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いまさら死人が帰ってきて良い人ぶるなよ

ボウリング・フォー・コロンバインという映画がある。
ドキュメンタリー映画だ。
マイケル・ムーアという著名な映画監督によって撮られた「コロンバイン高校銃乱射事件」を扱った作品だ。とても高評価な映画であるが、しばしば批判的意見も見られる。
それは、「歴史的事件を扱った」、「ドキュメンタリー作品」だという、その批評性と、どうしても一方的な視点によって捉えてしまう(勿論、創作者側が出来るだけ公平さを保とうとする意識はあるかもしれない、が、この映画の場合は、撮り方が恣意的であるという感想も見られる)ところによる部分がある。
事実を扱う場合、そこには作者側の意見が多大に入ってしまう。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」とは、私が敬愛する森達也氏の作品のタイトルだ。まさに、その通りだと思う。
歴史映画を見る場合、私が心掛ける事がある。それは、事前に予備知識を入れる事だ。作品のネタバレにならない範囲で、引用先であろう該当箇所の知識を出来るだけ入れるようにしている。そして、様々な感想を見漁る。出来るだけ、公平な自分視点での「感想」を持つ為だ。それが、歴史映画との向き合い方だと思っている。

イエス・キリストをどう見るか。
稀代のスーパースターである彼は、根強い「復活信仰」によって多大なカリスマを得ている。
歴史的詐欺師だという見方もある。筆者は実家がカトリックだが、宗教なぞ情報商材の様なものだと捉えている。まあ、何を信じようが他人の勝手だ。

本題に入ろう。
地下室TIMES、あるいはBASEMENT-TIMESというサイトが昔あった。
下北沢はサブカルの町。そこを中心とした邦楽インディーズシーンのムーベメント。あるいは、インターネットに跋扈する「邦ロック」という定義。または、2010年代後半にかけての様々なウェブマガジンや音楽批評ブログ。その多くに影響を与えたであろうサイトだ。
数年前に更新が止まっていた、そのサイトの記事が更新され、それまで実しやかに囁かれていた様々な噂に答えを合わせがされた。一応、記事を貼っておこう。


この記事を読み終わった後に、私の口から出た言葉は「相変わらずインターネットがお上手ですね」だった。
マジで、それでしかない。何の意味を持って今更、更新した? この長いだけの何の意味もない自己満足オナニー記事に何の意味がある? ていうか、答え合わせですらない。ここに出ている事は、映画や漫画みたいに綺麗に脚色された現実ではない現実かもしれない。然し、事実を知らない私が出過ぎた事を言うべきではない。
でも、これを読み終わって受け取ったメッセージは「ごめん!!!! おれっち、音楽で成功したいから音楽ライターやめるわ!!!! 今まで黙ってたけど、今はこういう活動やってっからよ!!!!! 許してな!!!!!」 うるせえ。指詰めろ。クソメンヘラ。情けない。黙って音楽やってろ。帰ってくるな。

筆者は地下室TIMESに直接、関わった事はない。だが、このサイトが更新されていた当時、熱心な読者のひとりであった事は認めよう。
石左というライターの強いワードセンスで構成されたレコメンド記事や、批判記事は確かに読み応えのあるものであった。
「音楽はファッション」という、私がよく使う言葉がある。これも、石左氏の受け売りだ。

音楽はファッションだ。まさにそうだ。私もそう思う。
だからこそ、他人のファッションを容易く貶していいわけじゃない。認めよう。確かに、世には「ダサい音楽」も「ダサい服」もある。それを馬鹿にする事は誰にでもある。だけど、強い影響力を持つサイトが、その影響力を「武器」に他者を攻撃する事は良い事なのか?
石左氏の記事の通り、日本の音楽シーンの裏で、強い業界人の権力が動いていたのかもしれない。それを変える為の、彼なりの武器がペンであり、彼いわく「クソサイト」である「地下室TIMES」しか当時は無かったのかもしれない。
だからといって、革命家気取りで他人の嗜好する音楽を貶していいわけじゃない。あんたが良いと思う音楽を広めたいからといって、他人の土俵まで踏み込んで、その土を穢すな。
シーンを変えたいあまり、シーンの聞き手側の心情に配慮が出来ないなんて、間抜けが過ぎる。音楽なんて所詮、嗜好品だ。極論を言えば、「誰が何の音楽を好きだろうが、そんな事は些細な事だ」し、「オルタナティブ・ロックが、何故、オルタナティブと呼ばれていたのか」考えるべきだ。
そもそも、ロックンロールとは、当初、「カウンターカルチャー」であり、反骨精神こそがロックと捉えるものもいる。
ポップカルチャーを馬鹿にするのはいい。だが、あんたは何様だ?

