求められている、行く先共有や失敗への寛容性 ー 論理的な精緻さからヒューマニティへの転換
昨年末に、チーム・ビルディングのセッションを立て続けにサポートさせていただきました。
うち2つは、ハイレベルなマネジメントの方々のための、それぞれの方が指揮するチーム内そしてチーム相互のコミュニケーションとパフォーマンス向上のためのチーム・ビルディング。
もう1つは、セールス・マネージャーの方々のための、チーム・パフォーマンス向上のためのチーム・ビルディング。
チーム・ビルディングは強い組織を構築していくための手法で、チームを構成するメンバー個々のスキルや能力、経験などを最大限に引き出し、持続的に目標を達成できるチームを構築することが目的、と言われます。
今、コロナ禍による外出規制や三密規制の影響に加え、進化したテクノロジーの簡便さも手伝って、さまざまなコミュニケーション・ギャップが生まれています。
一方で、(業態がB-to-BであれB-to-Cであれ) 企業が相手にするユーザー・ニーズの多様化や、多様化への対応のために作る役割や組織のさらなる細分化は、期せずしていわゆる組織のサイロ化に結びつき、本来、組織全体に行き渡って共有されるべき情報の局在や停滞を引き起こしています。
こうした組織で起きていることに、最近ある共通性を感じています。
1つ目 = 他のチームへあるいは上司や同僚など自分以外の個人への不満の蓄積
それは、例えば「わたし達は限界ギリギリに一生懸命頑張っているのに、何で彼らはあんな仕事しかしなくて良いんだろう」といった業務量や分担の不公平感や「自分ならこう出来るのに、彼女はなんであんな事しかできないんだ」といった能力への批判
この原因として「自分や自分達以外の人たちが何をして、どんなことを思っているのか」といった“周りを見通しにくくなっている”環境が増えて、自分の勝手な推察や思い込みがいつも間にか事実となってしまいデフォルメされた結果、不満が蓄積している印象があります。
2つ目 = 組織への不安と仕事への無力感
多くの人たちが「いったい、会社や自分達が、将来どこを目指しているのか、何を実現したいのか分からない」といった将来不安や不信や「何のために自分がこの仕事をしているのか分からない、こんな仕事必要なのか分からない」といった無力感
これらの要因の一つに『組織目標や上長が示す方向性の意義の理解や共有の不足』があります。
実は多くのケースで組織目標は伝えられているのですが、伝達のための方法が不十分でこうしたストレスになっているケースが多い印象です。
例えばリモート画面から組織長やトップが口頭で、あるいはメールなどテキストで組織としてのゴールが伝えられても、双方向のコミュニケーション機会が圧倒的に減少したことで、そうしたメッセージの本来の意義、文脈が伝わりにくくなったことも一因と考えられます。
リアルに出社している時であれば、ふとした仕事の合間に同僚や上司、あるいは隣の部門の社員などと交わす、他愛もない雑談を含めたコミュニケ―ションがあります。そうした時に、何気なく組織目標の話になり、自分では気づいていなかったメッセージに秘められた本音を理解できた、などという経験をお持ちの方は少なくないと思います。
リモート出社は各人が自分の職務に直接関係する情報だけに集中すれば良い環境を提供したことは、効率面でプラスですが、関係性やモチベーションが関わる組織としての生産性面では課題も多い様に感じます。
少し違いますが、こうした社会現象は、Z世代がテレビや新聞に関心を示さず、YouTubeやTikTok、Twitterなどソーシャルメディア上の「自分のお気入り」が発信する情報だけに耳を(あるいは眼を)傾け、それ以外の情報には触れることがない状況とどこか似ています。
こうした環境で課題を感じているからこそ、いまチーム・ビルディングのリクエストが増えているのでしょう。
実はうまくチームを運営するためには、2つの重要な要素があると考えています。
まずは、“組織ゴールの共有”と“オープンネス”
いずれもハイレベルなマネジメントの方々ほど、より必要になる姿勢ともいえますが、ゴール共有の最初のステップとしての伝達段階から適切な方向性を見失い、オープンネスからは程遠い紋切り型に終わってしまう場合が少なくないことも確かです。ここでいうオープンネスは、心理的安全性とも密接な関連性があり、私が育てられた会社では幸いにして「スピークアップ」がとても奨励されていました。
