達成可能配分集合のコンパクト性

一般均衡理論について、いわゆる需給が一致している配分を達成可能配分と言う。そんで、その集合をAとしたとき、これがコンパクトであることが、均衡の存在証明をするときの最も重要な結果と思われる。

「最も重要な」結果とは大きく出たな、と思うかもしれないが、僕にはそう思われるのだ。傍証だけなら、Mas-Colell, Whinston, and Green (1995)のこの部分の証明の扱いを見ると、たしかにそうだろうなと思われる。

彼らは16章、17章の補論で生産を入れた経済における均衡の存在定理を扱っている(純粋交換経済はこれよりはるかに簡単なので17章のC節で扱われている)が、そこでは以下のような議論を通している。1)達成可能配分のコンパクト性の十分条件を議論する。2)準均衡を定義し、いわゆる最低所得を誰も達成しない場合にはそれが均衡と一致することを示す。3)達成可能配分のコンパクト性を利用して、均衡が出ないような大きな場所をカットした、消費集合と生産集合がすべてコンパクトな経済を定義し、それの準均衡が元の経済の準均衡と同一であることを示す。4)コンパクトな経済における最適反応対応がコンパクト凸値かつ優半連続であることを示す。また、ワルラス型オークショニアを導入し、それの最適反応対応もコンパクト凸値優半連続であることを示す。5)角谷の不動点定理に持ち込む。このうち、1)の部分だけが16章で、2)から5)までが17章で扱われており、1)に当たるAのコンパクト性は文字通り「別格」扱いされている。

ちなみに、5)の部分はナッシュ均衡の存在定理と基本的な論理がほぼ同じで、これが巷で「競争均衡の存在定理はゲーム理論の一部」という、甚だしく傲慢な言説につながったのだと思う。が、この部分を適用するために「元の経済をコンパクトな経済に変換し」「ワルラス型オークショニアをプレイヤーとして導入する」という、3)と4)に当たる二段階の飛躍が必要である。さらに、そこまでしても示せるのは均衡ではなく「準均衡」の存在であって、よって「均衡の存在に当たってアローとドブリューは経済をゲームに変換し、ナッシュ均衡の存在定理に還元した」などというのは完全な間違いである。実際、最低所得を誰かが達成している場合にはアローの反例によって準均衡が均衡にならないケースがあるが、これはゲーム理論で一般的に知られているどの結果にも対応しない、この理論特有のケースである。

で。なんでいまこんなにこの競争均衡の存在定理をよいしょしているかというと、最近になってこの古典的な経済の仮定をちょっと外れた経済に対して均衡の存在を言わないといけない研究に取りかかっているんだけどさ。

他の部分はともかく、Aのコンパクト性、これなんで言えるの?

他の部分はアイデアはまあ、わかるんだよ。それをどうにかする部分も、基本的には初等的な操作でうまくいく。だけどAのコンパクト性だけは本当にどうにもならんのだわ。「なぜそれが言えるか」を直観的に説明することすら、できない。

証明を見ればわかる、むしろ証明を見てもわからないのならそれを理解してないのだ、という人々がいる。その人達に聞きたいんだけどさあ。ドブリューのTheory of Valueのここの部分の証明で漸近錐使ってるけど、漸近錐使わずに証明してもらえる? あるいはなんで漸近錐使うとこれが出てくるというアイデアに至ったのか説明してくれない?

できねぇこと言うんじゃねえよ、というのが僕の感想。

あ、ちなみに上で別格扱いしてるって言って紹介したMas-Colellたちの本な、あれ図解を用いたスケッチしか書いてねーから。そのスケッチを読み込めばわかるはずだって? でもこいつら間違ってるよ? こいつらの仮定だと総生産集合が閉集合になるかどうかわかんねーもん。その反例、Theory of Valueに載ってるんだけどね。なにやってんのマスコレル。

いや、ホント、Aのコンパクト性、誰か説明してくれよ……これだけ本当に、完全に異次元なんだよ。どうやって思いついたんだよこんなの……

敗北感に包まれた一日でありました。まる。

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