MPCが楽器に変わった瞬間
はじめまして。
StadioEnduといいます。
普段はエンジニアを生業としながら平日の夜にビートやレコードを静かに嗜みつつ会社ではHappy Hacking Keyboardを叩き、週末はTrackMakerとしてMIDIキーボードやMPC、MPKとふれあいながらビートを作る、サラリーマンです。
この記事は 熊井吾郎 さんが開催している「中級者の方向けのMPCグルーブレッスン」のレポート記事になります。
前半の文章ではレッスンを受けようと思った経緯として「TrackMakerになりたいと思ったきっかけについて」を紹介します。
後半は具体的にレッスンで受けた内容や受講して思った事を「中級者の方向けMPCグループレッスンで学んだ内容について」でまとめました。
前半の文章は主観的な記述が多く、所謂「自分語り」の部分が多い為レッスンレポートだけを見たい場合は「中級者の方向けMPCグループレッスンで学んだ内容について」を押して遷移してください。
TrackMakerになりたいと思ったきっかけについて
「TrackMakerとはなにか?」と聞いた時に「えっ?トラック?車?」と返答するのが大多数と思っている。
作曲家、曲を作っている人、プロデューサー…etc。まぁとにかく、もっと違う紹介の仕方があると思う。僕もそう思っている。
では、なぜHIPHOPの界隈だけは「TrackMaker」、或いは「BeatMaker」と呼ぶのか?
これには明確で強く、そして敬意をもった理由がある。
それは後半の「まとめ」に綴ろうと思う。
最初に「TrackMaker」 を志そうと思ったきっかけを明確に覚えている。
AbemaTVで放送されていたフリースタイルダンジョンのMonstersWarの回だ。確か2017年の回だった気がする。当時の自分はHIPHOPの楽曲は聞いていたがあまり熱中はせず、フリースタイルダンジョンのバトルが好きでハマっていた若いヘッズの一人だった
般若さん、R-指定さん、CHICO CARLITOさん、サイプレス上野さん、漢 a.k.a GAMさん、T-Pablowさん、DOTAMAさん、そしてZeebraさん。
当時、TKda黒ぶちさんのように、黒縁メガネを付けて、スーツを着て、「御社、弊社」の簡単な韻を踏みながら就活対策をしている自分からみたラップバトルは言葉が鋭く、刺さり、そして気持ちよかった。
何よりも鬱々した自分の気持ちを変わりに皆さんが吐き出している気がしてとても鼓舞されているのを覚えている。
そしてその年に「フリースタイルダンジョンMonstersWar 」という、歴代と現在のモンスター(ラッパー)たちが集結してチームを組みながらバトルする回が放送されるが、この回の一番最後にマイクリレーをしながら、フリースタイルにラップをする場面が映し出されていた。
その時にバックでかかっていたTrackがBUDDA BRANDの「人間発電所」だ。
「な、な、なんだこれは!?」と全身の鳥肌が立ったのをよく覚えている。
フリースタイルなので当然歌詞はのってないが、とにかくヤバいビートが流れている。凄い。こんな天国で流れているようなTrackがあるのか…!
