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演技力は、嘘をつく力?:今を生きるために「演じる」ことを選ぶはなし

演技力ってなんだ?

悲しくないのに涙を流せること?
楽しくないのに状況を汲んで思いっきり笑えること?
辛くないの傷付いたように胸を痛めること?
幸せでもないのに感動しているようにできること?

そんな風に切り取るなんで、役者を非道な人間と言いたいのか!
と怒るのは待ってくださいね…でも、実際やっていることって、ざっとこういうことかな、と思うんです。(それも怒られるよ)

エンタメ関係のお仕事に携わっていなくても、映画を観たり、舞台を観たり。
ふとした会話で、「あの人演技力あるよね」「演技うまいよね」という会話、聞いたことありますよね。
ちなみにいうと、わたしは仕事でもプライベートでも、バンバン言っています。笑

演技力、とは何か?

想像してみてください。

あなたが気の置けない仲間と馬鹿騒ぎをしている時に、恋人から「別れたい」というメッセージ通知が目に入ったら。
あなたがお仕事中、重要なミーティング開始直前に、密かにコツコツ取り組んでいた難関試験の合格通知が届いたら。
見知らぬ土地で現地警察が近づいてきてターゲットにされそうになったら。
大衆の面前で、思いっきり小指をぶつけたら。(痛い!)

「3、2、1…スタート!」

…いかがでしょうか?
なんでもないように振舞って、その場を切り抜けるかもしれません。
いつもの自分の振る舞いを思い出し、再現しようと努力するかもしれません。
相手の出方を待ち、最善の態度を取ろうと必死になるかもしれません。
たとえ「何かあった?」と聞かれても、「そう?なんにもないよ!」と答えるかもしれません。

つまり、今を生きるために「演技」をするんじゃないでしょうか。

「演技する」とは「嘘をつく」ことなのか?


わたしは演技することは、今生きている“本当の自分”ではないことをすること、だと思っていて、つまり、嘘をつくことだと思っています。
嘘の形状は、全く異なるものにつくり変えたり、既にあるものを誇張したり、様々です。

重ねて、わたしは演技をしている状態は、「究極の理性的な状態」であると考えています。

ここで舞台の話を元に、なぜ「究極の理性的な状態」と言い切れるかの話を少しだけ。
お芝居で、泣き叫んで、暴れて、何かのリミッターを外した(トランス的な)状態に見えていても、頭はフル回転なんです。
場ミリはここ、ハケは下手、この小道具は暴れて落としてもお客さん側じゃない方に落とそう、涙を拭う仕草で顔を触るときはヘッドセットのマイクを触らないように気をつけて…、なんて序の口です。

(用語解説)
場ミリ:舞台上で、舞台セットの置き場所や役者が立つ位置を標した目印のこと。(ビニールテープや蓄光テープとか)

ハケ:舞台上から、役者や小道具などを袖に退場させること。

下手(シモテ):客席から舞台を見て左側。ヘタじゃないよ。ちなみに反対側は上手(カミテ)。

そう、演じる/嘘をつく作業は、とっても理性的なんですね。

「あの人、憑依系だよね」
この言葉、少し前まではコアな演劇用語なイメージでしたが、最近はお笑い芸人さんでも、主にコントのジャンルで聞いたりしますね。
でもわたしは、憑依系の役者さんはこの世界中を探してもどこにも存在しない、と思っています。みなさんきっと、そう見せる意味と必要性があってそうしています。
なぜなら、「究極の理性的な状態」でしか、演技はできないからです。

(余談ですが…わたしが思うにお芝居でこういう言葉が使われるようになった原因、完全に『ガラスの仮面』の北島マヤですよね。影響力すさまじい。)

「演技」=「嘘」=「理性」

これがわたしの考える、演技理論。

演技理論なので、お芝居の話?と思うかもしれませんが、どんな人にも当てはまります。
最初に言った通り、どんな人でもそれがたとえ一瞬だとしても、
演じ、嘘をつき、理性的に、日々を乗り越えているからです。

自己啓発系の言葉で、“自分に嘘をつかないで!本当の自分を大切に!”とかありますが、わたしはホントに余計なお世話だと思ってます。(この言葉本当に苦手なの…)

なぜなら、
“本当の自分”は自分が1番知っていて、他者からこれが“本当のあなた”だよ、と与えられるものではないから。
“本当の自分”ではない自分を演じると決めたのは、他でもない、自分なのだから。
今を生きるために自分ができる最善の策が「演技」という「嘘をつく」行為だったのだから。


演じつづけることの落とし穴

ここから1つ問題提起を。

「毎日を生きているリアルな自分と、キラキラした役をさせてもらっている姿の自分。仕事として求められているのは後者。それを理解するたびに、年を重ねるたびに、本当の自分と求められる姿がどんどん乖離してく感覚がある。」というお話を伺ったことがありました。

これは役者さんの観点からの話ですが、何度も言いますがこれはどんな人にも共通するのではないでしょうか。

スポットライトの光が強ければ強いほど、光の当たらない陰が深く濃くなるように。
演じることを選んだ後は、嘘の続け方の問題と直面します。

この問題をうやむやにしたまま日々を過ごす中で、“本当の自分”ではないことをすることに慣れすぎてしまい、境界線を失い、“本当の自分”ってなんだっけ?と混乱し始めます。

今自分が、演じている/嘘をついていることを忘れ、理性的でなくなってしまうのです。


「嘘をついていることを忘れない」


今を生きているあなたは、いかなる時も、どんな理由にしろ、これが最善だとあなた自身が選択した結果のはず。
その選択が、“本当の自分”そのままの選択であるなら、それが一番いい。
しかし、“演じる”ことを選ぶことも、あなた自身が今まで生きてきた経験からの、この世界をサバイブするための力であることは間違いありません。(冒頭の例え話のようにね)

でも、忘れないでほしい。
あなたがもし、今を生きるために“演じる”ことを選んでいるなら、
“本当の自分”ではないことを“演じている”ことを、あなた自身が知っていてほしい。

「嘘をついていることを忘れない」こと。



おしまい。
明日も良い旅を!

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