https://basement-times.com/oisiclemelonpan/


ただ、こんな批判文すら、当時、散々、書かれつくしたものだ。
地下室TIMESに影響された馬鹿なライターが、似たような記事を量産して、音楽好きからバッシングを喰らった事が多数ある、なんて話も、もはや、更新が停滞していた時期に既に書かれている。
じゃあ、何の話をしようか。ここからは憶測が多分に入る。公平なドキュメンタリーではない。ご了承を。

「バンドをやめたいスターミー」なんて名前のアカウントがバズった事が、Twitterで一瞬だけあった。
その文体があまりにも石左であった事から、目聡い人々は、すぐに石左の転生体であると気が付く。
そこから、暫く経って、スターミーのアカウントが「イセノ」という名前に変わっており、JIDGRESSの前に彼がやっていた、残響系っぽいギターサウンドにローファイ・ヒップホップを混ぜたような「それっぽい」音楽バンドのギタリストとして活動を始めた。
インターネットがお上手ですね。私には、スターミーがそもそも、上述のバンドや石左の活動宣伝の為の「バズ目的」にしか思えない。あまりにも、そういう動きだ。
そもそも、「イセノ」アカウントの運用がインターネットで散々擦られている「メンヘラ系の文化」や「消費のし易いエモ」の文脈にしか見れない。何が、「幸せになってやる」だ。信者に囲われて幸せだろうよ。馬鹿がよ。

「イセノ」として運営している「STRESS CLUB」だかいうコミュニティの胡散臭さなんて、凄まじいものだ。確かに、世のインターネット・ユーモアが大好きな方々は、Twitterで何故か流れてくる「おもしろそうなツイート」に喜んで食い付き、「こんな面白そうなDiscordサーバーに入ってみたい!」と思うかも知れない。
だが、やっている事は冷静に考えれば、宗教の様なものだ。
彼ら運営陣で厳選した、曰く「人間関係のストレスに疲れた人々」をコミュニティ内に入れ、半閉鎖空間でユーモアを培養する、その行為は、全容は知らないが、外から見れば「ジョージ・オーウェルの1984」で書かれている様なディストピアを想起させる。
つーか、普通にチャールズ・マンソンみたいな事、そのうちしでかしそうで怖いですよ。俺は。
コミュニティは閉じられるべきではない。開きすぎても意味がないかもしれないが。

彼が当時、裏垢で異性にギター弾き語りを聞かせ、繋がろうと目論んでいた事を多くの方は知らない。知ったところで、どうでもいいかもしれない。
彼がツイキャスで散々、色んなバンドに罵詈雑言を浴びせ、裁判沙汰になった事を多くの方は知らない。知ったところで、どうでもいいかもしれない。
彼が売り出そうとした「teto」というバンドがいた。鮮烈なバンドだった。だが、盗作騒動で話題になり、ファンが離れ、疑惑後の曲が跳ねず、気が付けば名前を変えて胡散臭い姿となり、それでも活動を続けている。
石左は記事でそこまで触れたか? つーか、当時、別に関わっていたライター達の話は? 谷澤ジョルジュさんは? 創設者のひとりと思われる「はと」さんの話は?
疑念が尽きない。私は、地下室TIMESの最後と思われる記事に対し、誠意がなさ過ぎるという見方をした。石左ひとりの視点でしかなく、そもそも、真摯に本当にあった出来事をそのまま書いているという保証もない。

私は石左という人間が信用なりません。このnoteはただ、自分の溜飲を下げる為だけの駄文です。以上。

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