日本語ラップにハマる
そこから日本語ラップにどっぷりと浸かる日々が始まる。
LAMP EYEの「証言」、SOUL SCREAMの「蝶と蜂」、DJ Muroの「Chain Reaction」、TOKONA-X の「知らざあ言って聞かせやSHOW」、志人の「禁断の惑星」、韻踏合組合 の「一網打尽」、RHYMESTER の「B-BOYイズム」…
とにかく沢山の日本語ラップを聞いた。
2017年に生きていたけど、頭のビートは常に90年代に作られたMPC3000のぶっどくて、ドープなキックとスネアが常に鳴り響いていた。
この時はまだ「TrackMaker」という単語は知らなかった。
とにかくDigして、自分の中の日本語ラップが好きな気持ちを燃やしていた。
そして曲を一通り聞いた次には「さんピンCAMP」のような熱狂的に日本語ラップが盛り上がりを見せた時の炎の残り灰をかき集めるように文献をDigり始めた。
とにかく「なぜ、こんなにもTrackが多種多様なんだ? 同じループなはずなのに、心が惹かれるだ?」を勉強したくなったのだ。
以下に自分がその時に学んだ本を紹介しておきます。
MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門 (著者: DARTHREIDER)
文化系のためのヒップホップ入門1 (著者: 長谷川町蔵、大和田俊之)
文化系のためのヒップホップ入門2 (著者: 長谷川町蔵、大和田俊之)
私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ (著者: リアルサウンド編集部)
ヒップホップ・ドリーム (著者: 漢 a.k.a. GAMI)
これらの本を就職が決まった企業の新卒エンジニア研修で Ruby on Railsや、Docker、Linux、Swift、APIのアーキテクチャ設計を学びながら合間の休憩時間や、1時間電車に揺られたいい時間で読んでいた。
やはりこれらの本を読んでいると共通してくるのは「日本語ラップ」の原型となるアメリカの「HIPHOP」の歴史である。
HIPHOPを学ぶ
もっというとそれは、DJクール・ハークが妹のシンディ・キャンベルさんの為のお金を稼ぐ為に、ターンテーブルを2つ同時に使って2枚の同じレコードの特定部分を交互に何度も繰り返す「ブレイクビーツ」を発明した頃から遡る必要があった。
(因みにここら辺の話は日本語での書籍も沢山あるのですが、Netflixシリーズの「ヒップホップ・エボリューション」が最高にオススメなので興味があればぜひみてください。)
「J・ディラと《ドーナツ》のビート革命」を読み始めた時もまさにその途中だった。
J Dilla を目指す
「なぜ数ある海外のプロデューサーの中でもJ Dillaなのか?」
当然出てくる疑問だと思う。
Dr. Dre、DJ Premier、Pete Rock、RZA、Madlib、Q-Tip…。
沢山の「クラシック」を生み出したプロデューサーは沢山いるが、その中でもJ DillaのTrack、またはBeatは格別だった。
とても文学的な表現を使うと「哀愁的な波が襲ってくる」と書くと分かりやすいだろうか。いや、わからない。
とにかく当時のN.W.Aの「Straight Outta Compton 」と比較するとあれなのだが、心を激しく燃やす感じではなく、山奥での湖畔を見ながらジッと焚き火の揺らめく炎が出てくる。
しかし、その揺らめく炎の中には確実に心を引きつける物があり、MPC3000のクオンタイズを使わない、よれたキックとスネア、そしてハイハットが波となり、曲の終わりにはどんどんと心を埋めてくれる。
James Dewitt Yanceyが作るTrackにはそんな魅力が詰まっている。
そしてここから無意識にだが、曲の聴き方が変わった。サンプリングネタを常に探す聴き方に変わってしまったのだ。
TrackMakerを志す
長い。本当にここまでの道のりがない。
しかし、やっと本題に入れたと思う。
なぜTrackMakerを目指すのか?
それは自分がJ DillaのTrackに惹かれたように、誰かの心を引きつけるTrackを作ってみたいからだ。それだけの理由だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
J Dillaが1995年にThe Pharcydeと作った「 Runnin’」が28年後の2023年に、未だに僕がハマり続けているように、僕が作ったTrackが5年後、10年後に知らない人や、息子や孫が聞いた時に「かっこいいね!」と思われるようなそんなTrackを作りたくなってみたいのだ。
TrackMakerになるのを挫折する
ここで感動話に水をぶっかけるようで申し訳ないが悲しい現実がある。
MPCを使ってのTrackを作成する時の資料が日本だととても少ない。
これまで、MPK、MPC Stadioを買ったり、MPC Softwearも頑張って学び始めたがこれを70%以上使いこなせている人を見た事がない。
海外のYoutubeを見ても少なかった気がする。
とにかくMPCは真面目にやろうとすると難しい。
サンプリングネタをチョップして、ハメ込んで、そこからドラムを載せてTrackを作る。
作曲家からしたら「そんなの朝飯前だよ」と思うかもしれないが、ぼくはこれができなかった…。
正確には平日のエンジニア業務と平行して、土日もコードを書いたり、カンファレンスで発表する為にスライドを作ったり、新卒研修のエンジニア講師として教えていたり、練習を怠っていた事もあると思う…。
そこから今度は「コード進行」というのも覚えれば、MPCでメロディを作る際に約立つのではないか?となり社会人向けのグルーブレッスンしてくれる音楽教室に通いピアノに社会人から入門する。
これが2019年で、4年前の話だ。
ここから「おいおい、お前はTrackMakerになるんじゃなかったのかよ!?」と思う人が大多数だと思う。これは本当にそうだ。
Sorry …、 James Dewitt Yancey….
