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未完成を楽しむ

小説を読んでいて「未完成を楽しむ」とさらっと書かれていて、
そのたった1行に深く考えさせられた。

人間誰しも完成された物を望むはずだ。


完璧な仕事
完璧な人生
完璧な環境
完璧な母親
完璧な父親
完璧な上司
完璧な部下
完璧な自分

上を見ればキリが無いのだけれど、
常に頑張ろう、もっと上を目指そうと、
窮屈な箱から抜け出すために
どうすればいいのだろうと悩んだりしている。



私は今、未完成の状態を楽しめてるか?

未完成というのは、私にとってはマイナスなイメージであって、
完成させるべく日々奮闘して、
そしてその日々に辟易としてしまう時がたまにある。

自分はなんてダメなんだろう、といった具合いに。



自分の生きてきた機軸を見返し
自分にとってそれは完璧かと問われると
そうでは無いと感じてしまう。

「あの頃もっと頑張っていたら、もっと光り輝く人生だったのかもしれない」と考えてしまう時がある。


自分の思い描く完璧な人生と、
現在の身ぐるみ剥がしたありのままの自分。

比べたところで意味はないのだけれど
そうしてしまう自分がいる。



未完成に楽しむ要素なんてないし、
そもそもその発想がない。

だからたった1行のその一言に
深く考えてしまったのだろう。


「未完成を楽しむ…」

それも悪くないな。むしろ楽しそうだ。

ちょっと失敗した時や、自己嫌悪になった時でも楽しんじゃえばいいんだよ!

だって未完成で当たり前。
できなくて当たり前。

もっと、人生楽しんでみようよ。

未完成だってきっと楽しいよ。

未完成だからこそ“楽しむ余地”があるのだから。

人生楽しんだもん勝ちかもしれないね。 

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