次に、“セルフ・アウェアネス(自己認識)”と“異なる価値観の容認”
これらは組織にいるすべての人にとって重要な姿勢ですが、実は上手に出来る人が少ないことも様々なデータでも証明されています。
わたしたちのチーム・ビルディングのセッションでは、こうしたことを参加者同士で考察してみることが中心になるのですが、これらの要素は、近年ホットな「デザイン・シンキング」や「スクラム(アジャイル)」といったフレームワークにも共通性を強く感じます。
その共通性とは・・・
『白か黒かの二項対立的ではなく』、『個々人が大切にしている多様で真鱈模様の価値』や、『写真や文章だけでは表現しきれない温度感や文脈』など、必ずしも客観的で具象的な事実だけではなく、主観的で抽象的な価値をも包み込んでくれる「ヒトに共感できる力がある」こと、そしてDemanding&Controlといった一方的な押し付けではなく「自律的で双方向性がある」ことの重要性です。
特に共感力は、いま多くの企業で積極的に推進しているデジタル・トランスフォーメーションにも通じることだと考えています。
もちろん、デジタルそのものは人間力がどうしたこうしたという事からは無縁です。でもそもそもDXは「ヒトの仕事をデジタルに置き換える」ことを意味するのではなく、デジタルを推進することによって事業の在り方や企業価値の変革に至るコンセプトを示しています。
つまり、わかりやすく言い換えると「デジタルに任せられることはデジタルに任せて、ヒトはヒトにしかできないことをやろうよ」ということが真髄だと考えています。
つまり、この文脈からは、DXもまた「共感力」が問われている、と言えるのではないでしょうか。
『身体を通していろいろなことを感じ、異なる主観を持ち、ぶつけ合い、共感し、価値を創造してゆく。自分自身と他者と真剣勝負で知的コンバットをする場をいかにもつかが問われている。』
これは「知的創造企業」を著した野中郁次郎さんがHBR (2021 March) に書かれていた言葉です。
いま、戦略志向やロジカルシンキングでは答えを出すことが出来ないことが増えていると言われ、様々な新しい概念が出現しています。
スクラム、アジャイル、リーン、デザインシンキング・・・
わたしが感じているのは、これらの相似性と共感力との親近性です。
実は、これらの考え方では、ゴールに至るための明確なプロセス設計図が最初は描かれません。
「えっ、そんな見切り発車でゴール達成できるの?」
従来のロジカルな思考ではそう思えてしまいます
でも、そこは別の要素が見事にカバーしてくれます。
・ゴール目標が共有されている
・失敗が許容され「振り返り」によって良い結果に繋げるシステムを持っている
・明確なヒエラルキーがなく、互いがリスペクトし合っている
・チーム員が自発的に行動する((自律している)
わたしは、スクラムやデザインシンキングは、法令法規のように体系的に直截的に整理整頓されたクールなシステムではなく、とてもヒューマンで、良い意味での雑多さ(多様性)が容認されていて、だからこそ柔軟であらゆる課題に迅速に適応でき、モチベーションやチャレンジ精神に溢れた人たちがそれを好むんだ、と考えています。
つまり「スクラムが流行りだから」という理由だけで、ヒエラルキーや売上目標達成だけでガチガチの、頑なで保守的な組織がこれを取り入れたとしても、必ずしもテスラやグーグルのような成長組織にはならないでしょう。
どちらが先なのかは分かりませんが、スクラムを上手く機能させるためには、一緒に風土を変えることも大事だと思います。
それは例えば、
✔️ ゴールを売上だけで評価しない
✔️ ヒエラルキーにこだわらない
✔️ 他人の失敗を許す
✔️ 価値観の異なる他人にも尊敬を払う
✔️ 人の成長を喜ぶ
✔️ 自己認識に努め、他人とのコミュニケーションを工夫する
といった「マインドセット」の変革です。
野中先生の指摘している知的コンバット(*)とは、
これを数多くスクラムして行くことで、
ようやく他とは一味違った、新しい、そして興奮できるイノベーションを
作り上げることができるのだ、
と、仰っているような気がしています。
(*)ここには、おそらく、戦場での闘いのようなシリアスな意見交換だけではなく、ノミニケーションでの何気ない、でも意外に本音での真剣な会話も含まれると思います。
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