僕が最初音楽教室に通った時の講師の方とのやりとりをよく覚えている。
「すみません…あの…このMPCってのでフィンガードラムを学びたいんでけど、教えてくれますでしょうか…?」
「あ、内は基本メンバー同士でコピーバンドを組んで楽曲を演奏しながら覚えていくので、ドラムは教えれますがフィンガードラムの講師はいないです」
ピアノとシンセサイザーを習得する
そこから紆余曲折あり2022年の12月までこの音楽教室でピアノとシンセサイザーを覚える。最後はSuchmosのコピーバンドにキーボードに参加して「STAY TUNE」の音作りをして、冒頭のサンプリングされたボイスもRolandのサンプリング機能が付いたFA-08 のパッドに読み込ませて再現する異形(?)まで出来るようになった。
コピーバンドをやっている人からしたら「そんなのありかよ!」と突っ込まれてもしょうがないのだが、僕はHIPHOPから来ているので「これもありだし、サンプリングは立派な演奏手法じゃい!」と叫ぶと思う。
そしてそのタイミングぐらいで当時働いていた会社をやめて、今の新しい会社に転職した。そして、新しい会社でも引き続きエンジニアとして働いている。
そしてたまたま同僚の方が 熊井吾郎さんを知っており、そこから「中級者の方向けMPCグループレッスン」を知り「今ここでピアノに逃げては駄目だ。もう一度HIPHOPに向き合って、MPCでちゃんとTrackを作ろう」と決心を付けて申し込んだ。
中級者の方向けMPCグループレッスンで学んだ内容について
ここからは実際に熊井吾郎さんが開催している「中級者の方向けのレッスン」のレポート記事になります。熊井吾郎 さんが開催しているMPCレッスンは中級者向けだけではなく、初級者向けのレッスンもあります。
自分は初級者向けのレッスンは受けてないのですが、中級者向けのレッスンを受講している限りだとある程度、初期画面の操作方法には慣れている方が多く受講しているように見えました。
どこを押せばMain画面で打ち込みができるのか?などの基礎知識があると、レッスンの内容がより頭に入りやすいので、もしMPCを買ったばかりやBeatMakeした事がない人は事前にIkebe Music さんのYoutubeの解説動画を見ておくと良いです。
また「熊井吾郎によるMPCチュートリアルビデオ第一弾「LESSON1」」が提供されており、こちらも買ってみておくと良いと思います。
中級者向けレッスンの内容
公式のページから抜粋します。
曲の一部分をサンプリングし、ドラムを打ち込む
サンプリングした曲を細かくチョップ(切り刻む)、フリップ(組み替え)して再構築。
作成したシーケンスの上にアカペラを乗せてリミックス作り
以上のテクニックを駆使してよりMPCらしいサンプリングビートが作れるようになります。
実際にはこれだけではなく「なぜチョップをするのか?」の歴史的な背景だったり、チョップの操作方法について「MANUAL」、「THRESHHOLD」、「REGION」、「BPM」の4種類の違いなど詳しく解説していただきました。
個人的にこのレッスンの魅力は熊井吾郎さんがこれまでMPCやLive、作曲、TrackMakerとして培ってきたエッセンスをその場で聞けて、教えてもらえる事に凄く価値があると思いました。
個人的に覚えている3つのキーワードがあります。
(1)先にドラムを打つ
チョップでメロディで考えるよりも先にドラムを打つ
(2)とにかくドラムのグルーブ感が大事
ドラムのグルーブがしっかりしていれば、メロディを載せてもなんとかなる
(3)ラップをのせて聴いてみる
ただ、Trackを作るのではなく実際にアカペラのラップが載った時の全体感を考える
