ限と、私が32年と1時間かけて書いた無料公開記事

          もっともっと奥深い精神性を言語化しようとすると結果的に、感情の起伏を最低限に排除したロボットか、どこまでも遠く永遠に突き抜ける空の表現しか出てこなくなるのは、 経験からのミニマル化や諦観や普遍性とはまた違う、死の瀬戸際のような簡易と透明度に落ち着くため。 血の温かさ、光の眩さ、季節の変遷、練られた優しさ、 欺瞞、虚栄心、狡猾、偽装、 それら外部刺激を全てフラットにし不感に導けば、残るのは逆に自我の痕跡のみだったりする。 ≠外部刺激によって己が成立する、否、脆弱な状態は外部も

          あなたが3時間かけて書いたアメ限と、私が32年と1時間かけて書いた無料公開記事

          脳の灯りが点いたままで。

          カフェインを多量摂取し灯し続け、眠剤で12時間以上暗転させる。再度点けるには悪夢による着火。接触不良は微睡で、営業時間は不定期。 Love is Blindとは、「愛は盲目」の意。 愛は偶像です。それが明確になったのは一昨年の11月。 この人の何を知って「好きだ」と言い切れるのか、この人は私の何を知って「好きだ」と思ったのか。 完全に断片的にしか見えない他人の側面のみの判断、妄想、過信、夢、ロマン。 それが低脳によるぼやけた単なる穴であろうと、高知能による冷静な分析であろ

          脳の灯りが点いたままで。

          持ってる香水の簡易レビュー(グルマン寄り)

          当方の簡単なスペック… ・幼い頃から香りものが好きで、初めて香水を買ったのは中1。高校くらいから石鹸系の香水をちょいちょい集め始めるが、一時飽きがきて香水をつけない派に。現在は基本寝香水。香水熱が再燃したきっかけは、去年秋にオサジの香水を買ってから。 ・グルマン(甘い系の香り)/夜っぽい香りが大好き。キャラに合わず。落ち着くんだもん。夏でも寝香水にグルマン。湿気の多い日本では、夏に外でグルマンを付けると香害になります。 ・「パウダリー」「お香」「白檀の香り」と書かれている

          持ってる香水の簡易レビュー(グルマン寄り)

          「よいこのくすり」という曲の歌詞に共感する。

          この曲の感想や考察などの内容ではないのだが、最近酒を滅多に飲まなくなったことや、買い物依存になってしまっていることなどから、この歌詞に共感する。 最近全然書いていなかったので、ただ思っていることをポエム的に適当に並べます。 私は知りすぎてしまったのかもしれない。今でも全然無知なんだけど、何というか人や世の中の汚い部分を見すぎて。 というか元々夢みがち・期待のしすぎなんだろうな。プラスから初まってしまってマイナスに落ちる高低差が激しいだけ。 4年前くらいから、記憶がぼんやり

          「よいこのくすり」という曲の歌詞に共感する。

          そろそろ同居猫と結婚したい。

          冗談半分、本気半分。 なんともう11年前になるそうなのだが、海外では猫と結婚した男性がいるらしい。 最近では「猫と暮らすと結婚が遅れる」とまで言われている。 私は猫や動物全般に対して「飼う」という言葉を、あまり使いたくない。なんだか上から目線のような気がして。 「エサ」はたまに言ってしまうけど、できれば「ご飯」が良いと思っている。 猫をはじめ、動物全般が愛おしい。それは、凶暴化した動物に、自分や家族などをころされたことがないからだろう。 カラスは前に襲われたことがあるの

          そろそろ同居猫と結婚したい。

          「寂しい」

          「寂しい」という言葉を、表出することにすごく抵抗を感じ続けている。昔から。 「寂しい」という言葉をよく使う人間に、良いイメージがまるで無い。 所謂「構ってちゃん」。他人とずっと一緒にいないと破裂でもするんか?ってくらい、四六時中他人と共に過ごしている部類の人間。学生時代はよくいた。 多分そういう人は、寂しくないと感じる心の容量が小さくて、昔から他人と一緒にいるから寂しくない環境に慣れているのだろう。 勝手な想像だけど、そういう人って、1人でいる孤独な時には、ずーっと音楽やテ

          「寂しい」

          先生。

          今日で、18年間の学生時代が終わって7年なので、「先生」という存在について書きます。 「先生」とは、文字通り「先に生まれた人」ってかんじなのだが、私は高校まで、尊敬できる先生と、ただ先に生まれただけのくだらない人間、と両方がいた。 心底尊敬できる先生と同じ時間を過ごしたのは、大学に入ってからだった。 私の親含め親戚には教員が多い。 何故だかわかんないけど、そういう血なのかなと思って、中学か高校の頃、テスト前の放課後勉強会とは名ばかりのぐだぐだ集会で、同級生に数学を教えてみ

          この前書いた記事、「確かなる憎悪」を父親に読んでもらって、感想を聞いた。 本の虫の父親にどんな感想が浮かぶのか単純に興味があったのだが、聞いた瞬間に違和感を抱き、自分の感情や記憶を深掘りしていったら段々腹が立ってきた。 日をおいて、内容を記事に書くことにした。 まず、父親の感想は、 「ひがしにほんだいしんさいから10年が経ち、災害や事故などでいつなんどき人に死が訪れるかもわからない、穏やかな日常が突然壊れてしまうこともあるのに、自殺という選択をすることへの苦手さを感じた。勝

          わての酒での失敗を反面教師にしてくれ。

          はい、タイトル通りです。 ちなみに上の画像なんですが、最近美味しすぎた組み合わせです。モンスターとストゼロ(ここでは4%にしている)の組み合わせは、ここ数年流行っている「ぴえん系」御用達の飲み物なんだけど、特にあっぱーになるわけでもなく、普通に味が美味しかった。モンスター初めて飲んだ。 私のスペックとしては、元々結構お酒弱い。すぐ顔赤くなる。ワインを飲むと必ず失態をおかす。 先日の記事の通り、2014年末からアルコール依存。原因は、元々彼が言った「お酒飲むと脳細胞が破

          わての酒での失敗を反面教師にしてくれ。

          確かなる憎悪

          ツイッターに流れてきたブログを読んで、感化されたのでなんとなく。 昨日の記事に、少なくとも10年前の私のみくしーの文面には確かなる憎悪が足りない、と書いた。 ツイッターにも書いたのだが、私は1人っ子で、歳の近いきょうだいがおらず、喧嘩の仕方を知らない。仲直りの仕方も知らない。なんなら、現実での怒り方も未だにわからない。 こうして、ねっとや紙ののーとの文章に愚痴などを書くことでしか、昇華の仕方がわからない。 精神疾患になって、死というものが割と身近になったけど、もっともっと

          確かなる憎悪

          このブログのノリってツイッターみたいなんでいいの?

          どうも、私だ。 タイトルの通り、文面のノリに迷っているところだ。 まぁそんなに構えず、ゆるーくやっていきたいですね。 あ、検索避けのためにひらがな多用します。 今日はひがしにほんだいしんさいから、丁度10年ですね。 当時の私の思っていたこととかやってたこととかについて書こうと思ったけど、あまりにもくずすぎてやめとこってなりました。 さて、どうしてブログを?という話なんだけど、 ツイッターのトレンドに「みくしー」ってあって、自分のあかうんとにろぐいんは時々してたんだけど、ブ

          このブログのノリってツイッターみたいなんでいいの?