京都サンガF.C.スポンサー社長が「ル・マンの太陽」松井大輔選手を応援しに行った話(前編)
あらためまして京都の人材紹介会社社長の毛利信之です。毎度ありがとうございます。
当社株式会社ステージは、8月から京都サンガF.C.との間にオフィシャルシルバースポンサー(アカデミーバススポンサー)契約を締結させて頂いております。
Twitterとnoteは10/20からスタート致しました。スポンサーになった経緯などはこちらに詳しく記載しております。
さて、先日Twitterで以下のような問いかけをし、多くの方から投票を頂きました。ありがとうございます。
勿論きっかけはこのNewsです。
そんなわけで「おっかないマルセイユサポ達と松井大輔選手を観た話」を「京都サンガF.C.スポンサー社長が「ル・マンの太陽」松井大輔選手を応援しに行った話」と題してお届けしたいと思います。
ちなみに、書き始めたら脱線を重ねてしまい文字数が膨らんでしまったので、(前篇)(後編)の2部構成になってしまいました…
藤森中学の松井大輔
振り返ってみると、中学生の頃、松井大輔選手との微かな接点がありました。
私は当時サッカー部に所属していたのですが、進学校ということもあり、どちらかと言えばスポーツよりも勉強が得意な人が多い環境でした。
ただし、1つ上の先輩の世代はサッカーが上手い人が多く、近年稀にみるレベルの高さでした。私も毎日一緒に練習をする中で刺激を受けましたし、可愛がってもらいました。
ちなみに、その先輩の中で並外れた能力のGKが竹中修平さんです。高校からサンガユースに行かれた後、慶應義塾大学に進まれ、体育会サッカー部でプレーされました。たまたま同じ大学に進んだ私は、早慶戦を観戦に行ったのです。国立競技場でプレーする先輩の姿に感動しました。
大学卒業後に大塚製薬(現徳島ヴォルティス)でプレーされました。自分が一緒にプレーしたことのある方で唯一プロサッカープレイヤーになられた方です。
http://www.jfl.or.jp/archive/2004/0013677/top.html
その先輩達の同世代にとてもとても強いチームがあると噂になっていたのが、名将牧戸万佐夫氏率いる藤森中学でした。ネットのある今程当時は情報がなかった時代です。あやふやな記憶ですが、当時練習メニューを考えるために参考にしていた「サッカークリニック」に牧戸先生が載っておられていたのだと思います。
後々知ったのですが、その最強藤森中学のエースが松井大輔選手だったということです。
松井選手は鹿児島実業を経て、2000年京都パープルサンガ(当時)に入団後、中心選手として2002年天皇杯制覇の立役者となるなどの実績を掲げ、 2004年にフランスリーグ2部のル・マンに移籍されたのは皆さんご存知の通りです。
ミラノ在住だった私が旅に出る理由
私は2005年に大学を卒業し、名古屋の老舗繊維商社で働き始めました。幸運なことに2006年から2年間ミラノに駐在させて頂くことが出来たのです。
イタリアには実はそれまで行ったことがなく、言葉も全く知らなかったのですが、昔からヨーロッパに強い憧れがありました。大学卒業前に訪ねたパリやロンドンはとても刺激的で、ヨーロッパで一度は暮らしてみたいと考えていました。勤めていた会社はイタリアの生地や洋服、雑貨を日本に輸出したり、逆に日本からイタリアに輸入したりしていました。その拠点がミラノにありました。
ヨーロッパに住むことは一生に一度しかないと思った私は、週末や休暇の折々にヨーロッパを旅することにしていました。あまり観光名所に興味がない私なりですが、ある時「欧州で活躍する日本人サッカー選手の試合を観に行きつつ、旅行をしよう」と決めました。
メッシやスーパースターを観に行きたい気持ちはあったのですが、まだ20代前半でそれほど経済的に余裕があったわけではなかったので、イングランドのプレミアリーグやスペインリーグのトップチームのチケットは買えないので断念しました。
当時ヨーロッパリーグでプレーしていた日本人サッカー選手
ヨーロッパのサッカーチームに所属する選手だけでチームを組めるくらい海外組が充実している今の日本代表ですが、当時(2007-2008年頃)はまだ10人前後でした。その選手達の属するチームの基本的にはホームゲームを見に行こうと考えて調べました。
2007-2008シーズンにヨーロッパリーグでプレーしていたのは記憶の限り以下の選手だったように思います。
DF/宮本恒靖/1977年2月7日/ザルツブルク/オーストリア
DF/三都主アレサンドロ/1977年7月20日/ザルツブルク/オーストリア
FW/福田 健二/1977年10月21日/ラス・パルマス/スペイン
MF/中村俊輔/1978年6月24日/セルティック/スコットランド
FW/高原直泰/1979年6月4日/フランクフルト/ドイツ
DF/中田浩二/1979年7月9日/バーゼル/スイス
MF/稲本潤一/1979年9月18日/フランクフルト/ドイツ
FW/大黒将志/1980年5月4日/トリノ/イタリア
MF/松井大輔/1981年5月11日/ル・マン/フランス
FW/伊藤翔/1988年7月24日/グルノーブル/フランス
FW/森本貴幸/1988年5月7日/カターニア/イタリア
2008年の年明けから3名の選手が加わります。
