インターネットの顔が我々のペルソナであったこと
飲食店、夜勤。
うだつのあがらない社会不適合者の自分は、客足の少ない店でのんべんだらりとスマートフォンを弄りながら、この真夜中の隙間に思考を巡らせる事が稀にある。
でも、考えていることと言えば、「三井住友銀行のメンテ時間を良い加減把握しとかなきゃ」だとか、「YOASOBIの新譜、そんなに良くなかったな」とか、「アニメ映画三部作構成って待つ側が内容忘れるから、そんなに良くないよな」とか、そんな大した事のないものばかりで、別に文章にして書き出す理由もない。
そういえば、と最近思った事がある。
自分は直接、死に触れた機会がそんなに多くはない。
二重幾年、人生を過ごしてきて、別段、人並みの回数だと思っている。ひょっとしたら、少し多いのかもしれない。でも、雑談で死について討論するほど、メンタルヘルスなコミュニティに入り浸っていないので、一般的な回数が分からない。
一度目、中学生の時に仲良く登下校していた先輩が、ある日、帰りのバスで心臓発作を起こし、そのまま亡くなった。
翌日の朝礼で聞かされ、それっきりだった。薄情な事に名前は忘れてしまったが、顔はよく覚えている。ひょうきんな笑顔を浮かべる人だった。
二度目、凄く仲良くしていた叔母が亡くなった。
通学の都合で、よく叔母の家に通っていたのだが、もしかしたら、母親より母親らしくしてくれたかもしれない人だった。
語り尽くせないぐらい思い出があり、葬儀にも参列したが、何故だか涙が出なかった事を覚えている。
でも、寂しくないわけじゃなかった。
三度目、インターネットで仲良くしていた人の彼氏が集団自殺し、それを人伝に聞いた。
実際に彼自身と話した事はなかった。でも、行き違いで会う機会はあるかもしれなかったぐらいの間柄だ。
聞いた話では、オフ会と称して何人もの人間と集団自殺を目論み、実際、飛び降りてそのまま亡くなったのだという。
どういう人間なのか、結局、私は知らないまま。
でも、彼が亡くなってから、友人の一人は気がおかしくなり、それ以来、交流は無くなった。
四度目、一緒に廃墟巡りをする予定だった人が、前日に自殺し、それを当日、SNSで知った。
彼女との交流のきっかけがなんだったのか、もう覚えていない。
そんなに長い期間、深く接していたわけでもなく、所謂、タイムラインでお互いたまに会話し、軽く手を振って別れる程度の間柄だった。
たまに、ちょっとしたイベントが起きる事があった。
例えば、相手がジョジョを一緒に履修してくれる人が欲しい、というのでアニメを一部から一緒に見てみたり。
例えば、相手がネットストーカーに粘着されていて、何の因果か私も攻撃されたり。
例えば、私が廃墟に行きたいと言い出して、彼女が計画を練ってくれたり。
おそらく、エヴァンゲリヲンが大好きな人だった。
その話をした事はない。というか、私が新劇四部作しか履修していない身であるため、旧ファンっぽい彼女に深い話を振るのはやめよう、と避けていたのだ。
最近、ネットフリックスで旧テレビアニメ版のエヴァンゲリヲンをちょくちょく見ている。
ようやく、惣流の方のアスカ・ラングレーがお出ましした辺りだ。
この時期のアニメの作画を見ていて思う。
彼女は、絵がとても上手い人だった。そして、彼女はこの時代の画風が好きだったのだろうなあ、とも。
新劇しか見ていないと、驚く事がよくある。
例えば、テレビアニメ版は、思ったよりコミカル要素が強そうだ。
そして、カットされただろうシーンを見ていると、シンジ達登場人物が「生きていたんだな」と不思議な感覚に陥る事がある。
彼らは、よく動く。よく笑い、よく衝突し、よく暴走する。
「登場人物が生きている」と感じるアニメが、私は好きだ。私は多分、このアニメの事を好きになるだろう。
そういえば、彼女はよくアスカを描いていた。
アスカの何処が好きだったのか、聞きそびれてしまった。
彼女の訃報を聞いた数週間後、ネットストーカーと思わしきアカウントから「あいつが死んだのはお前にも原因がある」とDMが来ていた。詳細はわからない。聞く気もしなかった。
もし、彼女が死んでいても、死んでいなくても、彼女を嫌いじゃないまま終わりにしたかったからだ。
アスカを見ると、思い出す人間がいる。
それ以外にも、たくさんいる。
阿良々木暦を見ると、思い出す人間がいる。
魂魄妖夢を見ると、思い出す人間がいる。
衛宮士郎を見ると、思い出す人間がいる。
特定の漢字から、数字の組み合わせから、思い出す声や文章がある。
私は、ごちゃごちゃしたインターネットの中にいた。
まるで、九龍城砦みたいな、支離滅裂な街の中で、みんながみんなの為の仮面をかぶっていた。
よく人が生きては死ぬその街で、私たちは思い出の中にペルソナを作った。
アニメアイコンを、演じたい人格を、現実から逃れるための詭弁を。
青い鳥のTwitterの中で、廃墟になったブログサイトの中で、みんなが捨てたSkypeの中で、ログごと消えたチャットや掲示板の中で。あるいは、もっと深くテキストサイトの中にも。
黒歴史の中に、記憶が息づいている。
それを美化しないように、できるだけ頑張る。
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