よくわかる均衡理論の歴史(2):存在定理の進捗と完成

 続いたよ!
 正直、わりと楽しい自分がいる。こういう知識垂れ流し系は考えなくても脊椎反射で文章が出てくるから息抜きにいい。
 さて、前回ワルラスの作った一般均衡理論がどんだけ不十分だったかという話をした。この不十分性はなかなか解消されなかった。理由のひとつは、根本的に難しい問題だったことにある。一般に、関数fの零点の存在は、関数f+Iの不動点の存在に変換できる。ここでIは恒等写像ね。で、均衡価格は超過需要関数の零点だから本質的にはこの解の存在定理は不動点定理が扱うべき対象。
 では現状知られる不動点定理の中で代表的な奴がいつできたかを調べてみると、以下のようになる。

1)縮小写像の不動点定理は、1920年代にバナッハが発見している。ただし、ピカール=リンデレーフの存在定理として知られる微分方程式の解の存在定理は実質的にこの縮小写像の不動点定理の応用なのだが、そのはるか前に証明されており、この点で、類似の結果は19世紀にすでに知られていた可能性がある。

2)タルスキの不動点定理は、調べてみるとタルスキより前にクナスターが証明していたようである。が、その発表年代は1920年代。それより前にこれが使われていたとかいう話はあまり聞かない。

3)ブラウワーの不動点定理は1908年だったかと思うが、ブラウワー自身がまずこの定理の証明に非常に批判的だった。当時の直観主義の急先鋒がブラウワーで、彼は証明に背理法を使うことを非常に嫌ったらしい。おまけにヒルベルトの論敵となっていた彼は国際的な数学者コミュニティの中では異端扱いであり、それがどうも彼の成果を過小評価させていたのではないかと思われる。
 と、こういう風に見ていくと、どの定理も1920年代にならないとまともにアクセスできてたように見えないんだよね……縮小写像だけは他の文脈で使われていた形跡があるけど、これはたぶん均衡理論には使いにくい不動点定理なんじゃないかなと思う。余談だけどいま気になって調べてみたら、微分位相幾何で知られるレフシェッツの不動点理論も1920年代だね。黄金時代かな?(一次大戦あるから、1910年代に研究が停滞してたのはなんとなくわかる)
 ワルラスが前回述べた、「方程式の数と未知数の数が一緒だから解はある」という粗雑な理論から脱却して、均衡の存在に到達したのは、オーストリアのカール・メンガー(限界革命のカール・メンガーではなく、その息子)のセミナーでワルドという人が1936年に定係数の生産技術の下で示したのが最初だという話を聞いていた。のだが、調べてみるとウィキペディアではこのひと、「ウォールド」って書いてあるね……実際、スペル見るとWaldなんだけど、ドイツ語だとヴァルドで英語読みだとウォールドだ。けど、このへん油断ならんのだよなあ。このひとナチスから逃げるためにアメリカに亡命した口だし、当人は独語と英語の折衷案としてワルドと名乗ってた、とかいう可能性がないわけでもないんだよ。細かい話は結局、当事の関係者の証言とか当たるしかないんだけど。
 まあ、さておき。この結果は革新的だったけど、ワルラスの体系自体がその後に大幅拡張されていたこともあり、この結果では不十分なことこの上なかった。その後の進捗を書くと、

・1937年、フォン・ノイマンがカール・メンガーのセミナーで発表予定だった(結局発表はせずに論文だけ送付)論文の中で、実質的に角谷の不動点定理を証明。

・1941年、アメリカに逃げたフォン・ノイマンから練習問題としてこの問題を与えられた角谷静夫が角谷の不動点定理を論文として発表。

・1950年、ジョン・ナッシュがこの不動点定理を使ってナッシュ均衡の存在を証明する過程で、複数の多価写像の直積の不動点にこの定理を適用するアイデアを提出。

・1954年、アローとドブリューが上の結果を応用する形で均衡の存在定理を非常に一般的な形で導出。

 となる。……ゲール=二階堂の補題に言及してないところは許して。このへんの学説史、錯綜してて追い切れてないの。
 とまあ、よく見ると結局ノイマンの業績じゃねえか! と言いたくなるところはあるのだが、ワルラスが『要論』の初版を出版してから80年の年月を経て、ようやく均衡の『存在』だけは解決したわけだ。だけは。
 ……『だけ』なんだよねえ。
 はい、続きます。他の問題全部棚上げにしてるので。存在したからなんだってんだという話は、今後に回しましょう。

 余談。均衡の存在定理は、一時期流行っていたこともあって、いろんな形で拡張されてる。たとえば無限人の経済での存在定理だと凸性の仮定がなくてもリャプノフの凸性定理でどうにかなるとかいう結果は……あれ1970年代だっけ? たぶんヒルデンブランドかマスコレルかオーマンかそのあたりがやってた気が。逆に凸性を落とさず推移性を落としたのはシェーファー=ソンネンシャインでこれたしか1975年。近年では効用関数どころか選好関係すら使わず、xに対してxより良い点の集合を与える劣半連続写像を持ってきて、それと予算集合の共通部分が空集合になることを最適性の定義にして不動点理論に持ち込むのがわりと流行ってる。それから財空間が無限次元である場合には、たいていL^{\infty}を使うので、双対空間である価格の空間が変な測度の空間になって価格としての解釈を持てない。そこを吉田=ヒューイット分解使ってL^1要素だけで均衡価格になってることを示さなきゃいけなかったりして一段階面倒になる。このへんのテクニカル要素は漁ってるだけでみんな工夫してて楽しいので、掘ってみると意外なお宝が出てくるかも?

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