MF/小野伸二/1979年9月27日/ボーフム/ドイツ
MF/長谷部誠/1984年1月18日/ヴォルフスブルク/ドイツ
MF/本田圭佑/1986年6月13日/VVVフェンロー/オランダ
*2007年前半の段階では、小笠原満男選手(MF/1979年4月5日/メッシーナ/イタリア)や梅崎司選手(MF/1987年2月23日/グルノーブル/フランス)もプレーしていました。
こちらのサイトでも念のため確認させて頂きましたが、漏れがあったらゴメンなさい。
そうだ日本人サッカー選手、観に行こう。
さて、ここから誰を観に行きたいか、どこのエリアか、ということを考慮しながら旅程を考えました。
この中でやはり注目は、セルティックで全盛期を迎えていた中村俊輔選手です。2006年11月21日セルティック・パークでのUEFA Champions Leagueのマンチェスター・ユナイテッド戦では直接FKによる伝説のスーパーゴールを決めています。
✳︎観客席にいるセルテックサポのリアルな反応が凄いです。
しかし、その当時1ポンドが最高250円と歴史的に高く、日本円で給料をもらっていた身としては、イングランドやスコットランドを旅するのは中々厳しい状況だったので、断念しました。スイスに行ってみたかったので、中田浩二選手を見に行きたい気持ちがありましたが、こちらもスイス・フランを使っているため換金の必要があるため諦めました。
そこで、イタリアと同じ通貨EUROを使うエリアで観戦できるエリアを考えました。その中でイタリア・ドイツ・オーストリア・フランスが候補にあがりました。
イタリアではミラノに住んでいましたので、ACミランとインテルミラノはサン・シーロで観ることが出来ました。ちなみに全盛期のACミラン/ブラジル代表のカカのドリブルは異次元でした。迫りくる相手選手を跳ね退けて突き進む様子は、まるでダンプカーのようでした。
ドイツは今も当時も多くの日本人選手が活躍しています。長谷部誠選手が2008年初頭にヴォルフスブルクに加入しますが、当時は日本代表から外れていた時期と重なり、まだ少し印象は弱かったです。高原選手と稲本選手がいるフランクフルトには是非行きたいと思いましたが、確かスケジュールが合わず断念したように思います。
やはり天才・小野伸二選手を見たいという気持ちがありました。ただ、ボーフムという都市にそれ単体で行くのは気が進まなかったというのが本音です。ブンデスリーガの日程表を眺めているとミュンヘンでバイエルン・ミュンヘンとボーフムが対戦する試合を見つけました。
当時のバイエルンはまだオリバー・カーンがいましたし、シュバインシュタイガーなどドイツの若手とフランス代表のリベリーがいたり、インターナショナルなチームでとても魅力的に感じました。しかも、ミラノからだと寝台列車一本で行けることがわかりました。(そこで、人生観が変わるような劇的な試合を見た話はまた今度)
私が密かに行ってみたい国がオーストリアでした。内陸の国であり、歴史や文化が豊か、地元京都と近いイメージを持っていました。そんな折、レッドブル・ザルツブルグで宮本選手、三都主選手が二人同時にプレーしていることがわかり、訪ねることにしました。(2人が得点を取り、MVPを同時受賞した歴史的な瞬間に立ち会った話はまた今度)ちなみに、私の大好きな京都出身のバンド「くるり」がウィーンでレコーディングしているというブログ記事を読んだこともシンパシーを感じた要因です。(ザルツブルグからウィーンに行けずにミラノに引き返す羽目になった話もまた今度。)
「ル・マンの太陽」松井大輔選手
さて、ようやくフランス・松井大輔選手の話に辿り着きました…
2004年9月に京都サンガF.C.から当時フランスリーグ2部のル・マンに移籍した松井大輔選手は、2部の中位にいたチームを一気に1部昇格圏の2位にまで浮上させました。その中心となって大活躍した松井は、「le soleil du Mans (ル・マンの太陽) 」と呼ばれる程のスターとなりました。京都パープルサンガ(当時)出身の選手の活躍をヨーロッパで生で見るというのは胸が躍る話だと思いました。
ル・マンという街の名前は「ル・マン24時間耐久レース」で知っていましたが、私は「クルマ」というものに驚くほど無関心であったため、テレビ中継などは見たことがなく、どんな街かわかりません。しかし、調べてみるとなんとなく良さそうな街だし、パリから近いという地理条件なども加味して、旅行全体を楽しめそうだと思いました。
チケットを現地に行ってから入手する勇気はなかったので、当時ようやく普及していたネットでの予約をしました。恐らくプレミア・リーグやリーガ・エスパニョーラのビッククラブは当時でも、英語さらには日本人をターゲットに日本語のサイトがあったかと思うのですが、フランスの一地方都市ル・マンのサイトにはフランス語のサイトしかありませんでした。Google翻訳も今ほど発達していなかったので、全く分からないフランス語のサイトを手探りで見ながらチケット予約をしました。このことが、後でちょっとした予期せぬアクシデントを招きます!
…と書いたところで、文字数がゆうに4000字超えてしまいました。その旅の工程は後編に譲ります。後編のキーワードは、「マチュイ」と「おっかないマルセイユサポ」です。よろしくお願い致します。