当日は音の素材を貰いながら皆でネタをチョップしながらBeatを作りました。その後、熊井吾郎さんが「じゃこれに実際にアカペラのラップをのせてみましょう~」と言って、載せた瞬間の事を今でも覚えています。
MPCが楽器に変わった瞬間
アカペラの声が Nuhabesの「Luv(sic)」のShig02 さんのアカペラverでした。
自分が作ったBeatに乗せてMPCから再生してみたのですが声が載った瞬間に「うおぉ…! 凄い…!!」となったのを今でも覚えています。
まるで自分が作ったBeatが一人で歩きだしたような感覚で、MPCが本当にドラムを叩いているようでした。
「声がのるとこんなにもレベルがあるのか…!!」と感動したのを覚えています。
その後も講義が終わっても質問が鳴り止まず、「さっき教えてくださった所、もう一度見せてもらっていいですか?」とか「チョップしたメロディにreversをかける時に綺麗に聞こえる為にはどうしたら良いでしょうか?」という質問が出ました。というか、僕も必死に喰らいつきたくて質問して、聴いてました。(すみません…)
講義が終わった後に教室を出ると「やっと...やっと....! MPCが楽器になった! 凄い!」と感動したのを覚えています。
前述したように、熊井吾郎さんのレッスンを受けるまで、過去に何度も挑戦しては挫折をし、情報も少なくて海外のTrackMakerのYoutubeの動画を見ては、「ん???なにそれ???」みたいな事を2年間ぐらい繰り返してました。
「MPCは俺にはまだ早いのかな...」と思って心が何度も折れていたのですが、それがたった4時間のレッスンで解消して「俺が悩んでいた事はなんだったんだ...」という気持ちになりました。
とにかく自分にとっては、とんでもない記念日になりました。
MPCが自分の楽器になったという事実がこんなに嬉しいなんて!
熊井吾郎先生。本当にありがとうございます。
まとめ
J Dillaの有名なエピソードの1つにAmpFiddlerからMPCの使い方を教わったという話があります。正確には丁寧に1on1で教えてのではなく、MPCを好きに触らせる環境を作り、放任的な方法で教えてました。
その時は当然教本はなくYoutubeもないです。
しかし、J DillaはAKAI MPCの細かい説明書を読んで、勝手に操作方法を覚えて、歴史に名前が残る名プロデューサーの一人になりました。
自分はこのエピソードを知った時に「そんなに説明書を読みたくなのかな…?」と思っていたのですが熊井吾郎さんのMPCグループレッスンを受けてわかりました。
きっとJ DillaはMPCの可能性に気づいてもっと遊びたくなったんだと思いました。
それは売れたいとか、有名になりとかではなく、子供がおもちゃで遊ぶのがたまらなく好きなの同じように、どんどん熱中していったんだと思います。
冒頭のなぜ「TrackMaker」、或いは「BeatMaker」と呼ぶのか?の答えについては、色んな先人へのリスペクトがあるからこその呼び名であり、自分もJ DillaのようなTrackMakerになりたいという理由があったのでした。
長々と自分語りもはさみつつ、熊井吾郎さんのMPCグルーブレッスンのレポートも書いたのですが、MPCも楽器になった喜びとこれからもっと作っていきたい気持ちが出てきた事が本当に嬉しいです。
ぜひ、この記事を読んでみてHIPHOPが好きな人はMPCという楽器に触れてほしいですし、HIPHOPがしらない人でもMPCに興味をもって頂けると嬉しいです。
読んでいただきありがとうございました。
おわり
追記
kumaigoroさん、ありがとうございました…! (めちゃびっくりしたのですが、嬉しかったので恐れ多いながら追記で掲載させていただきます..!)