今回のダンスはジロウだよ。

どもども、アスカです。
すでにご存知のことと思いますが、今回のダンス振付はアミジロウ兄貴がやっております。

ジロウ兄貴、説明が独特だから。
「はいそこは、ワタボコリのように舞って!」
とか言われてみんなが真剣にワタボコリのように美しく舞う、という業が繰り広げられております。

なんだろな、写真でも動画でも目を引く人ってのはいて、そのつもりないのに見ちゃうって人はいるんです。舞台ならきっと尚更でしょう。

どうですか?上の写真を見て、どうしても目が引きつけられた人はいましたか?
それは何故なのか、実演家としては問い続けたいと思っております。答えが分かればメソッド化できるかもしれない。伝承できるかもしれない、そんな思いがあります。
でもそれって、生まれつきの人のレアさをキープするためならやらない方がいいのかななんて思うことも。

まあそれは置いといて、「表現者」っていう言葉がどうも生理的にあんまり好きくないです。
なぜなら、自分は役者だから。
昔ちょっと作品を書いてた時も、役者のような気持ちで書いてたので、「表現者」とは言いたく無かったです。

じゃあどうして役者だと表現じゃないのか?

「表に表す」という意味で表現じゃん、といえなくはないです。確かにね。
でもこれは「役者さんって嘘つくのが上手いんでしょう〜」というよく言われるやつが「NO」であるのと少し似ているかもしれません。

表現という言葉の意味するところは置いといて、わたし個人の偏見として、「表現者」とは己の中にある様々なものを他者に伝えんがための情熱の発露としてなにがしかの表現活動を行う者、というイメージがあります。

わたしの場合だけなのかもしれませんが、純粋な「俳優」の役割として演劇をやるにあたり、「他者に伝えたい己の内面」などは存在しないし、しても出してはならない。そんなもの役者の分際で演劇作品にぶっ込んではならないのです。と、そう思っておるのです。

伝えるべきは「役の人(キャラクター)」の生き様であり、真実。役の人は我々なんかよりもっとずっとすごいんです。すごい、必死で生きてる。
それを伝えるために自分の生きてきた全てが役に立つことはあっても、自分が役を乗っ取ってはならんのです。行ってコラボぐらい。
この微妙な匙加減は、なかなか後輩にも伝わりづらいかなあ、でも勘のいい子はわかるかなあ?なんて思ったり。
だからこそ、自分は毎日真摯に生きねばならんのです。そして、ありとあらゆる教養(広い深い意味での)をつねに摂取し続けねばならぬのです。

なので、このご時世ゆえの文化庁の書類を書いているときに、我々が「実演家」という言い方でまとめられるんだということを知り、これええやん。。。便利な言葉やん。。。。。ってなったので、表現者より実演家って言葉を広い意味で使って行こうと思って先ほど使ったわけですね。

さてさて、ご時世の話になりましたが、今日、前売チケットが皆様のところに届き始めたようですね。
あなたのところには届きましたか?
なんか今日は、「届いたよ!」の喜びのツイートを見かけてなんでかわからないけど泣きそうになってしまいました。そのちょっと前に、「こんな時でも必要だと思ってくださる方がいるのだなあ」という役者さんのツイートを見たというのもあるかもしれません。いままで以上に、「自分たちのやっていたことに意味はあったのかもしれない」というふうに思わせていただけたのかもしれません。
劇場で生で見届けていただけるように、本当に心を込めて作りますので、楽しみにお待ち下さいね。

そしてわたしは存在全部がネタバレ禁止な感じでもうどこまで喋っていいかわからない役柄なもんで、一切露出できてませんがお楽しみに!!
ちゃんと!!!います!!!!!


では!!!!!!!


小野愛寿香

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